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(回答先: 感謝致しております 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 8 月 25 日 10:48:33)
やあ、すみちゃん。
遅れたが、『Re:私の可愛いアリョーシャ』(http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/1094.html)へのレスも兼ねて言わせてもらおう。
>そうですね。 まあなかなか難しいね。
>小林よりのりくんみたいにはいかないですね。 ごめーん。
「小林よりのり」って・・・・・・誰?(笑)
>「カラマーゾフの兄弟」は読んだことある?
>最初の方の「大審問官」とそのちょっと前あたり。
>アリョーシャとイワンとの対話があります。
>イワンは私と似たことを言ってるよ。
>アリョーシャの持ち出す「イエス・キリスト」が、あなたの「天皇陛下」(こういう言い方で良かったかな?)に似てるね。
実は、ドストエフスキーは読んだことが無い。
トルストイはフリーメーソン研究の一環として読んだけど。
いずれ必ず読むことにしよう。
そのときはまた改めて感想を書く。
>アリョーシャの本名はアレクセイ。 ちょっと名前のヒビキも似てるね。
>あなたに(聖者)ゾシマ長老はいるの?
これはどういう意味だろう。
「ゾシマ長老」が「導師(グル)」という意味でなら、多分いない。
小林よしのりのことを言ってるなら、彼には確かに大きな影響を受けたが、ただそれだけだ。
親父やお袋、兄弟や親戚、教師、友人、その他もろもろの人たちから受けた影響と、本質的な差異は無いと思う。
もちろん、「俺」を知る上でスゲエありがたい存在ではあったが。
ここから本レスだ。
>私には、むしろ「カラマーゾフの兄弟」のイワンの問いがこだましているのです。
>どのような予定調和があったとしても、幼い子供の涙を贖うことはできないというあの問い。
>胸がはり裂けそうです。
これは絶対にあんた自身の問題だ。
俺が口を出すのは無礼の極みだろう。
だけど、それでも言わせてもらうよ。
すみちゃん。
どんなに苦しくても、肯けなくても、“それ”じゃダメなんだ。
“それ”じゃ、誰も救われないんだ。
『幼い子供の涙』こそが、『奴ら』の「原風景」なんだ。
決してあがなうことの出来ないその『傷』が、『奴ら』をどこまでも走らせるんだ。
「救われない子供」が、“どこかにある救い”を求めて泣き叫ぶ。
欲しいのはそれだけ。
でも決して見つからない。
欲しい。
助けて。
誰か。
誰か。
誰か。
誰か。
誰か!!!
そいつは、知らねえんだ。
その醜い『傷』を隠すために、おのれを「闇」に隠したそいつは、「自分」を見ることが出来ない。
昏い、瞑い、暗い。
もっと、光を・・・!
イルミナティ。
「闇」を忌み、なお潜む。
「光」を憎み、なお縋る。
「鏡の中の“救い主”」。
『奴ら』はそれを、直視できない。
辛いんだよ。
重いんだよ。
「子供」なんだから。
「泣いている子供」なんだから。
あんたの言うとおり、他の誰も、あがなえないんだよ。