現在地 HOME > 掲示板 > 日本の事件6 > 429.html ★阿修羅♪ |
|
宮崎 勤
97年4月14日 東京地裁で死刑判決
中流家庭の生まれ。
父親は印刷工場経営(宮崎の逮捕後自殺)ここで手伝いをしながら妹と同居。
祖父を尊敬しておりその死亡時には遺灰を食べている。
初犯は祖父の死後3ヶ月。
手に障害をもつ。
先天性撓尺骨癒着症(両手を上に向けられない)が負い目になって成人女性に近づけなかった。
精神分析では、手を切り取ることは「去勢」の象徴的行為とされている。
ロリコン暴力などのビデオ6000本をコレクション
前科無し
なお、「ロリータコンプレックス」とは、ロシアの作家ナボコフの、12歳の少女への中年男性の愛を描いた小説「ロリータ(1958)」に由来している
88-89年に自宅から19km圏内で4人の幼女を殺害、遺体を切断した。
遺灰を被害者宅に送りつけた
89年7/23幼女を裸にして写真を撮っているところを、幼女の父親に見つかって逮捕。
連続殺人を自供。
カニバリズムが見られ最初の犠牲者の両手は切断して食べた。
ビデオを撮影したことに関しては
「(女児の)体を自分のものにしたかった。死体は腐ってしまうがビデオなら何度も見られる」
逮捕後の捜索で自宅から大量の児童ポルノ・ホラー映画など6000本が発見
父親は支店を構えて独立しろとせきたて、母親は見合いの話を進めていた。
小田晋(精神科医:筑波大教授)は、「見合いをすれば成人の女性と対面しなければならない。結婚すれば性不能が明らかになってしまう。それは彼には耐えられないことだっただろう。」
事件の発生
今野真理(4)
失踪日時は昭和63年8/22。
場所は入間市の自宅マンション近く。
事件の展開は平成元年2/6、自宅マンション玄関前に、遺骨(自宅の焼却炉で)、歯片などの入った段ボール箱が置かれる。
声明文には「真理」「焼死」「鑑定」「証明」「遺骨」とワープロで記述されていた。
同月11日、犯行声明文が届く。
同年8月13日、宮崎勤が犯行を自供。
吉沢正美(7)
失踪日時は昭和6310/03。
場所は飯能市の自宅近くの原市場小近く。
事件の展開は元年9/5、誘拐して絞殺、遺体を自宅近くの小峰峠の山中に捨てたと宮崎は自供。
難波絵梨香
失踪日時は昭和63/12/09。
場所は川越市の自宅マンション近く。
12/15、入間群名栗村の山林で全裸の絞殺死体で見つかる。
翌8/13、宮崎が犯行を自供。
野本綾子(5)
平成元年6/6日失踪。
宮沢湖霊園内の簡易トイレの裏で両手足首が切断された全裸死体で発見。
手の障害を嘲られたことに逆上し殺害。
手首は食べたという。
起訴と公判開始
東京地裁刑事第2部(中山善房裁判長)。
初公判で検察側は、書証770点とビデオテープなど物証35点を証拠申請。
これに対し弁護側は、被害者の遺族の調書など342点に同意。
弁護側が同意した書証は、検察官が要旨を告知する。
この告知は、まず第2回公判で行われ、「真理ちゃん事件」の調書もあった。
3月31日 「善悪を判断し、その判断に従い行動する能力は保たれていた」と責任能力を認める保崎鑑定書提出
11月11日 初の被告人質問で「祖父の遺骨を食べた」と供述。
弁護側が再鑑定を申請
12月18日 再鑑定を内沼帝京大教授、関根東大助教授、中安東大助教授の3人に委嘱。
公判中断
【94年】
11月25日 「多重人格を主体とする精神病で、善悪の弁識能力などが若干減弱していた」として責任能力は限定的とする内沼・関根鑑定書提出。
この鑑定はDSM-V-Rに基づいていたため、DSM-Wが出た後、多重人格障害から「解離性同一性障害」へと鑑定が変更された。
12月19日 「精神分裂病で心神耗弱に相当するが免責される部分は少ない」とする中安鑑定書が提出
【96年】
