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(回答先: 井の頭公園バラバラ殺人事件【こんな事件もありましたね】 投稿者 エンセン 日時 2003 年 7 月 26 日 16:01:34)
名古屋妊婦殺人事件
昭和63年3月18日夜、愛知県名古屋富田町供米田のアパートで
出産間近の主婦守屋美津子さん(27)が絞殺された。
被害者はみぞおちから下腹部にかけて縦38センチにわたって腹を裂かれていた。
臨月の被害者の足もとには、被害者の腹から取り出された赤ん坊が、あお向けに置かれていた。約30センチのヘソの緒をつけたまま、泣いていた。ヘソの緒は切られていた。被害者の腹の中には、コードを切ったプッシュ式電話の受話器とミッキーマウスの人形がついた車のキーホルダーが入れられていた。受話器は発見者である夫が取り出した。入院した赤ん坊は無事で、夫の両親の輸血などで19日には回復。保育器の中で順調に育った。2930グラムだった体重は、退院前の測定では3336グラムと、通常出産の赤ん坊と変わらなかった。
付近は新興住宅地で、事件当時は、まだ畑の残る寂しい場所で、目撃者もいなかった。現場は名古屋市の中心部からは外れた地域だった。いかにも新興の住宅地で、一戸建ての住宅やアパート、大小のマンションが立ち並んでいた。
現場の2階建てアパートの近くにはマンガ喫茶もあったが、客はほとんど入っていなかった。全体的には人通りの少ない、静かな、別の意味では寂しい地区である。
車で走ると、近くには大型の病院がいくつもある事がわかる。こうした大型の施設が建てられるだけ、地価もそれほど高くなくて適当な、新しい場所なのだろう。
しかも、車でならば、名古屋の中心地からそれほど離れてはいない。
事件当時は畑もあったというが、その頃はもっと寂しかっただろう。
事件解決に結びつく犯人の目撃者もいなかったのも納得がいく。
静かだという事は、また、平和だという事でもある。こんなありふれた平和な光景の中で、日本の犯罪史に残るような、残虐で猟奇的な事件が起こったと思うと寒気がした。そう、最も起こっては行けないような事件が、最も起きてはいけない場所で起きた。
しかも犯人は逃げおおせている。
この事実に、そして犯人に許し難いものを感じながら歩いた。
事件現場となったアパートを探し当てるべく、通りがかりの人や、昼食を食べに入った喫茶店に話を聞きながら歩いた。
昼頃は少し暖かかったが、少しずつ冷えて来ていた。
驚いた事に、事件の事を知らない人がずいぶんといた。
それだけ、この辺りには新しく入ってきた人が多いという事だろう。
事件は、現地で埋もれつつあった。
この事件の最初の重要参考人は夫だった。
つまり、警察は夫を容疑者として見ていたのだ。しかし、違った。
一般的な夫婦の争いから妻を殺してしまう夫は沢山いる。
しかし、この事件の特徴を見れば夫にできるような犯行ではないことは一目瞭然のはずだ。夫婦げんかの果てに、カッとなって殺したというのだったら、腹を裂いて胎児を取り出すなどしないだろうし、出来もしない。その上、胎児を取り出した腹の中に、代わりに受話器とミッキーマウスのキーホルダーを入れておくなどは、カッとなって人を殺してしまう人物の犯行ではない。ここに初動捜査にミスがあったと言える。
この事件について、精神科医の春日武彦氏が、事件の特徴を的確におさえながら自著である『心の闇に魔物は棲むか』の中で示唆的な事を述べている。
臨月の妊婦の腹を切り裂くなどというのは、とうてい素人の出来る事ではない。
産婦人科医でなければ無理だというのである。
春日氏は、精神科医になる前は産婦人科医であり、当時は名古屋方面にいた。
自分のような人が犯人像に最も近いと書いている。それならば話は早いのだが。
通常、産婦人科医は縫合までをふくめて帝王切開手術を30分で行うという。
胎児を取り出すのは3分から、せいぜい5分、母胎が死んでしまったら、酸素が送られないため、胎児は15分で死ぬ。
被害者を絞殺した犯人は、15分以内に被害者の腹部を切り開き、胎児を取り出し、ヘソの緒を切ったのである。
被害者には、ためらい傷はなかったという。つまり、手慣れていたという事だ。
しかし、犯人は産婦人科医とばかりは決めつけられない点もある。
産婦人科医は上から下に、つまりみぞおちから下腹部に向けて切るという。
下腹部には膀胱があり、傷つけるのを避けるためだ。
だが、犯人は下腹部からみぞおちに向かって、つまり下から上に切っているのである。
もし犯人が医者であるなら、わざわざ馴れない切り方をした事になる。
だが、それも医者である事を隠すためにわざとした事だとしたら、産婦人科医が怪しいという説は揺らがない。
切り方よりも、臨月の妊婦を腹を切り裂き、胎児に傷を負わせていない手際の方が強いのである。しかも、ヘソの緒を切る事までしている。
事件の動機については、ただやってみたかったからではないかというのが一般的な説となっている。つまり、犯人は異常者という事である。
妊婦の腹を裂き、胎児を取り出すという異常な行為の理由は、行為そものが目的の異常性の発露でしかないだろう。
被害者の腹に残されていた電話の受話器とミッキーマウス人形のついたキーホルダーは、あまりにグロテスクだが、これに意味を見いだす人もいるし、ただの悪戯だとする人もいる。そもそもこの異常者の犯人にとっては、殺人も悪戯に近い行為だったのだ。
何もかもが悪戯の意味しかなくても不思議ではない。要するに異常なのだ。
犯人像は、外科的な技術、とりわけ産婦人科的な技術のある異常者だという事になる。
妊婦に関心を持つ異常者はいるだろうが、ただの異常者では胎児に傷をつけないように腹を切り裂き、胎児を生きたまま取り出しヘソの緒を切るような事は不可能なのだ。
被害者の近辺からは犯人は現れなかった。
それでは、犯人はどこで被害者を知ったのだろうか。
ひとつは名古屋の中心部で被害者を見かけ、後をつけたという風に考えられる。
そうして狙いをつけておいて、事件当日、犯行を決行したのである。
あるいは、現場が高速道路のインターチェンジに近いという事を考えると、車で走っていた犯人が、被害者を見かけたという事も充分にありえる。
どちらにしても、犯人が車を使っているのは間違いない。
犯行を犯した後の犯人は、ビショビショだったはずだ。
車に乗り込まなければ逃げられるはずはない。
取材には東京から車で行き、日帰りで帰って来た。
つまり、かなり遠くからでも行き来出来るという事になる。
ここで、日本警察が最も苦手とする管轄をまたがる広域捜査の可能性も出てきている。
事件が未解決になっている理由のひとつとして、犯人が他県から来たという可能性を考えるべきなのである。
未解決事件の取材をしていて、警察は何をしているのかと考えさせられた。
あまりに悲惨な事件がそのままになっているのである。
異常事件の犯人はこれまでの警察の捜査方法では捕まえにくいのだろう。
だが、異常事件の犯人は、必ず事件を繰り返す。
最初は間をおいて、そして、少しずつ頻繁に犯行を繰り返すようになる。
一日でも早く事件を解決しなければならないのだ。
警察は早急にこうした事件の捜査を充実させなければならないだろう。
被害者は青のマタニティドレスにピンクのジャンパーを着ていた。
黒いパンティーストッキングをつけていた。服はたくし上げられていた。
両手は後ろ手に縛られ、首にはコタツのコードが巻きつけられていた。
被害者の夫は、ずっと子供に母親が殺害されたという真実を告げられないでいるという。
名古屋妊婦殺人事件
1988年3月18日午後7時半すぎ、会社員の靖男(仮名/当時31歳)は仕事を終え、名古屋市中川区の新興住宅地にあるマンションの自宅へ急ぎ足で向かっていた。
自宅には当初の出産予定日が3月13日ですでに5日が経過している愛妻の守屋美津子(27歳)が一人でいるからだった。日に2回は自宅に電話を入れ、美津子に陣痛の始まる気配がないかを確かめていた。そして18日の当日午後1時の電話で「まだか?」と問いかける靖男に、美津子が電話に出て「まだみたい」と明るく答えている。
だが、靖男が会社を出る間際の午後6時50分に自宅に電話をかけてみたが、いつもなら3回と鳴らないうちに電話に出るはずの美津子が、なぜか呼び出し音を10回鳴らし続けてもついに出なかった。
午後7時40分、靖男はたどり着いたマンションの入口で、道路側2階の自宅を見上げた。いつもなら灯りがついているはずの部屋が真っ暗になっており、その時刻には取り込まれているはずの洗濯物も干されたままであった。
靖男は急いで階段を駆け上がり、ドアノブに手をかけた。
すると、いつもは用心深く施錠してあるはずのドアがスーッと開いた。
静まり返った家の奥の部屋から声が聞こえてくるようだった。
最初、その声を靖男は空耳だと思ったという。ゆっくりと声のする奥へ足を進めながら、次第に声の意味が分かり出し、靖男は自分の耳を疑った。
それは間違いなく人間の赤ん坊の発する泣き声だったのだ。
奥の部屋に入った靖男は、今度はわが目を疑った。
電気こたつの横に両足を大きく開いた状態で、仰向けで動かない美津子を発見した。
青いマタニティドレスにピンクのジャンパーを羽織り、黒いパンストをつけたまま、白い紐のようなもので後ろ手に縛られ、電気こたつに接続されたままの電源コードで首を絞められていた。
両足の間には弱々しく泣き声を上げる血まみれの嬰児がおり、そのお腹からは、およそ30センチほどのヘソの緒がうねうねと畳に延びていた。
