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(回答先: 記号論は操作をまぬがれているか 投稿者 ぷち熟女 日時 2003 年 8 月 07 日 01:42:37)
プチ熟女さん、はじめまして、こんにちは。
私と同世代ではないかと想像してしまうこともあるのですが、あまりそこを深く追求することは止めて、さらっとしたレスにできればと考えます。
>何年もの間交際していて、そういったことがあたくしとの間で二度ありました。
普段の何事にも慎重に公正な判断を示す、とても知的で賢明な彼女と
そういった時の彼女との落差は甚大であり、また
どんなに言葉を尽くして説明しようとも彼女は決して受け付けず、
たとえ現場に第三者がいて、その人も同様に彼女の態度をきわめて
とげとげしいものだと認識していたとしても、彼女は頑なに、それは
彼女以外の人間『だけ』の問題であり、責任である、という態度を曲げないため、
最終的には交際が続けられなくなってしまいました。
この体験を『記号論』を援用して解釈することには少し無理があるのではないでしょうか。単なる自我の防衛機制の顕在化(Behavior)に想えます。当人にとって防衛機制は自我の存立を支えているものでありますから、それを弄られたと感じてしまうと攻撃または逃避の両面で極端な反応を呈することになります。けれども、ときにはゲーム化することによって他者の反応を確認し対象化することもあるようです。この場合、記述された範囲ではフロイトの精神分析理論に沿って初歩的な解釈を適用することで足りるのではないかと思いますが、如何でしょうか。但し、そのような防衛機制を形成するようになった原因は不明ですし、それ以上は本格的な心理療法や精神医学の領域かも知れません。(私の知識は遠い過去の学部レベルのものですので、もっと詳しい人の見解を期待したいと思います。)
ところで、文化人類学的な観方から対処法を検討してみましたが、二項併記ないしは二項併存を許容してきた東洋的な思想背景を有する我々日本人にあっては、二項対立状況を措定しなければ精神的平衡が保てない西洋人の振る舞いには困惑するばかりです。けれども、ビジネス界の常識としては、先ずはこちらもエゴを剥き出しにしながら徹底的に闘ってとにかく勝利しなければ、男性・女性を問わず敵さんは聞く耳を持つことなど有り得ないのが実情です。
『記号論』は社会学の基礎的な部分を構成し、操作性を付与することによって社会学を科学に一段引き上げるような大きな貢献をしているとも、行動心理学の発展に寄与しているとも思います。自身の古い記憶を頼りにフッサールからソシュール、レヴィ=ストロースへ連なる現象学や言語学、構造主義の系譜を辿ってみても、『記号論』が時の権力の影響や操作をどれほど受けあるいは権力を遇して来たのか判然としませんが、現在では認知科学やマーケティング分野において文化・文明状況を絡めとる手段として用いられていることは確かなようです。
固よりプチ熟女さんが、権力側やひょっとしたら嘗ての友人のように『記号論』を楯にとり先んじて突き立てる、つまり操作する主体ではないと心得ております。でも、もしやすると的を射ていないものになってしまったり、プチ熟女さんの問題意識を矮小化することになってしまっているのではと、反省しきりです。
上層階からの架設は決してあり得ない現実と階層間に梯子を架けられない状況が容易には改善しない一方で、権力による人心制御の縄は限りなく密やかに張り巡らされているのかも知れません。(何が何やら分りませんが、諦めずにやってゆきましょう!)
また、お会いしましょう。