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Re: 魔の二つの相貌−サタンとルシファーについて考える
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/1055.html
投稿者 ぷち熟女 日時 2003 年 8 月 24 日 00:33:45:WgkZZjZT3HifU

(回答先: 魔の二つの相貌−サタンとルシファーについて考える 投稿者 すみちゃん1 日時 2003 年 8 月 22 日 21:43:34)

すみちゃん、

褒めたというよりは、ただ感じたところを、努めてごく素直に書いただけだったのですが、
それですみちゃんが窮屈な思いをして書きづらくなるとすると、こちらも不本意ですから、
おっしゃったことは了解しなければいけませんね。
でも、感謝は受けておいて下さい。

今までそんなに変なことは書かれていないと思いますが、
たとえ書いておられたってそれが何ですか?
自由に書かれていて、別にいいではないですか。
(あたくしは今までに随分なことを沢山書いていますが、
固くなってマトモらしいことを書いても、自分でどうもパッとしないのです。
ヘンな人だと思われても柔軟でいるほうが気分が良いんですのね。
これは企画・試作という職業上の病気か。
特に若い頃は、人がまだ言ってないことを言え、と言われて育ったものですから。
でもきっと研究職の方々だって、発想はご自由でいたいでしょう。)

本題に入りますが:
ともかく、うちの系統がひどく鈍いのは事実です。
すみちゃんのところで自明のことが、うちではそうではなかったのです。
実は、うちの両親とも、兄弟はともかく親だけは戦争で亡くしていません。これは甚大な差です。
ほら、やっぱりね、だから呆けているのだ、とお思いになるでしょうね。
ただただ申し訳なくて言葉もありません。
祖父母たちは煽られたムードにそのままのせられた羊たちであり、
戦後もそのまま牧羊犬を必要として生き続けた人々でした。
子供や身内が死に、焼け出されて財産を失っても、周囲みんながそうなのに、と
戦中の我慢をそのまま戦後もし続け、問いも疑いもせずに、
責め立てられる天皇に同情すらして、やがて老いて亡くなりました。
両親はただ戦中を忘れられる生活を渇望して成人し、家庭を築いたようです。
問いや疑いに、むしろ目を背けていたと思います。
鈍いのは、そうあろうとしていたからじゃないか、との責めを負わねばなりません。
戦争についてメディアの流す情報以上のことを語ることもありませんでした。
あたくしはそういう人々の孫であり、娘なわけです。
ぬくぬくとしやがって、と戦災孤児の方々から憎悪されても何も言えません。
全くもってその通りでした、とこうべを垂れるしかないのです。

ただ、我々の戦後と現状は、もしすみちゃんが自明だと言われたこと全てが
せめて戦災孤児の方々(一人残らず)にとって
本当にそこまで馬鹿馬鹿しく自明であったとしたら、
また違ったものになっていたはずだとは思われませんか?
あとで出典を示しますが、戦中から終戦後にかけての混乱期に
計12万3510人の孤児が確認されたといいます。
単純計算で、現在の日本の人口の約970人に1人になります。
傷痍軍人や寡婦も加えると、覚醒者は何人に一人になったかな。
裁判で悪党が逃げおおせ、責任問題が誤魔化されていると知る人々は多くても、
それだけの割合の人々が、事の始まりからの全てが計画のうちであったとまで見抜かれていたなら、
それは恐ろしい慧眼であり、一般大衆の意識に影響を及ぼさずには済まなかったのでは?
呆けたあたくしにそう映るだけでしょうか。

最近の合作説関連のスレだけではなく、以前から
折りに触れてすみちゃんが論議されてきたことは、ご幼少時からずっと
止むを得ず苦しみを伴って研ぎ澄まされきた部分と、
モチベーションを持って粘ってそうされてきた部分、両方の感覚をもって語られていたからこそ、
あたくしのような者の視覚が徐々にでも晴れることを得たと思えています。
そのように書かれたものを読んだことがなかったのです。
それはあるいは、すみちゃんの書かれることに遭遇して初めて
生きたイマジネーションを伴った理解に到達したということかも知れません。
あ、掟を破ってまたこんな風に書いていますが・・・。
前の投稿は、それに対する感謝だったから、受けていただきたかったのですよ。

上の戦災孤児数のデータを拾った(あちこち検索したが、一番詳細なところを選びました)のは、
東京出身で、終戦時に小学六年生でいらっしゃった男性の『シルバー日記』というHPでした:

http://village.infoweb.ne.jp/~fwhy1010/hp-3.htm
『昭和二十三年(1948年)二月の厚生省の報告書によれば、孤児の数は十二万三千五百十人で、このうち二万八千二百四十八人が戦災で両親を失い、一万千三百五十一人が引揚げの際に家族と離ればなれになり、二千六百四十人が捨て子と認定されました。
そして八万千二百六十六人という驚くほど多数の子供たちが、戦後の混乱の中で両親を失ったか、または両親と生き別れになったとされました。この子供たちが今も生きていれば、六十才前後から七十才前後になっているはずです。』

