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(回答先: 記号論は操作をまぬがれているか 投稿者 ぷち熟女 日時 2003 年 8 月 07 日 01:42:37)
マルハナバチさん、
こちらもレスが遅れてすみません。
「波動」という言葉は困りものです。マルハナバチさんの
「『波動』については、それを何らかの形で経験する時、主観的にも違いがある事を感じますが、このような現象を超常的に表現しすぎるところに警戒を抱いていました。」
「主観的事象と客観的事象の評価のバランスがぶっ飛んでいると感じるし、因果関係が明証的ではないものを無理やり超常的効果に結びつけたり…。」
という感覚は私も度々経験しています。
量子論の波動解釈によれば、我々も含めて物質的なものも、そうでないものも全ては『波動』ですから。
学術めかした「波動商品」の胡散臭さは、その「消費者」に対して波動という言葉で「思考停止」に追い込み、半ば催眠状態で金銭や労働といったエネルギーを搾取するための道具のように見えることがあります。
このルーティンを「担当」しているのが船井グループと私は見ています。
また「主観的事象と客観的事象の評価のバランスがぶっ飛んでいる」というのは、この『波動』分野では重要な現象だとも思います。
この分野には確かに莫大な可能性があるとも思っていますが、少なくともこの主観と客観が曖昧になるという現象はどこかで量子論の世界と関係しているのではないでしょうか。
ここにはなんらかのエネルギー交換が起こっているはずであり、その現象を、例えば測定する道具がまだないだけなのかもしれません。
これはいくらでも思考していけるはずなのに、アリガタイ『波動』のお陰でケンコーになる代わりに思考停止の信者兼消費者に成り下がるというのは納得のいかないところであり、【詐欺的な誘導】でイワシの頭もなんとやら・・というなさけない「現象」もよく見かけます。
この思考停止への誘導は、あらゆる「オフィシャル文化」のなかにあるようです。このオフィシャル文化はまた、ニューエイジの体裁を取ってバージョン・アップしていると思います。いまでは、例えば日本の原子力政策までニューエイジです。
http://www.asyura.com/0306/health5/msg/351.html