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(回答先: Re: 第3の原爆。投下目標は、東京・皇居。投下予定日は、昭和20年8月17日。 投稿者 てんさい(い) 日時 2003 年 8 月 17 日 23:29:38)
毎年、終戦記念日になると大東亜戦争の反省が繰り返される。
その内容は「戦争はいけない」というものであるが、内容といえば、じつは、「超大国のアメリカ相手に勝ち目のない戦争をしたなんて愚かなことをしたものだ。じっとしていればドイツの敗戦もわかったし、太平洋の支配権もアメリカと二分して維持できていただろうし、満州、朝鮮、台湾、千島列島、樺太も日本の支配権にあったであろう。」ということではないかと思う。もし戦争に勝っていればこんな反省などしないことは日清、日露、満州と勝ち続けた日本であればすぐに予測できることだ。戦争はいけないという真摯な反省は見つかりにくいというのが本当ではないだろうか。
日本人はアメリカに負けて「どうせかないっこないのにつまらない戦争をしてしまいましたね。これからはおとなしく従順になりますからアメリカさん、ゆるしてね」というのが本音ではないかと思う。
ここから中国の怒りがでてくるのだと私は感じる。
中国は日本に荒らされいいようにされた。被害者の中国は日本と戦争をしていたことをよく憶えている。戦争が終わったあとでさえ5年間国民党と内戦しなければならなかったのだ。ところが日本はといえば「もう少しで勝てる戦争をアメリカというじゃまがはいった」としか考えていないのではないか。日本は中国に負けたという意識が希薄なのみならず、国民党の後ろ盾だったアメリカにおもねってもいる。中国にすれば、日本という敵が国民党に変わり、その向こうにアメリカがいるというだけで、日本は虎の威を借りる狐のような存在で、戦争に負けたということも考えない癪に障る存在であろう。日本の指導者のだれが中国の無名の戦没者にまじめに哀悼の意を表すと考えられるであろうか。戦争の謝罪さえしないのにである。
(私はアカではなく、中国寄りでもありません。ただ中国がどうしてこんなにしつこく靖国神社のことに言ってくるのかについて考えたいと思います)