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(回答先: Re: 「呈上」「降服」について 投稿者 如往 日時 2003 年 7 月 25 日 05:42:10)
如往さん、配慮、熟慮を感じるお返事を有難うございました。
私が出会う事が無かった激動の世界の音信を教えていただきました。
今、対象にしている話題の組み合わせは複雑であるがゆえに、今回は簡素な形で返信させて下さい。
配慮が足りずに失礼なことを書いてしまっているかもしれませんが、その場合はご寛恕をお願い致します。
往相還相という言葉がありますね。
この往還の道の中では往相で苦闘される方もおられれば、還相で苦闘される方もおられるものと思います。
しかし、往相で、地に糧を自ら食んで地球上の社会に生きねばならない生物としての「地道なる身体」…、言い換えれば「形而下的身体性」を抱えての苦闘あるいはおさらいが足りかった方は、結局は還相で躓くと思います。
もし自らが得たものが現実の恒常性のある重さに対して幻想と錯覚であった場合、それと気づくよりは社会や個人との間にヒエラルキーのある距離を作るという戦略を、無意識にとる事もあるでしょう。その場合本人は現実の社会に対しては閉じたちょっと危ない状況になってしまうかもしれません。(解っていて遊ぶ人もいる事でしょう)
十分なる乗り越えを経た還相では、身体性そのものがしなやかにかつ澄んで晒され、汚い衣を着ようと美しい衣を着ようと日本製の衣を着ようと外国製の衣を着ようと拘らないものになると思います。到達した身体性がそれ自体いわば智慧の衣であり現実における共感性協働性創造性も高いのではないでしょうか。
ここから世界や他者へ結ぼれが生成する方を私は信頼します。
なんと!「あらまほしき事」を、のうのうと喋っています(笑)
なお、Ddogさんと天皇制の話題が出ていた時、私はテレビアニメ世代、テレビゲーム世代の、電子的バーチャルリアリティ次元の出現によるによる自覚の難しい【分裂性】の事を考えていました。
自覚されない、もしくは自己認識を否定する“精神のコスプレ”という次元もあるんだろうなと…、判断上で依拠すべき基点を把握し難い時代ですね。
如往さんは、子供からの自己形成の時代に、テレビにもアニメにも出会っていない世代の方と思うのですが、こういう見方で先に申し上げた世代の共有の条件=【両刃の剣】を見て行く方法もあるかと存じます。
最初のレスに書きましたようなテーマで考究にお付き合いいただければ…という思いは強いのですが、現在深く長く考えて書く時間的余裕がありません。
長い時間を要求されそうなこちらのテーマはちょっと寝かせて、いつかよろしくお願いいたします。