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極めて荒っぽい割り振りですが、国津神の貨幣システムと天津神の貨幣システムの組成でこの国の経済の苦境を援けられない
ものかと、ふと想いました。(まさに想いつきです)
おおもとは、ベルナルド・リエター氏の『マネー』−なぜ人はおカネに魅入られるのかを読んでいて気づいた事なのです。
詳細は本を読んでいただければと想いますが、ヨーロッパ中世には地域通貨、あるいは補助貨幣的に使われた貨幣が地域の経
済を担い、遠距離の貨幣流通や国家レベルでの経済には別の貨幣が使われ、ずいぶん豊かな生活が実現したそうです。
そのときは女性の働きも地位も高いものだったそうです。このときの聖性の顕現を媒介したのが『黒聖母』(聖母子像)です。
国津神の貨幣システムは地域通貨、天津神の貨幣システムは国家通貨という事です。
地域の独特な価値を支え、お祭りで価値観の頂点(聖性が)顕現されるようにして地域通貨システムがプログラミングされればいい。
「劣化する貨幣」という表現は、地域における価値の創出システムが確立していない時に、創造性のない交換に貨幣が使われて
しまうから劣化という表現しかできないのであって、最初から数理的なことのみ考えて貨幣の性格を表現している間違いだと想い
ます。地域における独自な価値の創出に適っている貨幣システム(価値観とそのメディアを含む)が計画されていれば劣化という
表現は当たらない。早い交換と循環の中で地域の価値を創出してゆく貨幣になりうる。
そういう全体システムを考える事が貨幣だけの「おままごと」よりもはるかに重要なのでしょう。
私が、リエター氏を“怪しく”想うのは、ひとつには、結局彼は「あっち側のシステム」の利権をあらかじめ護るために程度のいい
ところに「こっち側のシステム」を押し込めておくお役目の方では…と疑っているからなんです。なにしろ莫大な利益を上げた通貨
トレーダーだったそうですから私の邪気も出ます(笑)。
今度こそ潜伏しなくては…(笑)
レスはできないと想います。よろしくお願いいたします。