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(回答先: 拝啓すみちゃん、Ddog氏へ 投稿者 バテ気味@M 日時 2003 年 7 月 12 日 23:02:19)
D氏の”競争”はある程度は支持する。
理由
既得権益者はフィナンシャル・ディテクタ氏がかつて投稿されたように、既得権者はそれ相応の努力をしている・・・
努力なき者は甘やかすとつけあがる。もっと絞り挙げる必要を感じることもある・・・
トヨタ、日産並にね。
Re: 岩住達郎氏他サイト投稿
http://www.asyura.com/0306/hasan27/msg/1114.html
投稿者 コレクター 日時 2003 年 7 月 12 日 17:21:48:
>どうして競争に勝てない人達がピラミッドの中に居れるのか。それが問題です。ここに日本的な、競争に基づかない、どろどろした人間関係による弊害が現れているのです。ですから、日本の大学を活性化するのは簡単な事で、最近日本企業が真剣に実施し始めた人間関係より実力主義による選抜を強制することです。しかし、これは言うが易しく行い難しで、実力主義の行き渡っているアメリカでさえも人間関係の方が実力より物を言う状態です。これは大学だけでなく企業でも同じです。どんな事でも金、地位、名誉が懸かってくると陰で悪いことをしてでも他を出し抜いてやろうとする輩が必ず出て来るからです。要するに、どんなに組織をいじり法律を変えても真の競争を実現する改革は出来ません。如何にして公明正大な競争を実現するかという方法論に懸かっているのです。それには義理人情とか和の精神を競争の過程から完全に隔離する方法を見つける事です。それがどの様な方法であれ、生存競争の結果は大自然で生命が出現して以来連綿として続いてきた弱肉強食の世界に行き着きます。即ち、生存競争は摂理であって誰にも回避出来ない物理法則の様なものです。義理人情や和の精神を生存競争の厳しさを和らげる為の物であると国民にはっきり認識させる事が重要です。日本社会では弱肉強食を倫理的悪として最初から否定するが為に競争も悪として回避しようとする人が極めて多いと思います。この倫理観に拘っている限り日本は世界の競争に勝ち抜く事は出来ません。私の考え方は、先ず生存競争は摂理であって人間の力で変えられない物だと認識し、その為に生存競争を公平にやれる様に社会を整備し、同時に競争に破れた人達を救済して再度挑戦出来る様にする為に義理人情や和の精神を使う事です。今の日本のやり方はこれに正反対で競争を回避する事を善とし、競争に敗れた人達を貶めて再起を不可能にしています。これがどの様な歴史的過程からもたらされたかを議論するのは植田さんの博識にまかせますが、私としてはどうしても問題解決の方法論に傾いてしまいます。