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(回答先: 鴻池発言の言外のメッセージ 投稿者 たこ 日時 2003 年 7 月 18 日 17:50:51)
「親権者の不行き届き」や「被害者に落ち度」があろうが、法的な侵害を受けたのなら被害者である。
鴻池発言は、法的被害者に対して、国務大臣たる者が「加害者か被害者か分からない」という暴言を吐いたことが問題なのである。
「これらに共通するのは、年少者の人格を軽視する姿勢である」という判断がどのような根拠からなされているかわからないが、長崎事件問題では、刑事免責者に関する親権者の責任を問うたものであり、女児監禁事件が女児らの“無軌道”な行動を基礎として発言されたものであれば、女児らの“自立的な人格”をある程度認めなければ出てこないと推測されるので、年少者の人格を軽視したものとは即断できない。
(どういう対策をとろうとするのかや今後の関連発言を見極めてからの判断になる)
>鴻池発言の言外のメッセージは、「子は親の所有物」または「管理教育の強化」である。
ある価値観の枠内で考え行動することを求める管理教育が志向され実施されてきているのは事実だが、ここ数日の鴻池発言をそのように判断するのは勇み足だろう。
「子の触法行為は親の責任」や「親権者の差異性を教育制度などで補完するべき」というメッセージ性は感じている。
>強姦被害者に「被害者にも落ち度」と指摘するのと同種の悪質な発言である。
強姦被害者が法的に責められる必要や国務大臣・国会議員が加害者を弁護したり被害者の非をとやかくあげつらう必要はないが、強姦されるに至った経緯によっては、「被害者にも落ち度」というか、世間を甘く見ていると言えることもある。
たとえば、見ず知らずの男に暴力的に押さえ込まれたり連れ去られて強姦されるのと、ある過程を一緒に過ごして強姦されるのとでは事情が異なる。
法的に非はなくとも、強姦されるのがイヤならば、そうなる可能性が生じる状況をできるだけ避けるのが賢明な対応である。
国家機構の手で加害者に罰が与えられても、強姦された事実が消え去るわけでもないし、殺された場合も生きかえるわけでもない。
「被害者にも落ち度」と指摘し、行動の「落ち度」を減らすことも大事な対応策の一つだと考える。