美津子の体は胸からみぞおち、下腹部にかけて薄いカッターナイフのような鋭利な刃物で真一文字に縦38センチ、深さ2.8センチに切り裂かれていた。刃物は通りにくいヘソの周りは迂回して切り裂き、嬰児が異常分娩で産まれたのではない証拠に、子宮も12センチに渡って切り開かれていた。犯人がそこから胎児を取り出したことは明らかだった。母親の子宮から取り出された胎児は、乱暴にヘソの緒を切られ、刃物の切っ先によって、ひざの裏、大腿の裏、股間の3ヶ所に傷を負わされていた。
靖男は救急車を呼ぼうとして電話のある玄関に引き返したが、あるはずの電話がなく、コードが引き千切られていた。なぜ電話機がないのか?考えている時間はなかった。
靖男はドアの外に転がり出て階段を駆け下り、階下の住人からひったくるようにして電話を借りて119番通報し、奇跡的に男の子の一命はとりとめた。
体重は2930グラム。
しかし、なぜ電話機がなかったのか?それは鑑識の現場検証で明らかになった。
美津子の遺体を調べてみると、切り裂かれた子宮の中には最新型プッシュホン式電話機と車の鍵がついたミッキーマウスのキーホルダーが無造作に押し込まれていたのだった。
犯人は現場に何も残しておらず、指紋はきれいに拭き取られ、台所には血を洗い流した跡があった。また、遺体には性的暴行を受けた跡や激しく抵抗した跡はなかった。
警察はいくら捜査してみても何を目的とした犯罪であるのか解らなかった。ちなみに、この事件のとき、美津子の財布ごと数千円の現金が盗まれているが、それ以外の金目のものには手付かずであることから空き巣狙いという線は薄いと見られていた。
その日、靖男や美津子の交友関係を調べたほか、マンション近くを通りかかった通行人435人を確認一人ひとりを丹念に捜査したが、いずれも該当する容疑者はいなかった。靖男自身も疑われたが、帰宅直前まで会社にいたという完全なアリバイがあるので疑惑は晴れている。
被害者の美津子はサイドビジネスとして、家庭用品販売をしており、事件当日の午後1時50分ごろ、美津子の知り合いの主婦(当時31歳)が子連れで美津子の部屋を訪れ、脱臭剤を2千数百円で買っている。主婦が払った代金は美津子が財布にしまったが、のちに、この財布が犯人によって盗まれることになる。午後3時ごろまで、美津子はこの主婦と談笑したあと、階下の駐車場まで見送っている。
その隙に美津子の部屋へ犯人が侵入したのではないかという推測もある。
主婦は手みやげとしてイチゴを持って来ており、美津子はそれを一緒に食べている。
食べ残しのイチゴが盛られた食器は、こたつの上に置かれたままになっていた。
殺害の推定時刻は解剖して胃の内容物を調べた結果、午後3時過ぎとされた。
事件当日の午後3時10〜20分ごろ、被害者の階下に住む主婦が不審な男を目撃したという。その主婦によると、自宅玄関でドアノブをガチャガチャと回す音がして、チャイムを鳴らされたので、ドアを半開きにすると、身長165センチくらいで30歳くらいの一見サラリーマン風の丸顔の男が立っており、その男に「ナカムラさんのところを知りませんか」と訊かれたが、「知りません」と答えて、すぐにドアを閉めたという。この男は犯行現場となったマンションの周りをウロウロしているところを何人かの人に目撃されている。この男が事件と関係していたのかどうかは不明だが、「ナカムラ」は被害者の名前でないことは確かである。
結局、犯人像を「死体破壊を好む性的倒錯者」とし、近隣の各駅辺りには、
<身の周りに妊婦に異常な興味を持つ人がいたら、お知らせ下さい>
という立て看板が一斉に設置された。
そして、その後の懸命の捜査にもかかわらず、現在まで犯人の逮捕には至っていない。
『犯罪地獄変』(水声社/犯罪地獄変編集部編/1999)という本があり、この事件のことを取り上げているのだが、この本によると、事件のあった前日の3月17日、テレビの深夜番組で歌川国嘉と芳年の残酷浮世絵「無残絵英名二十八句」を紹介したという。芳年の浮世絵には「縛り上げた妊婦を切り裂き、赤ん坊を取り出す」というモチーフがあるらしい。犯人がこの番組を見て犯行に及んだと考えるのはいささか短絡的ではあるのだが、まったく関連性がないかと言われると否定はできない。
美津子の子宮の中からは「電話機」と「車の鍵が付いたミッキーマウスのキーホルダー」が発見されているが、「電話機」を隠すという行為には外部への連絡を少しでも遅らせようとした意図が感じられるし、「車の鍵」を隠すという行為も同様に考えると、被害者を病院へ運ぶということを少しでも遅らせようとした意図が感じられる。
だが、どうして隠し場所が子宮の中なのかが謎。
他にも発見されにくい場所はいくらでもあったはずだと思われるのにわざわざ子宮の中にしたことに犯人の妊婦への異常な関心がうかがえる。
やはりこのことから考えても単なる物盗りとは思えないようだ。
また、美津子がサイドビジネスとして関わった商品販売グループには、過去にマルチまがいだと噂されたことがあった。こうしたことや、子宮の中に押し込められていた「電話機」と「ミッキーマウスのキーホルダー」からその意味するところを「ねずみ講」と推測し、その関連からの恨みによる犯行ではないかと指摘する人もいるのだが、とすると、「車の鍵」は被害者宅の物だが、「ミッキーマウスのキーホルダー」は犯人が用意したもの?
真相は闇の中である。
名古屋妊婦殺人事件
1988年3月18日
名古屋市中川区内において、犯罪史上まれに見る凄惨な殺人事件が発生した。
臨月の若い妊婦M.Mさんが、白昼、アパート自室内において、何者かにコタツのコードで首を締められた。犯人は、のみならず、妊婦の腹部を鋭利な刃物で切り裂き、なかから生きたまま胎児を抜き出した。そして、胎児の代わりに、腹部に電話の受話器を突っ込むなどして遺体をもてあそんだのち、財布を奪って逃走した。
夕刻、帰宅した夫S.M氏によって、現場の惨状が発見され、胎児は奇跡的に一命をとりとめた。愛知県警は大規模な捜査網を敷いて、犯人逮捕に全力をあげたが、発生から13年余が過ぎた現在でも事件は解決に至っていない。そして市民の間ではこの事件に対する関心もすっかり風化し、やがて時効の成立を迎えようとしている。
犯人はいったいどこへ行方をくらましたのだろう。実は、愛知県警は、事件発生しばらく後よりひとりの人物を重要容疑者として特定し、内偵と警備とを続けてきた。
しかし、逮捕に踏み切るだけの証拠をそろえることができず、容疑者を泳がせたままにしているのである。
その容疑者は、殺人発生現場から歩いて5分程度の至近距離に住む、当時23歳の男だ。そしてその男は、現在ものうのうと同じ住居に住みつづけている。
私がこの事実を知ったのは、1990(平成2)年のことである。
この年、私は、ある不審な若い男より家宅不法侵入の被害に遭いかけた。
その未遂被害を警察に届け出たその後の過程において、私は、私を襲わんとしたこの男が、妊婦殺人事件の容疑者とされている人物であることを、刑事みずからの口から知らされるに至った。そればかりではない。
被害に遭いかけた私が、緊急110番通報を行った際、容疑者の別件逮捕を狙った捜査当局は、通報を受けながら故意に警官の出動を遅らせるといった挙に出た。
そのような恐るべき事実も、明らかになってきたのである。いわゆるおとり捜査だ。
捜査当局は、この難事件解決のために、容疑者がもう一人女を殺してくれるのを、警官を遅らせることによって、待ったのである。
容疑者がすでに特定されていることが民間に知られていないのを良いことに・・・。
私が、このウェブサイトを立ち上げたのは、以上の事実をひろく社会に知らしめ、警察内部に巣食う人命無視の体質の非を糺さんがためである。内容は次のとうりである。
1988年3月18日昼過ぎ、名古屋市中川区供米田にあるアパートの一階の部屋に住んでいたひとりの女性は、ふと不審に思った。何者かが、鍵の掛かった玄関のノブを、外側からがちゃがちゃと回してドアを開けようとする。開かないとわかると、チャイムが鳴った。女性が玄関を開けると、20代前半の若いサラリーマン風の男が、こう尋ねた「ナカムラさんのうちはどこか」。
女性は、男の雰囲気が妙に異様だったので、警戒してドアチェーンをはずさなかった。「ナカムラといううちは知らない」と答えると、男はそのまま顔を引っ込めた。
(事実、ナカムラなどと言う姓の家はこのあたりに一軒もなかった。この質問は取り繕いだった。)
男はそれから、アパートの階段を上って二階へ来た。今度も、どれでもいい、適当な部屋のドアノブを選び、がちゃがちゃと回した。おや、今度は開いた。
鍵が掛かっていなかった。男は、こっそりと部屋の中に侵入した。
この部屋の住人である若い主婦M.Mさんは、不在だった。
さきほど訪ねてきた友達としばらく談笑していたのだが、車で帰るという友達を見送って、アパートの表の駐車場まで出ていたのだ。
部屋にはすぐ戻るつもりだったので、玄関の鍵はわざわざ掛けておかなかった。
そのすきに、まんまと男が忍び込んだ。
友達を見送ったあと、M.Mさんがなんの不安もなく部屋に戻ってきた。
そこを、物陰に隠れていた男は、背後から襲って彼女の首を締めた。
それが、彼女がほとんど抵抗らしい抵抗もできずに、殺されるに至った理由だ。
男は、コタツのコードを彼女の首に巻きとどめをさした。
男が見ると、彼女のおなかは大きく膨れていた。臨月の妊婦だった。
男は鋭利な刃物を取り出すと、そのおなかを切り裂いた。
