現在地 HOME > 掲示板 > 議論12 > 101.html ★阿修羅♪ |
|
通りすがりの一言氏の「Re: 争点は天皇が有した情報の質です。(http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/1131.html)」に対するコメントです。
裕仁などの政治家の戦争責任を問題とする上で、彼らが得ていた「情報の質」を問題とする観点は重要です。現に某国では、対イラク攻撃を決断させた情報の質が政治問題化しつつあります。その国でも、軍の最高司令官と中央情報局長官が責任のなすり合いを始めるかも知れません。
対イラク攻撃の責任は、これに計画し、関与し、そして、これを支持し、あるいは阻止を怠った者のすべてが分担すべきで、その意味で末端の兵士やその国内外のマスコミ関係者まで、何らかの責任が認められます。しかし、「総懺悔」は無意味です。それぞれの関与者の行為と、その者が行為に際して得ていた情報の質を問う必要があります。ここで、「行為」は、開戦の命令もありますし、銃の引き金を引く行為もあります。当然ながら、誤った情報でイラク市民を「かかし」と思い込んで銃の引き金を引いたなら、責任は情報提供者のものです。また、イラク市民を下等な人間、あるいはテロリストと思い込ませる誤った情報が与えられたなら、責任は発砲者と情報提供者が分担することになります。前のコメントにある「戦争の責任は、軍部指導者にもなく、情報収集担当者のみが負うことになりますね」は極論ではありません。
軍人を含む当時の日本の政治家に関して申し上げると、裕仁は、疑いなく最も正確な情報を得ていたひとりです。統帥権独立によって、軍関係の情報は内閣にも制限される一方、裕仁は、参謀本部や海軍軍令部に対して頻繁に御下問を行い、また侍従武官府(侍従武官長は大中将から親補)や侍従長(侍従武官たる海軍将官が慣例)を通じて、軍とのチャネルが維持されています。また、元帥府や軍事参議院などの別ルートもあり、参謀本部や海軍軍令部の決断に疑いを持つときは、裕仁の発意でこれらへの諮詢も行っています。今まで何度か話題にした「最高戦争指導会議」は、東條の後任として首相になった小磯が、以前の「政府大本営連絡会議」を改組したもので、首相にも軍関係の情報が得られないことを改善しようとした試みです。なお、小磯は首相当時も現役の陸軍大将ですが、それでも統帥部からは作戦が伝えられていなかったようです。
「常識的に考えれば、軍部が自らの組織に不利となる情報は、上げても何らかの加工をして上げるでしょう」は、現場から離れた場合に情報が変質し得るという意味では組織の一般論です。しかし、複数の情報チャネルを持つ裕仁は、上級軍人の全部が組織的に虚偽情報で口裏を合わせない限り、重要な問題で欺かれるはずもなく、また、伝えられる東條(首相、参謀総長、陸軍大将)や阿南(降伏時の陸相)などへの個人的信任を照らし合わせると、上級軍人の背信行為を疑わせるものはありません。「天皇が虚偽情報で繰られていた」とするのは神話です。
なお、「天皇が政権内での情報戦を制していたとみることはできません」とされますが、神話をはぎ取ると、私は「(裕仁が)情報戦を制していた」の方がリアルと考えます。少なくとも、「統帥権独立」と称して、統帥部(参謀本部および海軍軍令部)を内閣から切り離すシステムの強化は、裕仁の意思を反映しています。政党内閣への敵意があったのかなど、その動機まで踏み込むことはしませんが、防衛庁長官の石渡が制服組の勢力を利用して、内局背広組をコントロールしている状態に近いでしょう。
「組織の最高位に就いた人物が、自らその組織を創り上げて就いた場合と、世襲で就いた場合とでは、発言の政治的影響力は異なります」は、意思抑圧の問題としてなら、理解できないことはありません。通例は、上級者の不本意な命令にしたがった下級者の戦争犯罪で問題となります。裕仁の場合に、その意思決定を阻害した要因はほとんど考えられず、また、意思に反する命令で戦争犯罪にいたった下級兵士と比べて、別異に扱われるべき理由はありません。仮に、「権力闘争を経験していない天皇は、情報の持つ決定的な意味を理解していなかった」という理由で、免責あるいは責任が軽減されるなら、その現実的な処方箋は、このような地位の者の政治関与ないし政治利用を徹底的に排除することです。「(詔書)を出しておれば、もう少し天皇責任論者の考えも変わっていただろうとする危険な考え方(http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/1122.html)」をご参照ください。
「軍部、教育関係者、政商などの責任がないがしろにされるならば」は心外です。ブッシュの責任追及は、当然ながら(「世界支配層」とは申しませんが)石油を利権とするグループの責任に結びつきます。一方、軍部や「軍国主義勢力」への責任の限局は、戦後の保守政治を支えた親米英派戦犯政治家を免責する論理です。