この方のサイトは平易に書かれていますが、なかなか読み応えがあります。
丁度あたくしの父と母の間の年代で、特に父と境遇が似ていますが、
終戦時のあの年齢で、既に天皇制は無用だと思っていらしたのには、
なんとうちの父と違うのだろうと驚きます。
戦中、終戦時のことは勿論、東京裁判のことも仔細に検証なさっています。
そのルール、証拠に関するインチキ、裁判官の選定のインチキ、
裁判途中からの通訳停止とその後の裁判記録のアメリカ側からの不提出、
そして、丁度最近すみちゃんが話題にされていた
A級戦犯の死刑執行日決定に関する考察まであります:

http://village.infoweb.ne.jp/~fwhy1010/genin-1.htm#kihon

『復讐の意図を如実に示す次ぎの証拠もあります。昭和二十一年四月二十九日の昭和天皇誕生日に被告の元へ起訴状を送付し、昭和二十三年十二月二十三日の当時皇太子であった現天皇の誕生日十二月二十三日に、A級戦犯の死刑を執行しました。いかにも欧米人らしく皇太子の誕生日を捕らえて、計算し尽くした陰湿な復讐の方法でした。』

お前達(A級戦犯)が処刑されるのは実際は昭和天皇のせいだと憶えておけ、
だから昭和天皇を呪って死ぬがよい、
そして皇太子はお前達によって呪われ続けるということを憶えておかねばならないだろう・・・。

というのが彼らの意味したかったところだ、という解釈になるのでしょうか?
即ち、皇太子が天皇になった時代は、日本にとっては迷走の時代だろう、という?
だったら、実際にもうそうなっています。
復讐を通り越して呪詛といった感じが、やはり、しますね・・・。

しかしそれでも、このHPの運営者の方も、結局東京裁判の項では
すみちゃんやあっしら様の指摘されたような謀略の疑いを提示することもなく、
他の項をざっと読んだところでは、戦争責任についても
天皇に至ってはもはや無視で、軍部(陸海の区別なし)、官僚、教育機関とマスコミに責あり
という結論を導かれるに留まっていました。
だから、ジャック・どんどん様やあたくしが、あなたがたの指摘は大変な慧眼だと言っても
まんざら誇張ではないでしょう。

この『シルバー日記』HPには『作られた沖縄の虚像、日の丸アレルギー』
という記事もあって(http://village.infoweb.ne.jp/~fwhy1010/hinomaru.htm)、
丁度すみちゃんへのレスを考えながら、
『沖縄で日本国旗を引きずり下ろしたり焼いたりした方々は、
終戦直後からの戦争責任意識が高かったからこそ出たのだろうか』
と思っていた矢先だったので読むと、
あれは沖縄返還後に本州から一挙に流れ込んだ左翼運動の奏した効果だったとあります。
返還前に米国旗しか掲げられなかった時代には、むしろ日の丸はまだ望まれ続けており
日の丸の購買運動までがあったと。
これは、あたくしが若い頃に受けたプロパガンダの検証漏れでした。
学び直さなければならないことはあたくしには多いのです。

ここで元に戻ってパレスティーナのことについてまた短いコメントをしようと思いましたが
今日になって下のスレにお返事下さっているようですね。
改めてそちらにレスいたします。

ではまた、ごきげんよう。

関係ないがPS.1

シルバー日記のおじさまが、こういうことも書かれていました。
当時の裁判官はまだまだ清廉だったのですね。
哀惜とノスタルジー。

『山口判事の死と、ソクラテス
食糧事情が更に悪化する中で、法律を守るのは裁判官の義務だとして、違法な手段による食糧調達を拒否し、みずからは配給食糧だけに頼る生活を送り、ついに餓死(栄養失調による衰弱死)した「東京地裁、山口良忠判事」のことが、新聞に報道されたのは、昭和二十二年十一月のことです。
山口判事は当時の食糧統制法に基づく配給では食糧が少なすぎて、ヤミ米などに頼らなけれは人々は生きて行けない事情を十分承知していました。夫の身を案じる矩子(のりこ)夫人が、もっと食事を食べるように勧めると、
「もし自分がヤミ米を食べたら、それを売買した経済事犯の被告人を裁けるか?」と怒って夫人を叩いたこともあったそうです。
結局夫人は夫の考えに従い配給米だけの生活をしましたが、さすがに二人の子供達には実家からの食糧支援を受け入れて、普通の食生活をさせたそうです。
(途中、ソクラテスのエピソードがあるが省略)
山口判事の行為は法を守ることの必要性を自らの死を以て示した点で、ソクラテスと同じです。
当時のある新聞には「彼は大馬鹿者である。しかし彼のような者の存在が社会にとって必要であり、そういう人間が一人でもいる限り、日本の社会は安泰である」と書いてありました。
また新聞の川柳欄には、判決はメシを喰わねば死ぬと決め、とありました。』


PS.2

ジャック・どんどん様、

そうそう、ネットカフェからアクセスなさってるんでしたね。
どうぞごゆっくり、何週間でも待ちます。
あたくしも事情あってペース落としていますし。

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