なかから生きたまま胎児を取り出した。あたりはすでに血の海である。
その血の海のなかに胎児を放り出すと、男は、電話の受話器を引き千切り、それを彼女のおなかに突っ込むなどして、いいようにもてあそんだ。
やがてそれにも飽きると、男は、部屋から財布を奪って、逃げていった。
夕方、M.Mさんの夫である会社員S.M氏がアパートの部屋に戻り、現場の悲惨な情景の第一発見者となった。胎児はすぐ病院に搬送され、奇跡的に一命をとりとめた。
捜査当局は当初、なんと夫であるS.M氏を犯人であると推定し、身辺を洗った。
若い夫は激怒し、もう警察には頼らない、犯人は自分で探すと、殺人発生現場のアパートに陣取った。このような初動捜査のあやまりが、その後の経過に大きな陰を投げかけた。やがて捜査当局は、別の一人の男を重要容疑者として特定するに至る。
殺人発生時刻前に、アパート一階の女性に顔を目撃された当の男だ。
だが、現在にいたっても容疑者は逮捕されていないのである。
以上が、妊婦殺人事件のあらましである。
(注記;犯行の手口については、私が刑事との会話の中で確認を取った点と、新聞記事などから得た情報をもとに、再構成しました。従って細部においては誤りもあるかもしれませんが、手口のあらましは捜査当局の見解に準拠しています)
私の家は、妊婦殺人事件発生現場のすぐ近くに位置する。
殺人事件の起きた88年3月から2年ほどが過ぎた90年2月のある晩、不審な若い男がわたくし宅へ不法侵入を試みようとした。私はそのとき一人で留守番をしていたので、110番通報して警察に助けを求めた。通報されていると気づき、男はすぐに逃げた。 通報より15分も過ぎてから、警官2名が現れた。わたくし宅の至近距離(500mほどのところ)にあるT派出所員だった。
彼らは通報の男が妊婦殺人の犯人である可能性を念頭におき即刻駆けつけた様子だった。警官が異例なほど簡単に調べを終え、バイクの音を立てて去ったあと、くだんの男が再びわたくし宅を襲いにやってきた。今度はガラス窓を叩き破り侵入しようとする。
私は再度110番した。男にも通報したことを告げた。
男はわれにかえって、またすぐに逃げた。逃げる姿を、私は2階の窓から目撃した。
真冬の夜というのに、Vネックの薄いカーディガンという軽装だった。
男は、わたくし宅の隣の建築中の資材置き場までいくと、そこに隠してあったジャンパーを着込み、自転車で逃走した。
やがて通報より40分も過ぎてから、警官が一名現れた。
先ほどのT派出所員とは、まったく別の人物だった。
この警官は、到着が遅れた理由をこう述べた。「さっき来たのは遠い伏屋派出所の所員だった。だから来るのが遅かった。彼らは別の事件のほうに向かったので、代わりにさらに遠い下之一色派出所の自分が来た。管轄外の家を探しながら来たので、こんなに遅れた」 翌日、私は愛知県警中川警察署の妊婦殺人事件担当者に電話を掛けた。
もし私が被害に遭った男が、この事件の犯人の可能性があるなら、心当たりがあるから捜査に協力できる旨を申し出た。
数日後、刑事がわたくし宅へ現れた。
「調査の結果、襲われたとあなたが主張する男は、実は***(=あるボランティア組織)のメンバーであることがわかった。男はあなたの家に***の集金が目的で来たのだが、あなたが怪しい男と勘違いして玄関を開けてやらなかったために、怒ってガラス戸を少し強くたたいただけだ。あなたを襲おうとしたのでは決してない。また、妊婦殺人事件とも一切関係がないから、安心していい」
そんな説明を聞いても納得できなかった私は、数日後、再び中川警察へ電話を掛けた。このとき若い刑事がうっかり、「その男、われわれも殺人容疑者として足取りを追っているのだが、手がかりがなくて困っている」と漏らすのを聞いた。
電話を切ったその直後、わたくし宅へ、別の年配の刑事が血相を変えて飛び込んできた。彼は声を上ずらせながら、「違う!違う!あの男は容疑者なんかじゃない!」
と否定してまくし立てた。
警察はわたくしの家の電話に盗聴を掛けていたのだ。
この刑事は、私と若い刑事との会話を盗み聞きしていた。
そのうえ、わたくし宅のすぐ近くで、盗聴と同時に張り込みを行っていたために、すぐにうちへ飛び込んでくることができたのだ。
翌日、私は、近所の鉄道駅で、若い私服刑事が張り込みをしているのに出くわした。
よく見るとなんとその男は、110番騒ぎが合った夜、二度目の通報で「自分は下之一色派出所の警官だ」と名乗ってやってきた人物だった。
つまりこういうことだった。
捜査当局は、私が被害に遭う前から、その男を妊婦殺人事件の容疑者としてマークしていた。私が110番通報をしたとき通報の主旨では、男はまだ犯罪に着手していない。したがって、今すぐ踏み込んでも、別件逮捕することができない。
そのためT派出所員への出動命令を10分程度遅らせた。
男が殺人を実行するまでの時間の余裕を与えるためだった。
だが、派出所員が現場に到着してみると、男は逃げたあとで、私はまだ生きていた。
そこで、捜査当局は無線の指示によって警官を現場からすぐ立ち去らせ、男がもう一度私を殺しに来るのを待った。
捜査当局の期待通り、資材置き場の陰に隠れていた男は、派出所員が去ったのをこれ幸いと、再び襲いにやってきた。だが、このときも通報されてすぐに逃げてしまった。
捜査当局は、男が三度目に来るのを待ってみたが、来ないようなので、派出所員を装わせた刑事をわたくし宅に派遣し、怪しまれないように、警官の到着が遅れた理由を言い訳させた。T派出所員が来ているのに、「あれは遠い伏屋からきた警官だった」と。
以上、かいつまんで述べたが、このことが事実であることと、このようなおとり捜査行為がこのときの状況ではいかに危険なものであったかを、これから詳しく説明していこうと思う。
2月16日未遂事件発生
1990年2月15日、私の父は末期ガンのために、自宅近くの病院に急入院しました。
母も付き添いのため、病室に寝泊りすることになりました。
私は、当時、持病のため自宅療養中、独身で無職でした。
父母が家を空けたので、私は一人で留守番をすることになりました。
その翌日の2月16日夕方6時過ぎ、わたくし宅の玄関チャイムが鳴りました。
私はインターホンをとって応対に出ました。
若い男の声で、「ホケンの集金に来た」といいます。
保険の掛け金なら口座引き落としが普通なのにオカシイ、と私は思いました。
集金と偽って戸口を開けさせ、物を売りつける手口のセールスマンかも知れない・・・。
「私、いまうちにひとりでいます。保険のことは家族から聞いていないから解りません。申し訳ないが、家族のいるときに、改めて出直してきてもらえませんか」
そうバカ丁寧にいうと、男は何も返事をしませんでした。
納得して帰るものと思い、私はインターホンの受話器を置きました。
ところが、そのあとで、静かにまたチャイムが鳴りだすのです。
まだ用があるのかと思い、インターホンを取り「もしもし?」と聞き返しました。
ところが男は何も返事をしません。なんど聞き返しても同じです。
一言もしゃべりません。ただ静かに静かにチャイムを鳴らしつづけるのです。
どういうことなのでしょう?それだけではありません。
何か形容しようもない異様な雰囲気が、男のいる玄関先から漂ってきます。
全身総毛だつ異様な殺気のようなものです。さすがにこれはオカシイと直感し、私は半ばパニック状態になりながら電話に飛びつきました。
110番を回し、悲鳴に近い大声で、こう訴えかけました。
「セールスマンとおぼしい不審な男が、とにかく開けろ開けろという意味なのか、さっきからチャイムを鳴らし続けているんです!」電話のある部屋は、玄関の近くにありました。男は、私が通報しているのを悟って、かき消すようにいなくなりました。
110番センターの係官は、私の住所氏名を聞きました。
私が住所を「■■」と告げると、彼女は何かはっと思い当たるような様子をしました。(妊婦殺人事件は中川区供米田で発生しています。私の住む■■は、すぐ隣の地区です。)
通報を終えて何気なく掛け時計に目をやると、6時20分ちょうどを指していました。(私は時計確認癖があるのです。)
警官はなかなか到着しませんでした。わたくし宅から500メートルほどの至近距離にT派出所があるのですが。遅いな変だなと思いながら、再び時計を見ると6時35分。通報から15分も過ぎています。
このときちょうど、警官がやってきました。T派出所員二名でした。
彼らは、私の通報した男が、妊婦殺人の犯人である可能性を念頭に起き、人命救助のために即刻駆けつけてきた様子でした。厳しい面持ちをしていました。私が、男は逃げてしまったようだというと、警官は懐から無線機を取り出し、どこかと交信を始めました。指示を仰いでいる様子です。
交信を終えると、彼らは私に「では、われわれはこれで帰りますので」といいました。帰るようにとの指示が出たようなのです。
そしてバイクの音を立ててさっさといってしまいました。
私は、おやっおかしい、と思いました。私の家は、敷地百数十坪ほどある農家です。
庭には納屋が二棟あり、庭木も生い茂っています。男は庭のどこかに隠れているかもしれないのに、警官は玄関先で立ち話をしただけで、庭を調べようともしない。
また男は、家の周囲の外に潜んでいるのかも知れないのに覗いてみようともしないのです。彼らがわたくし宅にいたのはほんの三分程度のことでした。それだけであっけなく、引き上げてしまったのです。殺人犯逮捕を想定してきているのに。
こんなことってあるのでしょうか?