10月7日 検察側が死刑を求刑
12月25日 弁護側が最終弁論で「心神喪失か心神耗弱だった」と主張
【97年】
4月14日 東京地裁で死刑判決
【主文】
被告人を死刑)に処する。
【理由の骨子】
1 被告人は、入間市の幼稚園児(当時四歳)の誘拐・殺害・死体損壊
飯能市の小学一年生(当時七歳)の誘拐・殺害
川越市の幼稚園児(当時四歳)の誘拐・殺害・死体遺棄
江東区の保育園児(当時五歳)の誘拐・殺害・死体損壊遺棄
八王子市の幼女 (当時六歳)の誘拐・強制わいせつ
につき、いずれも有罪。
2 被告人は、犯行時、性格の極端な偏り(人格障害)以外に反応性精神病、分裂病 等を含む精神病様の状態にはなく、完全責任能力を認めるのが相当である。
3 本件は、まれにみる凶悪重大な犯罪であり、その罪質、犯行の回数、その動機・ 目的、経緯、態様、結果の重大性、社会に与えた影響、遺族らの被害感情等に照らすと、生来の両手の障害等に起因する被告人の性格のゆがみが本件犯行の背景にあること、慰藉(いしゃ)の措置の一部として遺族らに各二〇〇万円が送金されたこと等、被告人につき酌むべき一切の事情を最大限に考慮しても、死刑を選択するほかはない。
「今田勇子」の犯行声明
(1989年2月10日、11日)
今野まりちゃん宅へ、遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です。
この、真理ちゃん一件に関しては、最初から最後まで私一人でしたことです。
私がこうして真実を述べるのには、理由があるからです。
まず、あの段ボールに入った骨は、明らかに真理ちゃんの骨です。
その証かしを立てます。
まず、どうやって連れ去ったかを述べましょう。
去る8月22日、私は、私には、どうしても手をのばしても届くことのない子供を、今日一日は自分のものにしたい思いにかられ、入間ビレッジの8号棟裏に車を止め、あのプールでは、親に送り向かえをされない、一人で行き帰りをする子供達の方が多いことを、日頃から知っている私は、そのプールの出口付近に一人で立っていました。
すると、真理ちゃんと、兄弟の男の子と二人が出て来て、ポストの所で別々になり、真理ちゃんは、一人で家に帰る様子でした。
水着で歩いて行くので家が近い筈だとにらみ、つけ回す距離も短くてすむと思ったのです。
……思った通り、真理ちゃんは家へ入りました。
母親も中に居たよウです。
さて、私は、母親の顔を見てから立ち去ろうと思い、7号棟入口付近に立っていましたが何と真理ちゃんが、すぐに出て来たのです。
……そして、真理ちゃんが歩道を渡ると私は確信したので、私は、通りを走って、歩道橋の向こう側から走ってのぼり、上で真理ちゃんを待ち伏せ、言葉をかけて、真理ちゃんをつかまえます。
うまくいったといウより、女同志でしたので、真理ちゃんは怪しまなかったと説明した方が適切でしょう。
話しが、思ったより、思い通りにまとまり、「私が、車のクーラーを先に行って、かけているから、少したったら来てね。」と言って、先に車へ行き、乗って待った所、すぐに真理ちゃんは一人で来ました。……
そして、車を出しました。
さすがに、「私をどこに連れてくの。」と、いつ聞かれるかひやひやしていましたが、急に、「私、泳ぎたいの。」と、真理ちゃんが言い出したのです。
願ってもない展開でした。
即座に、「おばさんもちょうど、川へ行きたかったところなの。」と、口を合わせました。……
とある川に着き、車を降り、二人で歩いて川まで行きます。
やはり数人の人とすれちがいました。が、私達が、親子に見えたのでしょう。
一人も怪しむ人は居ませんでした。
ここに証しの一つを立てましょう。
新聞やテレビで、よく真理ちゃんの写真が掲示されましたが、プールからあガった真理ちゃんのぬれた髪は、その、どの写真の髪型のものでもありません。
