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(回答先: 戦争責任と「情報の質」(通りすがりの一言氏へ) 投稿者 たこ 日時 2003 年 7 月 17 日 11:52:54)
まず初めに、たこ氏が「戦争」を憎み、この国が再びその惨禍に会わぬために、議論を重ねておられることに、敬意を表します。
また、この種の議論について、いわば素人である者に対して、分かりやすくコメントして頂いたことに感謝します。
私は、たこ氏やDdog氏のようにこの種の問題に詳しくありませんので、あくまで一般論的な観点から疑問点を述べさせていただきます。
まず、戦前の体制の中で憲法上の最高位にあり、「現人神」とまで崇められた以上、天皇が政権内の軍幹部、翼賛政治家、側近らから精神的に心髄されていたというような前提に立てば、たこ氏の述べられた天皇を補填するシステムは完璧であり、軍部にたいする実効的な影響力行使も説明がつきます。
しかし現実の政治力学は、いつの時代にも@経済的利権、A姻戚関係、B帰属する組織への忠誠(その組織の中での立身出世)、などが主要な原動力として働くものです。特に、制度疲労を露呈し始めていた昭和の政体は、陸海軍の予算獲得のための縄張り利争いや政商との癒着もあったでしょうし、現実は相当醜い政治、権力闘争の渦中であったろうと想像できます。
天皇の不幸は、その性質上利権に絡むことができないことです。仮に、天皇の御心にかなうような純粋無垢な側近がいたとしても、果たしてどれ程の力になりえたかは疑問です。
御所に住み、周りを同質の公家に囲まれていた頃はよかったのですが、形式的にも近代的な統治システムに入った天皇は、私には裸同然だったと思えるのです。
たこ氏が指摘された、「侍従武官府(侍従武官長は大中将から親補)」、「侍従長(侍従武官たる海軍将官が慣例)」、「元帥府」、「軍事参議院」などのチャンネルで、軍の息の掛かっていないものはあったでしょうか。
というより、権力闘争をする相手側の視点に立てば、影響力を行使できないチャンネルを放置しておくとは考えられないと思います。
「東條(首相、参謀総長、陸軍大将)や阿南(降伏時の陸相)などへの個人的信任」は本当に天皇にとり信頼できるものだったのでしょうか。
政治闘争の場で利権ではない「個人的信任」が当てになることが、どれ程あるのか疑問です。
「上級軍人の背信行為を疑わせるものは」無いということは、逆に言えば、天皇のコントロールが容易で完璧であったこととも言えます。力ある相手との闘争では必ず何らかのボロが出るはずです。
「「統帥権独立」と称して、統帥部(参謀本部および海軍軍令部)を内閣から切り離すシステムの強化」は、天皇というよりも、参謀本部と海軍軍令部の利益に適う改正だったのではないでしょうか。天皇を利用した軍部の策動ともとれます。
以上、疑問点を挙げてみましたが、自分で言うのもなんですが、このように一般論から推論して疑問を述べても、宙に浮いた感は否めません。8月15日も近いですし、何とか時間をとってこの問題を掘り下げてみます。
尚、「「軍部、教育関係者、政商などの責任がないがしろにされるならば」は心外です」について、この点はたこ氏の記述を曲解したとして、撤回いたします。