首をかしげながらも、私は再び玄関を厳重に戸締りし、家の中に入りました。
そして近くに住む姉の家に電話を掛けました。不審な男が来て警察を呼んだ旨を話していると、その最中に、再びあの男が玄関先に舞い戻ってきたのです。
「***(=あるボランティア団体の名称)のものです!集金に来ました!」
自分は怪しいものではないといわんばかりに大音声で名乗りをあげると、口調の礼儀正しさとはうらはらに、玄関のガラス戸を激しく破らんばかりに叩くのです。
私は姉に助けに来てくれるように頼み、そのあと110番に再び連絡しました。
通報を終えたあと、興奮状態の男に向かって、「警察を呼びましたよ!」と一喝すると、男がガラスを破って侵入することを恐れ、2階に避難しました。
さっき出たばかりの警官がすぐ戻って来てくれるはずだから、2階に逃げていればそれまでは持ちこたえられるだろうと思ったのです。
2階の窓から庭を見ると、男がちょうどこそこそと逃げていくところでした。
玄関の外灯に照らされて姿がありありと見えました。
男は、門を出るとき、玄関のほうを振り返って見ました。
そのとき、男がVネックの薄いカーディガンという、真冬の夜に外を出歩くとは思えない軽装であることを、私ははっきり見ました。襟巻き一つしていません。
また、集金と名乗っていたのに両手とも手ぶらで、また、素手であることも。
男が門を出て東へ向かった直後、姉夫婦が駆けつけてきてくれました。
義兄は玄関を入って来るなり「隣の資材置き場の陰から、若い男が自転車で慌てて飛び出していった。あの男が怪しかったが、違うかね?」その若い男は、茶色のジャンパーを着ていたといいます。
私が庭で目撃した男と、姉夫婦が目撃した自転車の男の年格好を突き合わせてみると、ぴたりと一致します。服装以外は。わたくし宅の東隣は、当時建築中の資材置き場になっていました。隠れるには絶好の場所です。
第一の通報のあと、どうやら遠くへは逃げずに、男はずっと資材置き場に隠れていたらしい。警官が来てやがて行ってしまったのをバイクの音で知ると、もう大丈夫とばかり、着ていたジャンパーを脱ぎ捨て準備万端整えて、ふたたびわたくし宅へ襲いにやってきたと推測されます。2度目の通報でも、警官はなかなか来ませんでした。なんと40分ほども過ぎた7時15分になって、警官がやっと現れました。しかも最前の派出所員とはまったく別の若い人がひとりでした。
彼は、私たちが何も聞かないのに、警官が遅れた理由を自分から話し出しました。
「さっき来たのは、伏屋派出所のおまわりさんだった。遠い派出所から来たので到着が遅れてしまった。彼らは、別の重要事件が発生してそちらのほうへ向かった。それで、代わりに、もっと遠いところの下之一色派出所の私が来た。管轄外の家を探しながら来たので、こんなにも遅れてしまった」
この警官は奇妙なことを言うものだ、と私は首を傾げました。
私の家のすぐ近くのT派出所員が来ているのに、それを別の遠い伏屋所員だと言うのはなぜだろう。それに、最初に来た派出所員は、妊婦殺人の犯人逮捕を念頭においてかけつけてきたのだ。この辺のような田舎で、殺人犯逮捕よりももっと重大な事件がそうそう発生するのだろうか?それに自分が遅れた理由を言い訳するならまだしも、先の通報で警官が遅れたわけまで、一派出所員である彼が知っているとはどういうわけなのだろう?
しかもこの警官は、先の派出所員と同様、わたくし宅の庭や周囲など調べてみようともせず、遅れの言い訳だけ告げるともう用は済んだといわんばかりにさっさと帰ってしまったのです。おかしいと思いました。
男のその後と家族の対応
男は、私の父の名が印字されたホケン証書を、「俺はもうあのうちへは集金に行ってやらん」と、K.Uさんにつき返したそうです。そこで、私の母がK.Uさんのところまで出向いて、千円の金を払い、証書を受け取ってきました。
私はその証書を見て、おかしいものだと思いました。
2度目の通報のあと、私が2階の窓から逃げてゆく男を目撃したとき、男はてぶらであったのを、私ははっきりと確認しています。もし男が、刑事の言うとおり集金が目的で来たのなら、男はホケン証書を携えていなければならなかった。
証書はB6判の薄いノーカーボン紙です。仮に男が証書をズボンなりカーディガンなりのポケットに入れてきていたのなら、折り目くらい付いていなければならない。
けれども証書は、しわ一つなくぴんぴんのままでした。
それに刑事は、「男はいったん自分の家まで戻って、また出直してきたのだ」と説明していましたが、男に直接会ってそう釈明するのを聴取したわけではない。
刑事が、勝手な推測でそう説明付けているだけなのです。
その***のメンバーの男は、実は、私の家から歩いて3分とは掛からない所にある家の息子であることが、近所の人から聞いて知れました。彼の父母と私の父母とはもう古くからの顔なじみで、懇意にしているひとであることもわかりました。
私の家も、男の家も、昔ながらの農家なのです。
男は、私とたいして年齢も違わないようです。それなのに私のほうは、男のことをまったく知らなかったのは、彼が後妻の子だからでしょうか。
それはともかく、そういうことなら、私が彼に110番を呼びつけたことは、それが勘違いであれなんであれ、両家の間で大問題にならねばならないところです。
こんな田舎で110番沙汰など、めったに起こるものではありません。
ところが先様からは、この件に関して、いつまでたっても何も言って来ませんでした。 男は自分が110番を呼びつけられたことを、親に内緒にしているのでしょうか。
代わりに、というのでしょうか、先様の親御さんから、病室の父宛てに、人づてにですが、丁寧な見舞いの品が届きました。なぜ人づてなのでしょう。
なぜ親御さんご本人がおみえにならないのでしょう?
私の母は、先様まで御礼を言いに出向きました。
この際、110番沙汰のことは、とりあえず伏せていました。
応対に出た男の母親のほうも、警察沙汰のことはいっさい口に出しませんでした。
にもかかわらず、うちの母が何も聞いていないのに、あちらの母親は自分のほうから息子のことを話題にして、「うちの息子は***でも役員をしている。人望があって、誰からも誉められるいい息子だ」と、さかんに自慢を垂れたのだそうです。
私の母は、110番騒ぎが起きる以前は、このうちの息子のことはまったく知らなかったにもかかわらず。
私は、男の親御さんたちは、息子が警察を呼びつけられたことを知っているな、と判断しました。
2月23日(木)。
ところで、私の父は末期ガンで寝たきりになっていたので、おしめを使っていました。そのおしめを洗って庭に干すのが、私の日課でした。
私は、ふと思い立って、中川警察に電話を入れました。
応対に出たのは、滝本刑事でした。
私は彼に、おしめの件を話し、私は独身であるが、あの***の男に、妊婦と誤認されて襲われたのではないだろうかと話してみました。
刑事は話の途中で、ついうっかりという感じでこうつぶやきました。
「やはりまだ不安ですか・・われわれもあの男の足取りを追っているんだけど、手がかりがなくて困っている・・」
私は聞いて思わずにやりとしました。ついに白状した!