これは私しか知らない事実であります。
つまり、たとえ私達を目撃した人が、真理ちゃんを見たにしても、“テレビでお捜しの真理ちゃん”を見ていないのです。
そこで、真理ちゃんを泳かせ、真理ちゃんを見守るのではなく、私達二人を誰かが見ていないかどウカを見守ります。
居る様子はなく、来る様子さえありませんでした。
すると、誰も来そウにないという気が集中して、異様な程に、胸が高まってくると、なぜかモヤモヤしてきました。
そして、子供を産むことが出来ないくせに、こうして目の前に自由な子ガイルといウ、自分にとっての不自然さが突如としてぶり返し、「このまま真理ちゃんを家に帰しては……」といウ思いのよぎりと、「今なら誰も見ていない」といウ思いのよぎりガ交差し合い、モヤモヤした、とめどもない高なりガ一気に爆発し、目の前の水を武器に、私は、真理ちゃんの髪の毛をつかみ、顔を川へ沈め、決して自分ガ、いいといウまで、頭を水面から上げさせませんでした。……
さあ、今度は隠さなくてはなりません。
私は、近くの、背たけ以上もある夏草の茂みの中へ、だっこをして持って行き、そこへ置いて逃げました。
走りながら、おしゃべりをしていると、雨が急に降ってきました。
その時、私に、口実が一つ増えました。
「雨が降ってきたから、入間川じゃない川へ行こうね。」と言い、さらに、理由良くして、団地から遠ざかります。
とある川に着き、車を降り、二人で歩いて川まで行きます。
やはり数人とすれちがいました。が、私たちが、親子に見えたのでしょう。
一人も怪しむ人は居ませんでした。
そこで、真理ちゃんを泳がせ、真理ちゃんを見守るのではなく、私たち二人を誰かが見ていないかどうカを見守ります。
居る様子はなく、来る様子さえありませんでした。
すると、誰も来そうもないといウ気が集中して、異様な程に、胸が高まってくると、なぜかモヤモヤしてきました。
そして、子供を産むことができないくせに、こうして目の前に自由な子ガイルといウ、自分にとっての不自然さが突如としてぶり返し、「このまま真理ちゃんを家に帰しては…」といウ思いのよぎりと、「今なら誰も見ていない」といウ思いのよぎりガ交差し合い、モヤモヤした、とめどもない高なりが一気に爆発。
さあ、今度は隠さなくてはなりません。
私は、近くの、背たけのある夏草の茂みの中へ、だっこをして持って行き、そこへ置いて逃げました。
真理ちゃん宅に段ボールを置いた後の報道以来、犯人は今まで遺体を隠し持っていたと思われていますが、とんでもありません。
いちいち持ち運ぶ余裕など、犯人にあるわけがありません。
私は、つい最近まで、私しカ知らない場所で、真理ちゃんを持ち続け(置き続け)ていたのです。
では、どうして真理ちゃんの遺骨を運ぶようなことをしたのかを説明します。
真理ちゃんを手にかけた翌日、ニュースで「真理ちゃんが不明となり、まだ見つかっていません。」と聞きました。
「ああ、まだ、あのままなのか」と思うと同時に、「行ってみようかよそうか」の迷いが消えたので助かりました。
ところが別の番組で「真理ちゃんの母親が寝込む寸前」だと聞かされた時は、今まで「真理ちゃんに悪いことをした。」とだけ思っていたのが、初めて「真理ちゃんを可哀そうに」と思いました。
私は、今の今まで、一人で苦しんできました。
正美ちゃん、絵梨香ちゃんの事件が起こりました。
おそらく、私の事件に、触発された誰かが、面白半分に起こしたのでしょう。
テレビで父親が、「(死んでいても)早く見つかって良かった。」と、話しているのを見て、初めて私にも何か決心じみたものが芽ばえました。
「夜ならば、真理ちゃんの遺体を、そのうちにみつかりそうな場所まで運べるかもしれない。」と思いました。
そして、やはり、また、やろうかよそうかと迷い続けてきましたが、先日、やっと決心が着き、実行することにし、現場へ行きました。
