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(回答先: 長崎幼児誘拐殺人事件 ----- 屋上の場面の供述の表現の変化 投稿者 まさちゃん 日時 2003 年 8 月 06 日 23:49:36)
二つの資料を見比べますと、2は荒削りです。マスコミや市民が納得しやすい動機を並べて「こんなもんだろう」という程度のリークだと思います。
しかし神戸少年事件で多くの人々が警察に対して疑惑を抱いていること、このことは長崎の事件でも同じような声があがっていることに配慮した細かい描写を入れる作業を行った。
ところが作文はむつかしいもので、書くほうもついつい脱線してしまって「カッターナイフ」とまで口を滑らせた。
少年の「供述」に一貫性がないのか、警察の作文が事実に基づかないものであるためにこのような矛盾が生じるのかだと思います。
少年の供述が本物であるかのように見せかけるためには犯行の心理の異常さをあげつらえばよいわけです。
宮崎勤氏(本当に冤罪だと思うようになりました)、神戸少年事件のAくん、みなグロテスクな心理を描きあげることによってあたかも仮想空間を読者の心の中につくりあげて、読者の「イエス」を求めつつ小説を読むような臨場感をあたえ彼らの異常心理から自然に行われたかのような虚構を作り上げているのではないでしょうか。
12歳の少年は綿密な「性」の描写によってさもさもスタイルで新聞読者を誘導しています。
しかし、7月13日の朝日新聞が報道しているように、少年と駿くんは午後8時から1時間アーケードで遊んだと「供述」しているわけですから、合計130台の車が出入庫している駐車場でどのように目撃されずに各階の通路を通過して上り屋上に到達したのか。並大抵な進みかたでは目撃されるに決まってます。それこそ綿密な少年の描写が必要なところではないでしょうか。
そうであれば屋上に到達できることは不可能、9時15分の突き落としは現実的に無理ですね。
7月17日の読売新聞では午後8時半に駐車場に到着したなどとリークし直していますが、これは7月13日に「アーケードで1時間遊んだ」となると駐車場で各階を歩いて上ったという事実と矛盾するためにわざわざ「供述内容」を差し替えたものでしょう。私が遅ればせながら推理したことを、警察はあらかじめ想定して7月17日に作文し直した疑いがあります。
その上でありもしない供述とありもしない証拠(はさみ)で不足したために性描写を加え、さらには「カッターナイフ」まで出してきて現実味を加えた。警察発表(意図的なリーク)がいかにでたらめであるかを自己暴露してしまった。警察は墓穴を掘ってしまったのです。
私にとって、警察が供述を緻密化してリアリティを加えようとすればするほどぼろがでてくる、それだけ疑惑は深まるという私の頭の構造になっています。