私は刑事との電話を手短に切りあげると、すぐに姉に電話をしてこうまくしたてました。 「やっぱり、あの男、怪しいんだって。いま刑事から直接に聞いたの。私が通報する前から、警察の容疑者になっていたんだって。月曜日(20日)、刑事がうちへ事情聴取に来たのは、私の口封じが目的。玄関先でがんがんやっただけでは、別件逮捕ってわけにもいかないから。あの男が犯人だと、私たちに騒がれて逃げられたら困るから。だから、また襲われないように、私も警戒してるけど、あなたも気をつけるんだよ」
姉はにわかにはとても信じられない様子でした。どこの馬の骨と知れない男ならともかく、古くから顔なじみの近所の人の息子が、あの恐るべき妊婦殺人事件の容疑者だなどとは!まさか!
私は姉の呑み込みの悪さに腹を立て、すぐにがちゃりと電話を切ってしまいました。
そして2階の窓から憮然と外を眺めていると、なんということでしょう!あのX(=エックス)刑事、20日の月曜日にうちへやってきた年配の刑事が、血相を変えて私の家のほうに走ってくるではありませんか。
刑事のうしろには、屈強な制服警官も従っています。
何事かと、私は階下へ駆け下り、玄関を開けました。玄関を開けると、そこにはX刑事が立っていて、頬を高潮させて憤然と私を見下ろしていました。このときも、私に口をさしはさませない調子で、彼は興奮しつつ声を上ずらせながらこうまくし立てました。「違う!違う!あの男は犯人なんかじゃない!絶対違う!あの男は、単なる集金人だ!あんたが玄関を開けてやらんかったから怒っただけだ!あの男は怪しくなんかないっ!あんたたちは警戒なんかしなくていい!私、その男の顔も名前も知っています!われわれが厳重に警戒しているからいいっ!違う違う!あの男はおしめを見て、あんたを襲いに来たんじゃないっ!・・・」そう口では言いながら、X刑事は庭に翻っているおしめに目をやると、ギョッと表情を変えました。
門の外では、若い制服警官が、いったい何事が起こったのか理解できない面持ちで、こちらを見やっていました。私もいったい何が起こったのか、この当座はまったく理解ができませんでした。どうして今ごろX刑事がこんなところにいるのだろう??
刑事がほとんど支離滅裂なことを、一方的にまくし立てて引き上げたあとで、私は冷静になり、やっと事情が呑み込めて来ました。
X刑事は、私の家のすぐ近くで張り込みをしながら私の家の電話を盗聴していたのです。恐らく彼は、パトカーに乗り、若い制服警官がハンドルを握っていた。
X刑事は、滝本刑事がうっかりあの男が容疑者だと漏らしてしまったのみならず、私がそのことをすぐさま姉に電話で伝えたので、大慌てした。
この女、ほおっておくと次から次に友人知人に電話を掛けて、そのことをばらしまくるに違いない。すぐに阻止せねば!
刑事はイヤホンで盗聴していたので、若い警官は電話での会話の内容を知らない。
刑事が慌ててパトカーを飛び出していくので、警官のほうはすわっ犯人逮捕かと、刑事に付き従って駆けてきた。ところが、私の家まで来てみると、私が何食わぬ様子で顔をだしたので、いったい何事か理解できずに呆然と眺めやることしかできなかった。
電話の盗聴をしていたと断言する根拠は、X刑事の言葉のなかに、私と姉との会話を聞いていたのでなければ、決して出てこないような内容が含まれていたからです(たとえば、「”あなたたち”は警戒なんかしなくてもいい」など)。
滝本刑事が、X刑事に無線で連絡をいれて、容疑者のことをうっかり漏らしてしまったことを告げたから、駆けつけてきたのではない。もしそうだったら、ああも興奮して支離滅裂にまくしたてるはずがありません。もう少し冷静でいられたでしょう。
X刑事は、三日前には、私ごとき小娘、あの男は怪しくなどないと、得意の弁舌でうまく丸め込んだつもりだったのですが、反対に、実は口封じに来ただけだということを見抜かれていたのを盗聴で知らされて、大慌てしたのです。
(注記;ところで「おしめがかかっている」から「妊婦と誤認された」と連想したのは、明らかに私のうっかりミスです。でもこのミスがきっかけで、男が容疑者であることや警察が盗聴をしていることが私に知れたので、あえてここに書きました。捜査当局は、捜査の結果、容疑者の男が妊婦に対し固執した関心を持ち、再び妊婦を襲う可能性があるとの見解から、近隣住民に、立て看板またビラなどで「妊婦に異常に関心を持つ人物がいたら通報して欲しい」と呼びかけていました。けれども私自身は、私が襲われそうになった前後の状況から、この男は女だったら誰でも良かったとの意見を持っています。妊婦と誤認されて襲われた、というのは誤りです)
翌2月24日。
私は朝早く、近所の姉の家へ相談に出かけました。
電話は盗聴されているので使えないからです。
姉の家へ行くと、庭に義兄の車がまだありました。
勤めを持つ義兄には迷惑掛けまいと、私はいったん少し戻って、(雨の日だったので)近くの駅に雨宿りしようと近鉄戸田駅まで来ました。
駅舎の壁にもたれて、屈強な若い男が何をするでもなく、通りを眺めていました。
通勤時間帯というのに、厚手のセーターにこじきハットというラフな出で立ち、一見して張り込み中の刑事だと直感できました。
こんなところにも刑事が張り込んでいる。身の引き締まる思いがしました。
私は少し離れた場所から、その男をそれとなく眺めて観察していました。
彼は、やがて私の視線に気がついて、こちらに目をやりました。
そして、ちろちろと私のほうを見つづけるのです。
まるで私の顔を見知っているように・・・。
私はそのとき、あっと声をあげそうになりました。私のほうも、彼の顔を知っている!
この男は、なんとあの2月16日の110番騒ぎの晩、二度目の通報のとき、「私は下之一色派出所の警官である」と名乗って、制服姿であらわれた人物だったのです。
あの警官は実は、妊婦殺人事件担当の刑事のひとりだった・・・。
否、違う、彼は、本当に派出所警官で、この日戸田駅に私服姿でぼんやり立っていたのは、非番の日でどこかに遊びに出かけるところだったのだ、と考えることもできるでしょう。だが、この男が刑事であるという私の直感は、のちのち証明されます。
私は、彼が私服姿で私の家近辺を張り込みしているのを、このあと6ー7回にわたって目撃することになるのです。
2度目の110番通報できた警官が実は刑事であったとわかったこのとき、私は、あの晩の警察の不審な動きのすべてが呑み込めると思いました。
警官の到着がなぜあんなにも遅れたのか。遅れたのではない。
捜査当局が故意に遅らせたのです。そのことがわかってきたのです。
ここで、2月16日の110番騒ぎの全貌をまとめてみましょう。
わたくし宅へホケンの集金人と名乗ってあらわれた男は、当初の目的は間違いなく集金でした。応対したときの様子でそう判断できます。ところが、私が男に「いまひとりで家にいる」と告げたとたん、男は急に「しめた」とでも言うように嬉しそうに押し黙りました。この瞬間に、男は犯意を抱いたのです。
そして(かなりあさはかな考えだと思いますが)チャイムを鳴らしつづければ玄関を開けると思い、執拗にチャイムを押したのです。
だが、案に相違して110番されてしまった。それですぐに逃げた。
それも遠くへ逃げずに、私の家のとなりの資材置き場の陰に隠れた。
私からの通報を受けた110番センターの係官は、私の住所が「■■」だと聞いてはっと思い当たった。というのは、妊婦殺人事件の容疑者の住所も「■■」で、容疑者は自宅近くで再犯に及ぶ可能性が、捜査の結果、推測されていた。
そこでこの近辺からそれとおぼしき通報が来た場合、妊婦殺人事件担当刑事まで連絡するように、110番係官に対しかねてから通達が出されていたのです。
その通達に従って、係官は、派出所員に直接出動指令を出さず、私からの通報内容を、待機中の妊婦殺人担当刑事に迂回させたのです。
連絡を受けた刑事は、好機到来と色めき立った。通報の男は、これまで2年間洗いつづけながら逮捕に踏み切れなかった容疑者である可能性が高い。これまでおとなしくしていたが、ついに再犯に手を染めたか。別件逮捕のまたとないチャンス!
