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(回答先: 「夢見る羊」か?「犬死」か? 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2003 年 8 月 14 日 18:10:56)
ジャック·どんどんさん、はじめまして。
思いつきました事を勝手ながら、のべたらに(いつもの如く生意気ですが)書かせて下さい。
私も靖国神社や、鹿児島の知覧にある特攻基地を訪れた際は、Q太郎さん同様胸が詰まり、頭中もしばらく真っ白になってしまった記憶がございます。
日本人なら皆、同様の胸中であろうと思います。
あまりの彼らの純粋さと、それを利用した上部連中の酷な仕業に憤慨し、実は私もジャック·どんどんさんと同じく、彼らは本当に「犬死に」してしまった。と何とも腹立だしく、哀しく思いました。
そしてその時、靖国の境内で遺族会の方々が靖国神社存在意義を訴え、署名運動をしておられたのを目にし、きっとこの方々は彼らの死を「犬死に」としたくない、という思いからあのように頑張って闘っておられるのだなあと又、胸の詰まる思いが致しました。
そして又、靖国参拝にこだわる方々も同様の思い(死没した方々の死は、無駄であったとしたくない思い)からなのであろう、と思っております。
しかし、本当に彼らの死を「犬死に」としない為にとる策は、果たして国際外交摩擦を毎回引き起こすにもかかわらず、国の要人がこだわって強行する「靖国参拝」であったり、昭和天皇をはじめとするこの世にはもういないその時分の要人達の戦争責任を侃侃諤諤と延々と行う事であろうか?
そういったような事々を、お国の為ひいては全世界の平和の為を、と思い尊い命を捧げられたろう方々があの世で望んでいる事であろうか?
そういった事々を、残された我々に一番にやって欲しいのであろうか?
その時の要人達、又は関係する人々が現在でも生存し、何らかの力を行使しているのであれば話は別である。
そうであれば、まず十分にその責任を問い、処罰されなければならぬのは当然な事であると思います。
私は、彼らの死を「犬死に」としてしまうのも、そうでなくするのも、残された我々次第ではなかろうか、と考える。
現在のように、未だ世界のあちこちで戦争を引き起こしている事は、それこそ彼らの尊い命を「犬死に」にしてしまっているのではないか?
彼らの尊い命とは、同じように没された英霊(アジア人以外の全て)を含め、アジア諸国で日本軍によって奪われた諸アジアの同胞達の命も含めて意味したい。
そのように、彼らの貴重な「死」を何の教訓としても活かせず、現在のように見過ごしている我々に実は、彼らの死を「犬死に」とするか、そうでなくする責任があるのではないか、と思えてならない。
又、子供や孫達といった次世代の事を思えば尚の事、今、我々が置かれている立場は、実に責任のあるものではないだろうかと思う。
無論、又この問題における戦争関連の事実、責任等の究明は、非常に重要な事であり、有耶無耶のままではけっしていけない。(基本的な事々の究明は無論、疎かになってしまってはいけない。)
そういった事を究明しながら、彼らの死を無駄にしてしまわぬ様、一刻も早く現状を平和な道へと変えて行かなければならないと思う。
という事は、我々一人一人がその責任を十分に心して、行動する必要があるのではないだろうか。
我を振返ると、あまり力も無い一般庶民であると自覚させられ、何もできないでいる自分にイライラし、情けない限りですが、それでも少しでも平和的な意識を広げて行けないだろうか、又どうやったら広げられるだろうかと、試行錯誤している日々です。
彼らの尊い死を、何としてでも無駄に、「犬死に」にしてはならない。
そうするのも、しないのも実は、我々次第かもしれない。