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(回答先: スミマセン、毎日新聞8月9日の余禄でした 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2003 年 8 月 17 日 22:40:10)
ジャック・どんどんさん、今晩は。
私はコールマン情報は存じません、だいたい陰謀説自体詳しくないものですから。ですから、私の場合こちらには返答不可能ですね。
研究不足と想いますが、陰謀論って私の好みじゃないもので…。おかしいと想って調べていたら愕然とするというケースが殆どです。
>英米の金儲けが趣味のキリスト教徒は、人の命を全く何にも考えていなくて、世間を欺くための仮面にしか過ぎないことも…
ある者は世間を欺くための仮面としてキリスト教徒のdisplayをし(羊の皮を被った血塗られた狼)、支配手段としての金融等を見えない
ところから無慈悲に駆使する…
このように言う方が真実に近いかなと想います。キリスト教信者にも色々な方がおられますからひっからげるのはどうか…?
ちなみに私は「キリスト教・教義教」というややこしい表現をする事があります。
この内実は、聖書に表現されたイエスから響き伝わる在りかたを感じとり、自らの生きる糧にしていく事をするよりも、これがクリスチャン
でございという共同の規範を演じる事に重要性が出ている生き方ですね。規範と陶酔と内なる優越感でプログラムされてはい終わり…
そういう場合を指して我慢できずに言う。
(目玉の中に丸太が入っていながらさっぱり解らない私という人間のたわごとです)
長崎の司祭が言われた事についてのコメントは私には無理かな。
根本的に「神と個の対峙」の時空の中で自分のあるべきを覚知しゆく事だと想われます。
ぷち熟女さんとパレスチナの自爆テロについて少しお話ししましたけれど、私から見ると彼らの(追い詰められているにせよ)個人の
究極の信仰上の希望の表現として、また同胞への身を捨てた贈り物として自爆テロは実行されているように想いました。
【希望の表現があれしかない状況は悲痛です、外から見る時、あれを希望の表現と言いうるのかと私とてためらいます】
バリ島爆破テロ犯人が死刑判決を受けて勝利と歓喜の表情で傍聴席をふり返る映像を見ましたが、そこに嘘は無いと想います。
いざ、刑の執行となる時は人間ですから迷いや苦しみはあるかと察しますけれども。
そして、戦争、殺戮となれば異教徒の行動原理を無慈悲に利用するのが近代の戦争執行人の行動原理になっている…。
だからこそ、日本人の多くには訳のわからないまま、米英からイスラームの人に向け、屈辱的な行為が善の形をまとって投げつけられたと想います。
まず、陰謀論を読むよりも人間の現実の凄まじさを直視すれば、ありうる展開は判る事のように想います。