ところが、どウでしょう。てっきり、冷たくかたくなった人間ガそこに居ると思っていたのに、何とそこには、真理ちゃんの骨だけになっているではありませんか。
私は、思わず「ギャーッ」と悲鳴をあげそうになる程、近づくのもいやになり、もう私は何があってもたずさわるものかと一目散さんに逃げました。
ところが逃げながらも、故か一つ何かが頭に浮かんだのです。
「骨なら箱に入る。骨だから箱に入れて、人に見られても運んで行ける。」と、急に、利点が頭に浮かんだのです。
そして、逃げるための走りが、実行に移す(箱をとりにゆく)急ぎ足へと変わったのです。
今の今まで、どうにかして、良心に知らせたくてしかたがなかったのですが、今回こうして、真理ちゃんが骨になっていさえしなければ、家まで帰そうなんて気にはならなかったです。
これは明らかに、真理ちゃんの骨です。
遺骨を焼いていたら自然に骨は崩れてゆき――人間は骨になると、まず、その骨は、予想以上に小さくて、少なくなるんですね。
箱には、拾った骨を全て入れたつもりです。
今、この一件が、「恨み」だとか、「いたずら」「いやがらせ」「挑戦」だとか言われていますが、全く違います。
私は、あくまでも、真理ちゃんを「帰し」に来たのです。
私はただただ真理ちゃんを帰しに行ったのです。
ですから早く、真理ちゃんの御葬式をあげてやって下さい。
あれが真理ちゃんなのです。本当なのです。
誠に身勝手ながら、私は、やはり捕まりたくはございませんが、このようなことは、もう決していたしません。
先日、テレビを見て、母親が警察から誤報を聞き「これでまた待つ希望が持てました。」と話しているのを見た時に、これは、きちんとすませてあげなければいけない。
このままでは、本当に永久に真理ちゃんに気付かずに、家族は一生を終わってしまうと思い、これだけはと、急いで声明文を送った次第です。
あの骨は、本当に真理ちゃんなのですよ。
今田勇子の告白文
(1989年3月11日)
御葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました。
御陰様で、私の子、共々、やっと「お墓」に葬ってやれることができました。
子宮等の事情で、子宝に恵まれない方々に対して偏見をもたらせてしまいましたことを深くお詫び致します。
私も、あなた方と同じですが、今、言ったように、子供が産めない理由で、子供を殺すようなことをする筈がありません。
では、どうして真理ちゃんをあやめたかについて告白いたします。
私は、私の不注意からなる不慮の事故で、5才になる、たった一人の子供を亡くしてしまいました。
高齢と切開の事情で、今までの目の前にいたその子供をみると、むしょうに、手が届かなくなる圧迫感にかられました。
無念の一語で、子供をふとんに寝かせたままその日が過ぎ、頭の中もぼやけてきました。
何を思ってか、砂糖湯だとか、湯たんぽを買いに行くのは、なぜか、看病のことしか頭になく。
それでも、いつの間にか、防腐剤まで買ってきていました。
子供を、いつも寝ているようにして寝かしたので、いつのまにか硬くなった子供の両手を合わせてやることさえ出来なくなっていました。
この時程いけないと思ったことはありませんでした。
せめて着がえだけでもしてやろうと、大きめのパジャマを用意し、上着をハサミで切って、とりのぞき……。
すると、体に赤い斑点ができていました。
虫が喰って入いった形跡などないのに、まるで日の丸のように、判子でも押したかのように、赤い斑点が出来ていました。
「変わってしまうんだなあ。」と思いました。
やがて子供の顔が、老人のようになってゆきました。
このことは、私と境遇が同じ、あの難波伸一様なら御存知と思います。
ひきつったしわが体全体にでき、あのこちこちに硬かった体が、今度は水のように、ぶよぶよに柔らかくなってゆきました。