だが通報主旨によると、男は玄関先でチャイムを鳴らしているだけで、まだ逮捕に足るだけの犯行に着手していないようだ。いますぐ現場に急行しても、被害を未然に防ぐ結果になってしまうだけだろう。そこで刑事は通報を受けてから10分以上時間を待った。10分も待てば、きっと何かをしてくれるに違いない。
そのあとおもむろに、T派出所員に「現場に急行せよ」との指令を出したのです。
派出所員は、妊婦殺人事件の容疑者が特定されているということを知らされていない。そのため、職務に忠実に人命救助のため、通報現場にいそいで駆けつけた。
所要時間は3分と掛からなかったでしょう。
さて警官が現場に来てみると、男は逃げたあとだった。
そこで警官は、無線で妊婦殺人担当刑事に指示を仰いだ。
刑事は、男がまだ近くに隠れている可能性を考え、何も知らない警官が男を見つけ出してひっとらえては困るので、彼らにすぐに立ち去るように指令した。
そして、その代わりに、部下の刑事を現場周辺に張り込ませたのです。
刑事の思惑通り、男は資材置き場に隠れていました。
バイクの音で、警官がやってきたことも、すぐに立ち去ったことも、男は知りました。 この間に、男はこう考えたようです。
「あの女は、自分をセールスマンと間違えて110番通報したようだ。だから自分が、セールスマンではなく、ボランティア団体の***のメンバーであることをはっきり名乗れば、信用して今度こそ玄関を開けるだろう」。
そこで警官が立ち去ると、ジャンパーを脱ぎ捨て身軽になり準備万端整えて、ふたたびわたくし宅へやってきたのです。かなりあさはかな男です。
ところが、また通報されてしまった。
そこですごすごと資材置き場に戻り、ジャンパーを着込むと慌てて自転車で逃げていった。このとき現場に張り込んでいた刑事は、通報の男が、まさに妊婦殺人の容疑者であったことを確認した。
捜査の指揮を担当していた刑事は、男が三度目に現れるのを待ってみたがこなかった。そこで、制服を着用していた刑事を派出所員に装わせて、警官が遅れたことの虚偽のいいわけを告げに、わたくし宅へ向かわせた。
1度目の通報でT派出所員が来ているのにもかかわらず、「あれは伏屋の所員だった」という奇妙ないいわけです。なるほど遠い伏屋から来たというのなら、急いで駆けつけても確かに15分は掛かるでしょう。近隣住民だからといって、T交番の警官の顔を見知っているはずはないと、指揮の刑事はタカをくくって・・・。
(注記:この項の記述は、これだけを読んだら単なる憶測に過ぎないと思われる部分が多いと思います。けれども憶測のようにみえる部分も、ちゃんと裏づけが取ってあります。ただその裏づけまで書いていたら、文章が冗長になりすぎるので、割愛させて頂いているのです。)
刑事はこのように事実を蔽おうとした
戸田駅頭に張り込みしている若い刑事に挨拶をしてみようかとも思いましたが、結局何も言わず私はその場を離れました。
そして姉の家まで行き、ことの次第を洗いざらい話しました。
けれども姉は、どうしても話を信じません。
知り合いのおじさん(それもとても善良な人柄の方)の息子が殺人犯だなど、そんなまさかの一点ばりです。姉の呑みこみの悪さに腹を立てて、私は家を飛び出しました。
私が出たあとで、姉は中川警察に電話を掛けたのだそうです。
応対に出たのは、あのX刑事らしい。姉は刑事に「妹が、警察が電話の盗聴をしていると申していますが、本当ですか」と問い合わせたのだそうです。
刑事は高笑いしてこういったそうです。
「まーさか。電話の盗聴は憲法で禁じられています。警察がそんなことするわけがありません。あの男が殺人犯なんてことはありえません。警戒なんかしなくてもいいですよ。妹さんはなにか考え過ぎじゃないですか、あっはっはー。」
無知な姉は、「刑事が盗聴してないっていうから、するわけないじゃないの。あんたの考えすぎ、考えすぎ」と笑って私にそう告げるのです。
憲法で禁じられている盗聴捜査を、警察は隠れて行っているということを知らない市民もいるのです。
私の兄は実家を出て離れたところに世帯を構えているのですが、夜になるとその兄が父の見舞いに病院にやってきました。私は、今度は兄に、ことの次第を説明しました。
兄は、その場で中川警察に電話を入れ、事実を確認しようとしました。相手の刑事は、「捜査上の秘密だから」と言葉を濁して何も言おうとしなかったそうです。
ところが翌日、兄の会社にひそかに電話があったそうです。滝本刑事からでした。
刑事は、2月16日の夜、わたくし宅へあらわれた男は、妊婦殺人とは一切関係がないと断言する一方で、こう強く警告を発したそうです。
「その夜、あなたの妹さんが男に対してとてもぶしつけな応対をしたので、男が怒って妹さんの生命に危害を加える可能性がある。だから警戒したほうがいい。ただし、このことは妹さんやお姉さんには絶対内緒に」と、固く口止めをしたのだそうです。
同じ日、姉の家に、直接、X刑事と滝本刑事がやってきたのだそうです。
彼らは屈託なく笑いながら「あの男は妊婦殺人とは関係がない。集金に来たのに、妹さんが玄関を開けてやらなかったから、怒っただけのことだ。悪いのは妹さんのほうだ。警戒なんかちーっともしなくていいですよ」と再三にわたって繰り返したのだそうです。
つまり刑事は、男が容疑者であるという事実が、民間人に漏れてしまったことを、慌てて糊塗する一方で、いざ私が、110番通報したことを男に逆恨みされて再々度襲われて現実に殺されてしまった場合、落ち度を問われないために、兄に対してだけはあらかじめ警告を発しておいたわけです。
つまり兄は、警察の格好の逃げ道として使われたのです。
また、刑事は、私を「男を怒らせるようなぶしつけな応対をする女。
自分が襲われてもいないのに襲われた襲われたと被害妄想を発展させ騒ぎ立てる女」に強引に仕立て上げようとするのでした。
このことで私は、いたく被害者感情を傷つけられ、自尊心をなみされました(私は一歩間違えれば命を落としていたのです)。その心の傷はいまでも深く残っているのです。
私の話を信じようとしなかった姉も、刑事が姉には警戒しなくてもいいと告げる一方で、兄に対しては強く警告を発した、しかも口止めまでしたことを知ると、さすがに警察を疑い始めました。
それに姉は現に、不審な若い男が慌てて逃げていくのを目撃しているのです。
私が「そのうえ刑事は暇人じゃない。犯人でないものを犯人だ犯人だと騒ぎ立てている女に、いちいち構いだてしてるほど親切でもない。刑事がわざわざあなたのところまで説明に訪ねてきたこと自体が、反対にあの男が容疑者である証拠にほかならない」というと姉はやっと得心することができたようです。
3月7日、宵のことでした。
兄がわが家にきていて、そのあと自分のアパートのほうへ戻った、その直後でした。
勝手口のすぐ外のほうで、何かがたんと大きな音がしました。
室内で飼っている犬が、勝手口のほうへ向かって、ほえ始めました。
それがなかなか止みません。
5分、10分と経っても、そちらに向かってほえ続けているのです。
何かが潜んでいるのでしょうか。
あるいは、あの男が塀を乗り越えてきて、勝手口のすぐ外に潜み、私がうっかりドアを開けて出てくるのをじっと待っているのでしょうか。
私は不安になり、姉に電話をしました。姉夫婦が来てくれました。
私は玄関からそっと出て、この夜は姉の家に泊めてもらうことになりました。
勝手口のほうは危険だから、覗いたりせずにそのままにしておきました。
翌日、この話を聞くと、兄はこう言いました。
「実は自分が車でうちを出ようとしたとき、自転車の若い男が家の中を覗きこんでいる様子だった。車を降りてひっとらえようとすると、慌てて自転車の向きを変えて逃げていった」そして兄は、中川警察へ電話を掛け、滝本刑事にこの話をしました。
私は、刑事と口を利くのも金輪際御免の気分だったのですが、兄が強いるので滝本さんと話をすることになりました。
彼は、のんきな明るい声で「大丈夫、大丈夫、何かの勘違い勘違い」と、不安になっている私をなだめようとしました。ところが私が「勝手口のすぐの塀の外には、隣家の建築中の資材が積み上げてある。ちょうど塀を乗り越えるのに都合が良い具合に。私が聞いた物音は、人間がその資材を踏み越える音だった」というと、彼は、何を思いあたったのか、電話の向こうではっと顔色を変える様子です。
そして、まるで冷や汗を流さんばかりに、慌ててこう言いました、
「じゃあ、明日、そちらのほうに調べに伺うから、待っててくれますね」
次の日あらわれたのは、滝本さんではなく、あのX刑事と、別の若い刑事の二人連れでした。X刑事は、この以前、血相を変えてうちに飛び込んできて盗聴がばれてしまったのがさすがに恥ずかしかったらしく取り入るような照れ笑いを浮かべて挨拶しました。 彼はさっそく勝手口のところを、調べていきました。
そして、顔色を変えました・・・。
警備を抜かれた可能性もあるのだな、と私は思いました。
X刑事があらわれたのをいい機会に、私は彼にいろいろ質問をしてみました。
この人は、口から先に生まれた男というのか、どんな都合の悪い質問にも騙ったりすりかえたりしながら、立て板に水と返答しました。
だがむしろその能弁が自ら墓穴を掘ることにもなるのです。
