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(回答先: 【長崎幼児殺害事件】 上:「有名人」 朝日新聞 投稿者 エンセン 日時 2003 年 7 月 27 日 02:21:40)
近所とも学校とも距離
長崎家裁が少年審判を始めた23日の夜、補導された少年(12)が住んでいた長崎市のマンションの集会室で、自治会の臨時総会があった。100世帯を超す住民が顔を出した。自治会長は「子どもに積極的に声をかけていこう」と訴えた。
事件前、少年は夕方になると、しばしばマンション1階ホールのエレベーター正面の、うす茶色の木製のベンチに1人ぽつんと座っていた。「今、何時?」。通りかかった住民の何人かは、そう尋ねられている。だが、特に目的があるようには見えなかったという。
中学校では部活動に参加していなかった。塾にも通わず、地域の子ども会にも参加していない。家の外での居場所は、放課後に行く、近くのゲームセンターぐらいだった。
少年の一家は、調理師の父(50)と、この春からパートを始めた母(39)の3人家族。マンション住民の話によると、家族は十数年前にマンションが完成した直後から住んでいる。
だが、近所づきあいはあまり多くない。ある主婦はこの春、持ち回りの自治会役員になれないかと少年の母親に打診した。だが、「早口でわーっと断られた。ふだんは無口であまり話もしないので、びっくりして引いてしまった」という。
父方の親族の一人は、「少年を見たのは3歳ぐらいのとき。身内の葬式に家族で来たのが最初で最後。それ以降は会っていない。母親の人柄も知らない」と言った。
小1のとき、少年は一時、父親と離れて母親の実家に移り住んだ。このころを知る関係者は「お父さんと離れたくなかったのか、とても不安定だった」と振り返る。
1年足らずで、また一緒に暮らすようになった。少年も喜んだようで、ある学校関係者は母親から、「お父さんに甘えて困ってしまうんですよ」と聞かされている。
中学生になっても、少年は母親と手をつないで買い物にでかけていた。7、8年前から家族を知る自宅近くの飲食店主には「両親とも少年が可愛くてしようがないという感じ」に見えた。
少年に手を焼いた幼稚園や学校の先生が連絡しても、母親はかばった。「申し訳ない」と答えたものの、「子どもに伝わっているか疑問に思った」という。
親同士のつき合いもあいさつ程度で、中学でも両親が保護者会に出席した形跡は見られない。
地域とも、学校ともやや距離を置く一家。そして事件が起きた。
「まさか自分の子が……」。少年の付添人によると、父親は憔忰(しょうすい)しきっているという。
殺された4歳児の遺体が見つかった現場の祭壇に、「中学校の教師」を名乗る人の手紙が置いてある。
〈前の長崎はこんな感じじゃなかった/せまい街で、みんなの目が顔が、お互いに見えとった/いつの間にかこがんなってしまっとったとやね ごめんね〉
(朝日新聞2003年7月25日朝刊紙面)
http://www.asahi.com/special/nagasaki/030725.html