とても、この世の臭いとは思えない程の強臭。
口もきけなくなった子が、始めて私に訴えたのです。「どうして。」と。
「ごめんなさい。お母さん、お前がずっと寝ていると思ったの。」
自分の子が死んだのに、どうして私は、自分の子を埋めてあげなかったのでしょう。
いつまでもひとの姿でいないことは知っていたのに、いったい何をしていたのでしょう。
私は、床下に穴を掘って子供を埋めました。
でも、周囲の人が、その不審に思ってくれるでしょう。
「あずけている」等と、いつまでも通じるわけがありません。
数か月後に、二人で住んでいた所をそっと出てここまで移って来ました【子供を一緒にです。】
やはり、あの団地で事を起こすには、団地に顔を出していなければなりません。
自分に、よそ者の雰囲気があっては、まず、真っ先に怪しまれます。
団地で、「ひとがさらわれていったぞ。」と思わせるには、私が最初から安全圏に居るようにしなくてはならなかったので、私は、既に、この団地に顔身知りなのです。
もし私が捕まった時、皆さんは、私を見て驚かれるでしょう。
今野さん、残念ながら私は、あなた方の身近に居ます。近くが遠いのです。
私は、引っ越して来た家の床下に埋めた子供の隣りに、真理ちゃんの骨を埋め、これで、やっと、ほっとしました。これで全てが終ったのです。
それが、しかしです。
やがて、群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。
やはり骨だけだったので、鑑定をしても、それが誰のものなのかはわからなかった。
しかし、「県内で、他に不明の子がいない」という理由で、「その骨を明子ちゃんのものとしてもよい。」という発表があった。
私のように、後のなって骨を運んで行った人が居たのかもしれない。
去年、捜索しても何も無かった河川敷に明子ちゃんの骨があった。
そして、発表の後、明子ちゃんの両親は、御葬式をだした。
やはり、明子ちゃんだと限らなくても両親というものは、そういうものなのです。
私は、この事で、ある決心をし、計画をたてたのです。
我が子の骨を、今野宅の葬式として、正式に「お墓」に入れてもらおうと思ったのです。
この埼玉で、不明が初めて起こったのは、真理ちゃんだ。
もし、真理ちゃん宅のそばで、骨が見つかれば、群馬同様、「県内で、他に不明者がいないこと」から、「この骨が真理ちゃんのものである。」と発表すると確信した。
当然、全く関係ない正美ちゃんのことが関与してこられても困るので、私は持てる限りの物証を添えて骨を送った。
私は送る前に骨を焼きました。
私にとって「真理ちゃんの骨ではない。」という発表は絶対に困るからです。
段ボール箱に私の子の骨を入れ、真理ちゃんの歯数本と、体の骨を少し入れて混ぜました。
もしも届いた後、「真理ちゃんのものではない。」と発表されてしまうと、この私の子供の骨が、決して「墓」に入ることなく、また、永久に、私の手にも帰って来なくなる。
私にとって全てが賭けだったのです。
私はできることなら、神にさからってでも、あと15年は捕まりたくないと思っています。
これは私の願いごとなのです。
私は、神に斗いを挑まなくてはなりません。
宮ア 勤 連続幼女誘拐殺人
平成元年、強制わいせつで逮捕された宮ア勤が昭和63年から発生していた4件の連続幼女誘拐殺人の犯行を自供した。
宮アは4人の幼女を悪戯目的に誘拐し殺害。
幼女の死体の性器をいじったり、バラバラにして食べたり、焼却するなどした。
また、この過程をビデオや写真に撮影していた。
宮崎は両親、特に父親との関係が悪く、祖父に愛着を示した。
昭和63年5月11日、祖父が倒れた。
病院で昏睡状態の祖父を見て、宮崎はひどく狼狽する。
感情を失い、翌日、病院に行ってもおじいさんがただ眠っているだけだと思う。