「2月16日の夜、警官の到着が遅れた理由は?」と、私が尋ねると、彼は間髪をおかず「最初に来たのは伏屋派出所の警官で、二度目に来たのが下之一色派出所員だ」といいました。そして「遠くから来ているのだから、遅れるのは仕方がない」と、なぜ今ごろそんなことを聞く、といわんばかりに口を尖らせました。
やはりこの男だ、と私は思いました。
この男こそ、その日、捜査の指揮を取り警官を故意に遅らせた張本人に違いないのです。そうでなかったら、なぜ彼が、あの夜の警官の遅れの理由を知っていて、即座に返答できたりするのでしょう。彼こそが、そのような取り繕いを言いに行くように部下に指示を出したからこそ、すらすらと、あの夜警官を装った刑事が述べた言い訳と寸分違わぬせりふを繰り返すことができるのです。
X刑事は最後に、「あんた、怪しい物音を聞いたというのなら、5分も10分も家の中でぶるぶる震えてなんかいないで、すぐに110番すれば良かったじゃない」と蔑むように言うと、帰ってゆきました。
おとり捜査をおこなう警察に頼れとは!自己矛盾もはなはだしい。
私は開いた口がふさがりませんでした。
腹に据えかねるところのあった私は、警察に再び電話を入れました。
応対に出た妊婦殺人担当刑事は、人のよさそうな方でした。
私は「この間うちにおいでになった年配の刑事さんの名前を教えて欲しい」と要求しました。おとり捜査を指揮した張本人の名前だけは確保しておかなければと思ったのです。
刑事はうろたえながら、「その点についてはのちほどご連絡さしあげます」と、丁寧な口調でした。電話を切ってしばらくすると、当のX刑事がうちへ駆け込んできました。だが私に直接会おうとはせず、庭先で草むしりをしていた母の鼻先に警察手帳を突きつけると、「あの***のメンバーの男は妊婦殺人とは一切関係がない。しつこくぎゃあぎゃあ騒ぐと、あの男に名誉毀損で訴えられて大金取られるぞ。娘によく言っておけ」と脅しつけ、またそのままさっさと走り去っていきました。
私はその様子を二階の窓から見ました。
私は名誉毀損に該当するようなことは、何もしていない。ただ刑事の名前を尋ねただけなのに、ヤバイ刑事はそれだけでかんかんに怒ってしまったのです。
私は、刑事と対話しようとすることは無駄だと思いました。
代わりに、便箋を広げ、捜査当局宛てに一方的に手紙を書き送ることにしました。
内容は、2月16日の110番通報で警官が遅れたのは、捜査当局が故意に遅らせたのだということを簡単に指摘するものでした。簡単な指摘だけで、おとり捜査をおこなった本人たちには通じるし、よく効くに違いありません。
手紙の最後に、こう書き加えました。
「弁護士会あるいは法務局人権擁護部などのしかるべき機関に訴えでて調べてもらおうかとも考えたが、あなたが懲戒免職処分でもなればそれも哀れな気がするので、このことは誰にも言わずに黙っている。だが、もし私が今後、容疑者に殺されて死んだ場合は、捜査当局がどんな捜査手段を取っていたかは、公表できるように手配がしてある。」
私の出した手紙に、捜査当局はなんの反応もしませんでした。
名前を聞かれただけで、怒って家に飛び込んできたX刑事が、おとり捜査の疑いをかけられ、ぐうの音も出さないということは、私の指摘したことが事実にほかならなかった証拠でしょう。刑事たちは、もはや頬かむりを決め込むしか手がなかったのです。
いや、ひとつだけ反応がありました。
ある日、私が二階の窓から外を見ていると、あの2月16日の夜、二度目の通報で「自分は下之一色派出所員だ」とやってきた警官、実は刑事が、自転車に乗って、私の家の前を走り抜けようとしているのを見たのです。刑事は「見られた、やばい!」と言う感じで、自転車の向きをくるりと変えると、すばやく逃げていってしまいました。
私は、再び捜査本部へ手紙を書きました。
某月某日何時何分、くだんの自称派出所員実は刑事を目撃したことを知らせる内容の手紙でした。しばらくあと私はまた、その刑事が、バイクに乗り顔のすっぽり隠れるヘルメットを着用して張りこんでいるのを目撃しました。
ヘルメットをかぶっていても、人の印象は隠しとおせないものです。
私は、もう一度手紙を書きました。
ヘルメットをかぶってみてもあの刑事さんだと、ばれてるよー、と指摘しました。
この手紙が届いたあとは、もう捜査当局も諦めたのか、例の刑事は逃げも隠れもせず、どうどうと素顔のままで張りこみをするようになりました。
こうして私はその後、彼を、6ー7回にわたって目撃することになるのです。
5月4日の夜のことでした。
勝手口のほうで、がたんと大きな音がしました。
その方角に向かって、犬が吠えたけります。いつまでたっても鳴き止みません。
3月7日と同じ状況です。私は、再び不安になりました。
どうしようかと思案しましたが、結局110番を掛けてみることにしました。
捜査当局に出した手紙の効き目のほどを、確認したい気持ちもあったのです。
「妊婦殺人担当の刑事さんに伝えてください。犬が勝手口に向かって吠え止まない。以前と同じ状況になっている。△△(=私の名前)からだと言えばわかります」というと、110番センターの係官は、「どうしてあなたにそれ(=110番センターと妊婦殺人刑事との間に直通の連絡回線があること)がわかるの?」と、不審な声をあげました。私が多少返答に困って「被害者だから」と簡単に答えると、係官は「ちょっと待って」と電話を保留にしました。
やがて「すぐ行くって言ってるよ」と知らせてくれました。
3分とたたないうちに、T派出所警官が2名現れました。
大慌てて来させられたという感じです。
彼らは、何のために出動命令を受けたのかわからず、不審な面持ちです。
やがて、それが、勝手口に物音を聞いただけだからで、その物音はどうやら猫が立てたものらしいとわかると、そんなことのためになぜ自分たちがわざわざ出動しなければならないのかとおおいに不服のようすでした。
ひとりの警官が、やがて思い当たったというように、こう言いました。
「ははん、あんたのことなら知ってる。刑事さんに聞いた。なんの関係もない男を妊婦殺人の犯人と思い込んで騒ぎ立てる女がいて困っていると、刑事さんが苦笑いしながら話していた。そうだ、あの晩、このうちへ出動してきたのは、この私なんだよー」
T派出所の警官は、そういって橘家円蔵にうりふたつの自分の顔を指差すと、私に向かって、やーい、馬鹿女、といわんばかりにせせら笑いました。
もうひとりの警官が彼をたしなめるように「われわれには知らされていない捜査上の秘密があるからね」と言ってくれました。
3月7日の物音も、おそらく猫が立てた物音だったのでしょう。
それを男が侵入したものと勘違いしたのは、私の過剰反応でした。
その夜、兄が目撃した不審な男も、張り込み中の刑事だったようです。
翌日5月4日
私の父はガンのために亡くなりました。
通夜を終えて、私たちが自宅での葬儀の祭壇の飾り付けをしていると、近所のおじさんが大きな見舞いの品を持ってあらわれました。
「これはOOさん(容疑者の父親)から。特別にお届けして欲しい、ということで言付かってきた」これまた、どうしてご本人が直接おいでにならないのでしょう。
私たち家族は、事態が余りに重大すぎて、その品をつきかえすこともできず、ただ黙って受け取りました。葬儀の日に、OOさんは姿をあらわしませんでした。
代わりに遠方に住むOOさんの弟さんがわざわざ来て、葬儀に出席してくださいました。OOさん宅は農家です。OOさんはもう高齢で、楽隠居の身分です。かつ心身壮健です。葬儀に出る暇がない、体調が悪いというわけではないのです。
結局、OOさんは、この2年後に亡くなるまで、わたくしの家の敷居をまたぐことは二度とありませんでした。
ところで、警察がひとりの男を殺人事件の犯人として内偵しているからといって、実際に真犯人だと断言することはできません。
警察のとんでもない冤罪という可能性があります。
もちろんそんなことがわからないほど、わたくしは愚かではありません。
それなのに、なぜこれまで容疑者を殺人犯と断定するような書き方をしているのか。
それは、こののちの、OO家の人たちの係わりの中で、男が妊婦殺しの犯人であると断言するほかない心証を得る決定的な体験を、私はしているからです。
OO家の人たちは、自分の息子が、妊婦を殺していることを熟知している。
そしてそのことにおびえている。それがありありと見て取れたのです。
(その体験にまつわる証拠物件は、警察によって保管されています。)
その決定的な体験については、はたして公表すべきかどうなのか、現在は判断に迷っている状況です。それを公表すると、私の生命の危険がますます増す類のものだからです。
だが、仮にその男が真犯人ではないと仮定しても、警察のとったおとり捜査という手法は、警察が彼を重要容疑者としている限りにおいて、糾弾されて当然の危険なものです。それが、どのように危険であったかを、次に検証してみたいと思います。
2月16日のことをもう一度振り返ってみます。
あの騒ぎは結果的に見れば、ただ不審な男が玄関先でがたがたしただけということです。だが、それはたまたま状況が私にとって運良くはこんだだけであって、一歩間違えば、私は命を失っていても不思議はなかったのです。
