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(回答先: 敗戦責任を問われるべき構造は、今日、別の戦いの終末でまた見えているのでしょうか 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 8 月 20 日 00:55:31)
マルハナバチさん、こんばんわです。
この投稿を読んで、ちょっと刺激を受けました。
>しかし、戦争についての歴史を当時の世界情勢まで含んで、判断可能なまでに調べ、考え上げられる人が今の20,30代の人でどれだけいるのだろう。
私は、自覚している「頭の悪い」30代前半です。
何回か書きましたが、以前の私は「戦争についての歴史を当時の世界情勢まで含んで、判断可能なまでに調べ、考え上げられる」ことをまったくしなかった(考えられなかった)人間です。
また、私の周りの人間も、そういったことには興味がないようです。
私が何か、例えば阿修羅で投稿しているような問題を、友人に話をしてみたり、説明?解説?したりしても、またそれを友人等に独自に考えてみれば!と言ってみても、返ってくる言葉は大体似たような言葉であり、それは興味が無い、とか、そんなことを考えたり学んだりして一体何の得があるの?といった返事がほとんどです。でもそういった話を私の口から聞くのは好きなようです。でも話を聞くだけで自ら学ぼうとは考えていないようです。
この意識改革は大変難しいと実感しています。
>すると、方法としては前大戦の中にもあった構造的問題を、今回のバブル崩壊とそれ以後の苦境の問題な中にも見出し、それを厳しく確認する事の中で、前大戦にもあった事を照合し、この問題の根深さの確認と乗り越えを計るというやり方になるかと想います。
ここ阿修羅等を問題意識を持って、訪れている方たちには有効だと思うのですが、それを広げていくのがとても大変、というか無理なんじゃないか?と思っています。
難しい問題だと認識しています。
>あっしらさんやすみちゃんが、次代に語り継がせる戒めとして語る事があるなら、精髄であるはずのその形で語ってくださるのを望んでいます。
反論するわけではないのですが、語ることも必要である、とは思うのですが、語り伝えるだけでは解決が難しいと考えていますので、語った後の次の方法も考えていかないと、歴史を変えるのには至らないかな?とも思えてしまいます。すいません。
お互いに認識したり、本を読んで学んだりしていても、そこで知ったことを知識で終わらせずに、何かに有効に使用しないと、何にも変わらずに同じ失敗の繰り返しになってしまうような思いがよぎっています。
確かにまず、「知る」ことが大事だとは思いますが、その次の段階も同時に議論されることを、私は望んでいます。
ちょっと、生意気なことを書いてしまいましたが、お許し下さいませ。