友達に昏睡状態の祖父の写真を撮ってもらおうとする。
断られてもしつこく電話をする。
5月16日、祖父死亡。
遺体を家に運ぼうとしている時に、父の制止を振り切り、祖父の耳に飼い犬ペスの声のテープを聞かせる。
四十九日を迎える前のある日から、祖父が姿を現すようになる。
祖父の姿は生前の九割ぐらいの大きさで、動きは不活発、口数も少ない。
「もうすぐ他の者にも見えるようになるからな」「もうすぐ来るからな」と小声で言う。
祖父の骨を食べるという考えが浮かぶ。
深夜ペスを連れて墓場に行き、墓を暴いて、骨壺から骨を出して食べる。
4回墓を暴いて、遺骨の2、3割を食べる。
全部食べてしまわないと、姿を隠した祖父が生前の姿で甦った時に骨がダブってしまう。
墓を暴いて骨を食べる時、自分と姿形の似た分身が現れる。
分身は平気で墓を暴き、骨を食べる。
1メートルくらい後ろで見ていて、気味の悪い奴だと不思議な気がする。
気がつくと街中にいる。瞬間移動している。
瞬間移動の前後、「ついーん」という感覚が上半身か下半身にある。
不思議な力を持った者に連れて行かれた。
実験材料にされている。
時間をとられた。
家族に暴力を振るうようになる。
かみつくような、迫害する形相を見せたので、先手でやり返した。
冷蔵庫の裏に隠れた猫を鎌で殺す。猫の口に棒を突っ込んで殺す。
祖父の死後さわさわ≠ニいう音がし、知り合いの名前を呼ぶ声と「リンチ」と言う声が聞こえるようになる。
1人ぼっちの幼女に会う。
波長がぴったり合い、2人が重なり合って甘い世界にいる気分に変わる。
周囲が95%くらいに、こじんまりする。
幼女がその一部となる。
同時に分身が現れる。
分身は幼女が車に乗り込むまで幼女と同じ身長になっている。
分身はのそりのそりと行動している。
それをどっきんどっきん≠オながら見ている。
幼女に声をかけた後は、振り返らずに車まで歩く。
一心同体の幼女は、自分と同じ意思を持っているから何も言わなくても自分から助手席に乗り込む。車を出すと、ドライブ気分になる。
車から降りると、ドライブ気分からピクニック気分に変わる。
幼女にピクニックに行こうと声をかけたら、幼女も自ら進んで車を降りる。
幼女はついて来る。
幼女が泣き出す。
その途端、一心同体の甘い気分が一挙に吹き飛ぶ。
幼女が信頼を裏切った。
顔がネズミで体が人間のネズミ人間が現れる。
幼女が仲間のネズミ人間を呼びだした。ネズミ人間に取り囲まれる。
幼女が噛みつくような、迫害する形相になった。
こいつが私を襲わせた。
生きていられないと、わーっ≠ニなった。
幼女がネズミ人間を裏切り、「あなたたちは私の言うことを聞くのよ」と命令するので、ネズミ人間は幼女をやっつけて、消える。
またネズミ人間が出ると思った。
幼女が動かなくなったので不安になり、家に飛んで帰る。
ネズミ人間は出なかった。
神様はチャンスをくれたと思った。
第一回簡易鑑定 「精神病ではない」
第二回鑑定 「人格障害!責任能力あり」
第三回鑑定 「多重人格現象を伴う反応精神病」と「精神分裂病」に割れる
三回の鑑定が四つに割れた事、日本の裁判で多重人格という鑑定が現れた事など、宮崎事件は精神鑑定にも大きな事件となっている。
宮崎の妄想を追っていて感じたのは、他の者は日常の現実を妄想が虫食いにしている状態であるのに対して、宮崎は妄想がすっぽり現実を包んでいるという事だった。
分身やネズミ人間が現れる夢の中を、宮崎は歩いている。
宮崎をどうするのか、日本の精神鑑定が問われている。
精神鑑定で行う心理テストは十種類以上におよぶ事がある。
これは病院で患者に実施するよりもはるかに多い。
それは非鑑定人(被疑者)に様々な方向から光をあて、総合的、立体的に精神を推測するためである。
