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(回答先: 遅くなりました 投稿者 ぷち熟女 日時 2003 年 8 月 10 日 02:11:51)
ぷち熟女さん、レス有り難うございます。
やはり雑談板はいいですね。でも、肩の力を抜きつつも趣味に富んだ品格あるものであって欲しいと願っております。ぷち熟女さんを自分と同世代ではないかと想像したのは、常に自らの皮膚感覚を確認したところから言葉が発せられていること、つまり感性を飛翔させながらもやがては戻るところの確かさやバランス感覚に共感できたからです。
ご友人の詳細を伺って、ことさら反語的なレトリックで自身の無謬性を強調する、業務上で接した外務省官僚の態度に近似するものを想起しました。質問は一回に一つと限定され、しかもこちらの質問内容の不備を突いては、その度によく申請を突っ返してきたものでした。私もマゾヒストではないので、何時までも虐められているわけにもいかず、しかしどうやって、こちら側から橋を架けたらよいものか悩んだものでした。
ご友人のお話からもう一つ発想したのは、寛容[Tolerance]の問題です。寛容という問題は、世界宗教者会議のようなところでも何度も議論の俎上に登りますが、他者にそれを求めることはしても、どうもキリスト教系の各宗派共に自身から発して寛容にはなれないようです。これも一神教的性格のせいかも知れないと考えたりしています。
我々日本人は二項並存の指向性に見られるように、他者を異質のものと措定するよりも同質のものと見做すことのほうが心地よいようです。ところが、アングロサクソンに代表される西洋人は異質なものを許容する心の幅が狭小であるように感じます。もちろん、日本人や西洋人のすべてに当てはまる訳ではありませんが、それが階級意識を伴って固定化されると非常に鼻持ちならぬものになります。西洋化されて件の世界経済支配層の執事(下僕)となった近頃の日本人達にも同様な差別意識が生まれているようです。
卑近な例では、ニ世代以上続いて一定のクラスターを形成している医師の集団(主に大学病院)の患者に対する態度にも顕著に見られます。彼等の多くが、仁術でもなく最早金術でもない、自分達は施術してやっているのだという超絶感を本音の部分では共有しています。
『論理学』とまで言わないまでも『記号論』や『修辞法』が日本において若年層の教育として導入・推進されていないことを遺憾に思っています。理屈っぽくなるから情緒の発達を阻害するから等、色んな屁理屈をつけて日本人に状況分析や解析のMethodを与えて来なかった、戦前ばかりではなく戦後の教育界の怠慢は非難されるべきでしょう。二項併存思考に二項対立思考を身に付けたならば鬼に金棒であるし、それを使い分けるくらいの能力・胆力はあると思いますし、また先取の意識も涵養していかなければならぬでしょう。
さて、阿修羅サイトは同世代ならば、注目しROMしている人達も多いのではないかと想像するのですが、そのわりにはあまり寄稿されていないのを寂しく思います。同じ世代で同じような問題に一時期コミットした人達はやはり同じような拘りや蟠りを持っていることも確かでしょう。けれども、時折彼等のご宣託も聴いてみたい気持ちにもなります。
ちょっと堅苦しいものになってしまい、肩身がせまいです。ぷち熟女さんのレスは非常に楽しく読ませていただきましたし、愉快な気持ちにもなりました。有り難うございます。
また、お会いしましょう。