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(回答先: 「呈上」「降伏」について 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 7 月 24 日 23:37:25)
マルハナバチさん、こちらこそはじめまして。
アルファンド氏については未だに手探りの状態が続いていますが、それでも自身の拙い経験や思想遍歴に照らしてみた結果、Surrender(降服又は呈上)にたいする高潔さあるいは身の処し方といったものが誰彼を隔絶しているのではないかと思い当たったことが、今回のレスの動機になっています。
私は形而上(身体性を有しない神話のような)と形而下(実存主義の中ではメルロ・ポンティを一つの極致と見ています)との間を幾度かTravelし、今現在は形而下から問い直そうしています。もちろん、アルファンド氏のそれがそう簡単なTravelingでなかったことは明らかでしょう。しかし、それでも今回が最終の旅路とは定めて欲しくはないとの願いを込めた、自身の思いが反映したものだと省察しています。
天皇についても然りです。かつて私も多分アルファンド氏と比較するにはお恥ずかしいほどのもっと浅薄なStruggleであったのですが、「降服」の寸前まで行ったことがあります。私が引き返したのは、「降服」することの甘美さが垣間見えて来たとき、それには自身のStruggleが足りてはいないと覚ってしまったこと、と同時にまだまだ身体性という頚木を自ら外すべきでないと思い知ったからに外なりません。
さらに、アマテラスとスサノヲの関係性を大姉と小弟のそれとに対置させるならば、幾度かTravelを繰り返しながらも己の身体性及び精神性の延長線上に天皇を見出せなかったことが「呈上」にも「降服」にも至らなかったことの要因であるのでしょう。アルファンド氏の投企(スサノヲとの同化希求はイマージュのレンジにありました)は、たとえ形而上的であっても十二分にStruggleの戦跡を看取できるがゆえに「降服」こそ相応しく、そこに価値があると捉えています。「呈上」はStruggleが全くなくても公言することで果たされるようなものです。
嘗てのComradesや戦前には軍国少年で戦後の青年期には左翼に転じた者達こそUltra-Rightistにシフトしていった者が多いとは以前語りました。それはそれで上記のことを考慮すれば十分受容できるのですが、Ddog氏はじめ少なくとも私より後の世代の人達が天皇(制)との結節点を如何に見出し得るのか判然とはしないのです。
それを、アルファンド氏はその感性において、彼らの思い(慟哭)を汲み取ろうとした、あるいは汲み取ってしまった。否寧ろ、意図的にそうしたのではなく、おそらくは唯諸手を差し伸べ応えられただけなのかも知れません。
「降服」した人間は強く、大いなるTravelingを重ねていけばいくほどたおやかで強くなるのだと思いますし、天空ですら遊ぶことができるのでしょう。正直を申し上げて私も誘惑に駆られることがありますが、「降服」するにはStruggleが不足し、「呈上」するにはまだまだ知覚に普遍性の欠片も得ていない状態です。
私は実存主義の其々が世界を読み解く上でのFunctionの一つと見做しています。また、歴史をContextで読み解こうとした投企は在来のFunctionにたいし精緻な論考が加えられたハイエクの考察で終焉したと見ています。それ故、戦後の日本共産党系左翼思想を支えてきた歴史学研究会の歴史観を既に通用性が低いものと、また同様に小林よしのり等が援用しているContextを非常に怪しいものと捉えています。ただし、「呈上」した者の心情的なものについては理解したいと思いますが、彼等には「降服」を原点とするようなカタルシスと言えるほどのものを感受することができません。(何れにしても、転向という言葉を使わずして語ることの難しさよ。尤も私にもそれを用いる資格はないのだが。)
つらつらと書き綴りましたが、マルハナバチさんのご興趣に副うものであったならば幸甚の至りです。