危険な場面が、あの短い時間のなかにいくつもあった。その点を検証したいと思います。
第一に、最初の110番をした際、電話が玄関の近くにあったため、男は通報されていることに気がついてすぐに逃げた。
だが、通報に気がつかなかったらどうだったでしょう。
男が、チャイムを鳴らすだけでは家の中に侵入は出来ないと気がつき、代わりに勝手口とか縁側とかの戸のかぎの締め忘れでもないかと探したとしたら・・・。
私は110番通報に気をとられて締め忘れた戸を開けて男が侵入したことに気づかない。そして逃げ遅れる。格闘になる。
この場へ、T派出所員がすぐさま駆けつけてきたのなら、私は救われるかもしれない。だが、本来なら警官が3分で来れたところを、刑事が故意に15分も遅らせた。
3分後なら救えた命も、15分後なら完全に死んでいるでしょう。
第二に、最初の通報できたT派出所員が早々と私の家から立ち去ってしまったあと、私は警戒してすぐ家の中に入り、ふたたび厳重に鍵を掛けた。
だが、私が警戒心の薄い女だったらどうでしょう。
警官が立ち去ったあと、たとえば庭先に取り込み忘れた洗濯物を取りに残っていたら?舞い戻ってきた男に洗濯ロープで首を締められ、その場で殺された可能性は大きかった。 このとき捜査当局は、帰らせた派出所員の代わりに、刑事を張り込ませていたが、その刑事は私の家の周りを遠巻きにしていただけです。
私の家は、納屋や高い塀に囲まれ、庭の中で何が起こっているかは、外部からはまったく伺うことはできないのです。
第三に、二度目の通報のあと、私は2階に避難した。
出たばかりの派出所員がすぐに戻ってきてくれるから、2階に避難していれば男が侵入してきても、それまでは持ちこたえることができると判断したからです。
けれども警官は、戻ってきてはくれなかった。
警察が、私が殺されて死ぬまで来てくれないのだとわかっていたら、私は2階になど逃げずに、裏窓を乗り越えて家の外へ逃げていたでしょう。
警察を信頼してしまったばかりに、あえて逃げ場のない二階へ行ってしまったのです。
第四に、二度目に通報されて、男が逃げて行くときです。
男が門をでたそのすぐあとで、姉夫婦が駆けつけてきてくれた。
もしもう少し男の出るのが遅かったら、また、姉たちの来るのがもう少し早かったら、逃げる男の前に姉夫婦が立ちふさがる形になっていました。
逃げ場を失った男は、仮にポケットにナイフでも忍ばせているような輩だったら、逆上して二人をひとつきに刺していたかも知れない。
何度も言いますが、このとき捜査当局は、刑事を遠巻きに張り込ませて、別件逮捕できる機会を虎視眈々とうかがっていただけなのです。
本来の、市民の生命の安全を守るための行動は、一切取っていなかったのです。
捜査責任者はどのような態度をとったか
捜査当局への手紙で私がおとり捜査を指摘したあと、X刑事はもはや二度と私の目の前に姿をあらわさなくなりました。
すべてがばれて、さすがに恥ずかしくなったのでしょう。
私も、父の死や自分自身の病気で大変だったりで、それ以上彼のことを追及する気持ちにはなれませんでした。追求してもしょせん無駄だという無力感もありました。
刑事たちとの係わりはここでしばらく途絶えました。
ただ翌年夏に、妊婦殺人捜査の責任者である貞池捜査主任と、中川警察の野見山刑事一課長が、ふたり、雁首そろえて、わたくし宅の玄関先に現れる機会がありました。
責任者がお出ましになったちょうど良い機会だからと、私は彼らに、おとり捜査の事実について、せめてひとこと、オフレコでいいから謝罪することはできないのか、と詰問しました。けれども彼らは「派出所員は、別の事件に出ていたり、交通事情で遅れることもある」と釈明する一点ばりでした。
頬かむりを決め込み、決して謝ろうなどしようとはしません。
外部に対して知らぬ存ぜぬを押し通すだけでなく、内部的にも、おとり捜査を実際に指揮したX刑事が、なんらかの処分を受けたなどという話は、いっさい聞かないのです。
それもそのはずでしょう。頭のいいX刑事が、わざわざ自分の職を賭してまで、おとり捜査に踏み切るわけはありません。
警察内部に、少し警官の出動を遅らすくらいのことは、大目に見てもらえる土壌があるからこそ、X刑事はなんの恐れ気もなく、おとり捜査に手を染めたのです。
実際におとり捜査を指揮したのはX刑事ですが、それを危険な手法として彼に異議をとなえたものは警察内部に誰もいなかった。唯々諾々と彼の指揮に従ったという点において、他の刑事たちもみな「未必の故意」の共同正犯なのです。
これまで書き綴ってきたのは、11年前の出来事です。
けれども、私と妊婦殺人事件との係わりはこれだけでは終わりませんでした。
この後にも容疑者の家族、また被害者遺族の方との、さまざまな係わりがありました。もちろんその過程で、刑事ともいろいろ接触し、この事件のことでさらに多くのことを知り体験しました。けれどもそれらのすべてを書き記していれば、あまりに冗長なものになってしまいます。そのため、私は父の死のところで筆をおきました。
もちろんここまででも、書ききれていない事実が多く残っています。
その後のことで、端的に述べておかなければならないことは、警察は、おとり捜査に対する私の再三の謝罪要求にもかかわらず、いまもってその事実を認めようとしていないことです。
また、容疑者とその家族は、一部近隣住民から「あの家の息子が怪しい」と噂にもなり、また自分たちが警察の捜査の対象になっていることを気がつきながらも、抗弁一つするでもなく訴訟に踏み切るでもなく現在も犯行当事と同じ住居に住み続けていることです。
私自身は、もし私があの男が容疑者とされていると知っているとばれたら、ますます生命の危険が増すことから、このことは家族以外の誰にも口外はしてきませんでした。
また私の家族も沈黙を守りました。
私はただ、犯人が逮捕され、事件が解決することを、息を潜めるように待ってきました。おとり捜査の事実を社会に告発することも、事件解決のあとであると諦念してきました。
しかし、いつまで経っても犯人逮捕を見ることなく、歳月がただむなしく過ぎてゆきました。このままではいけないという危機感を抱き始めたのは、1999年のことでした。この年、あの白々しい通信傍受法が国会で成立し、神奈川県警本部長逮捕事件を発端とする一連の警察不祥事報道が続きました。私はこの事態に怒りが再燃する思いで、ついに沈黙を破り、原稿用紙にして60枚ほどの告発文をまとめると、マスコミ各社に実名で投書しました。けれどもそれを記事に取り上げてくれるところはどこもありませんでした。これ以来私は、ネット告発という手段を視野に入れるようになりました。
それに踏み込むか否かは、1年もの間逡巡してきました。
迷い迷った挙句に、やはりこのような形の告発に私を踏み切らせたのは、警察の卑劣さに対する怒りのみならず、この妊婦殺人事件の手口のむごたらしさへの怒りです。
多くの犯罪がある中でも、母体の腹部を切り裂き、胎児を抜き出すなど、同じ女性としてのみならず、人間として許しがたい行為であると、深い深い怒りにとらわれます。
犯罪捜査の内情は、一般市民には知るところではありません。
今後逮捕はあるのか、それともあっけなく迷宮入りになってしまうのか、予断は許さないことです。しかし私は、私のこのような形での告発が、いまは風化しかけている事件への関心を、もう一度世の人たちの中に甦らせ、犯人の早期逮捕に至る決め手を炙り出す結果にならないかとの望みを抱いています。
またこの事件への関心が失われているままだと、その隙に、もう一人の犠牲者が出るのではないかという危惧もあります。
末尾になりましたが、何らかの形で(それがどんな形となるかは私には予測ができませんが)、惨殺の被害に遭われた若き妊婦M.Mさんの魂が冥福に至り、残された遺族の方々の無念が晴らされることを、切に祈らずにはいられません。
私がここにあらためて述べるまでもなく、遺族の方、とりわけ現場の第一発見者であり、血の海の中からわが子をとりあげたという夫君のS.M氏の無念はいかばかりでしょう。氏は、警察によって、犯人扱いされ身辺を洗われさえしたのです。
氏もまた、犯人のみならず警察当局より、手ひどい心の傷を負わされていることは、想像に難くありません。
いったい誰が、S.M氏の心の傷を癒すのでしょう。
また、殺人犯の手によってとりあげられ、自分の生まれた日が、母の殺された日である子供の運命は!
どうか皆さん私があげたこの小さな告発の声を、真実のものであると見抜いてください。そして事件解決のために、ひとりでも多くの人が協力してくださることを願わずにはいられません。容疑者は、犯行現場の至近距離にいまでも住み続けているのです。
自分が真犯人であることを半ば公然と認めるような形で。
私はそれを知ってしまったのです。
沈黙を守り続けることが、私にはもはやできなくなってしまったのです。
(注記;警察当局におけるこの事件の正式名称は「妊婦殺人事件」といいます。私は、このサイトの標題を「妊婦切り裂き殺人事件」としました。「切り裂き」とショッキングな語彙を付け加えたのは、この事件の残忍さを多くの人に思い出してもらいたかったからです。けれどもこの点において、被害者ならびに遺族の方に対し非礼があることをお詫び申し上げます。)