精神医学的な問診の結論は多分に主観的、経験的、直感的なものだ。
しかしこれでは法廷での質問に論理的な説明ができない部分が多い。
そこで結果が数量的に示される心理テストによって科学的で客観的に見える説明が必要となって来るのである。
また、心理テストは詐病を見破る役に立つし、その逆に病状が本当である証明にもなる。
知能テスト
知的能力、適応効率など意識的側面を推測。
性格テスト
パーソナリティの気質、性格などの側面を推測。
投影テスト
被検者がそれと知らずに、自分のパーソナリティの一面をあらわにする。
知能テスト
WAIS―R、知能障害の診断、一般的知識、一般的理解、算数問題など、11の検査で構成されている。
性格テスト
質問紙法、精研式パーソナリティ・インベントリィ、気質、性格などの診断、50の質問に0〜3の程度に答える。
質問例:あなたは、考えや性格の違う人とでも、気軽につきあう方ですか。
モーズレイ性格検査(MPI)
内向性、外向性と、神経症的傾向の検査、80の質問に答える。
?が多いと不正確。
質問例:自分が気に入ったわずかな人としか付き合わない方ですか。(はいorいいえ)
ミネソタ多面人格検査(MMPI)
パーソナリティ検査のあらゆる面で使用。特に精神保健、矯正、相談に利用
カード式 550枚のカードの記述が自分にあてはまるかどうか。
冊子 式 550の質問の記述が自分にあてはまるかどうか。
記述例:遠くにいてもみんなが私の噂をしているのがわかる。
矢田部ギルフォード性格検査(YG)
性格の全体構成の把握
文章化された質問に「はい」「いいえ」「どちらとも言えない」で答える。
30分〜40分かかる。
質問例:小さなことでもなかなか決断できない。
性格テスト
投影法
文章完成テスト(SCT)
パーソナリティの有機的全体像を把握
60の短い刺激文に続けて、文章を書く。
例:子供の頃、私はローゼンツァイクP―Fスタディ、人格の独自性の把握、2人の人物が描かれた24枚のマンガがある。日常経験する軽い欲求不満場面である。左の人物が右の人物を欲求不満に陥れる言葉をはいている。
場面順に、右の人物の言葉をセリフのふきだしに書き入れる。
ロールシャッハテスト,パーソナリティの査定
心理診断
インクの染みが何に見えるかを答える。無彩色図版5枚、彩色図版5枚。
提示順に番号がついている。
HTPテスト
心的状態、知的水準の把握
Hは家、Tは木、Pは人で、すべて自己像。
家と木と人の絵を描く。
家には家族関係、家庭生活への態度、感情が表れる。
木には心の中の自己への態度が現れる。
人には表面的な適応度が現れる。
動的家族描画法
家族関係の無意識の影響の把握
何かしている姿の家族を描く。自分自身もふくめる。
風景構成法
精神分裂病、気分障害、人格障害特有の特徴が表れる。
画用紙にサインペンで枠を描いて渡し、風景を描かせる。
川、山、道、田など、描くものを順次指示し、最後に好きなものを描き、クレヨンで彩色させる。
絵画統覚検査(TAT)
潜在的衝動、感情、情緒、葛藤を明らかにする。
29枚の絵と1枚の白紙、の中の10枚前後から物語りを作る。
これの派生的なテストもある。
性格テスト
作業法 → 内田クレペリン精神検査
職業適性配、性格診断
となり合わせの数字を足して、1ケタの数字を記入して行く。
1分ごとに次の行に行く。
練習2分、本番15分、休憩5分、本番15分
知覚・感覚テスト
ベンダー・ゲシュタルト・テスト → 視覚運動機能、機能的器質的傷害の様相を把握
性格の偏りを診断
9枚のカードに1つずつ描かれた9個の幾何学模様の模写。,
記憶テスト
ベントン視覚記銘検査 → 視覚銘記構成能力の評価、視覚脳の破損に敏感なテスト。
図版カード(3パターンのうちどれか)10枚を10秒ずつ見た後、同じ大きさの白紙10枚に見た図版を描いて行く。