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(回答先: 「加害者か被害者か分からない」と「被害者に落ち度」は異質の問題 − 鴻池発言の問題は「加害者か被害者か分からない」である − 投稿者 あっしら 日時 2003 年 7 月 18 日 18:56:16)
森元総理の神の国、男子は女得る為には強奪してでもかっさらって我が物にする・・・
よりも、もっとおかしな発言に思える。
傲慢不遜に成りきり、命がけになれば森元総理の言うことは理解できる。
今回の「加害者、被害者か」はわからないはなどと言うのは、頭の中のどこをどう繋げばあのようなことが言えるのか理解に苦しむ。ご当人は推理小説の読み過ぎではないか?
どうも社会にエンセン気分、狂気的社会を演出してんじゃねーのかなどと勘ぐってしまうのは私だけか?国民は皆嫌気がしてくるだろ。
>鴻池発言は、法的被害者に対して、国務大臣たる者が「加害者か被害者か分からない」という暴言を吐いたことが問題なのである。
これは恐らく暴言以上の
>「これらに共通するのは、年少者の人格を軽視する姿勢である」という判断がどのような根拠からなされているかわからないが、長崎事件問題では、刑事免責者に関する親権者の責任を問うたものであり、女児監禁事件が女児らの“無軌道”な行動を基礎として発言されたものであれば、女児らの“自立的な人格”をある程度認めなければ出てこないと推測されるので、年少者の人格を軽視したものとは即断できない。
(どういう対策をとろうとするのかや今後の関連発言を見極めてからの判断になる)
>鴻池発言の言外のメッセージは、「子は親の所有物」または「管理教育の強化」である。
>強姦被害者に「被害者にも落ち度」と指摘するのと同種の悪質な発言である。
強姦被害者が法的に責められる必要や国務大臣・国会議員が加害者を弁護したり被害者の非をとやかくあげつらう必要はないが、強姦されるに至った経緯によっては、「被害者にも落ち度」というか、世間を甘く見ていると言えることもある。