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(回答先: 天皇陛下と戦争責任(その1)−たこさん、Ddogさんへ 投稿者 転載 日時 2003 年 7 月 06 日 22:54:00)
感想1
誰の手になる文章か不明なのだが(転載さん、なぜ出所明らかにしないの?ルール違反ですよ、それ。意図的なの?)、この筆者は以下の3つの責任のレベルをはっきり明示している(その1より)。
1.法律的責任: 不法行為をなした場合に課せられる法律的制裁
2.政治的責任: 権力の行使によって生み出された結果に対する政治行為者の責任
3.道義的責任: 前期の責任を免れたとしても自己の良心において負担する内的な責任
しかし、奇妙なことに、なんと2についての議論をそれ以下の文章で意図的にすっぽり省いていますね。政治的作為があるあるといえます。言い換えれば政治責任があったことを認めているが、天皇擁護それ自体が目的のため、その詳しい言及・議論を避けたといわれてもしかたないでしょう。
感想2
法律的責任と道義的責任は別カテゴリーと自分で断っているのにいつしか以下のように混同してしまっている。道義的責任がないことをいうために、法律的責任がない、という理由をあげている。あきらかに、いわゆる「カテゴリー・エラー」を起こしている。意図的かあるいは、知的に及ばないかいずれかである。以下引用する(その3から)。
「 昭和天皇のお人柄は、非常にまじめであり、政教分離の原則に忠実であった。このため、大東亜戦争を阻止できなかったという道義的責任を問う考えがあることは事実であろう。しかし、それは憲法に則った立憲君主として御決定の結果であり、当時の憲法(大日本帝国憲法)においては、その御決定は輔弼者たる臣下(開戦決定の御前会議に列席した東条首相以下の政府・軍首脳)の実質的な責任において御裁可を仰いだ結果であったことは先に述べたとおりである。」
感想3
上の引用に関係するが、「人柄」と「道義的責任」は別カテゴリーで、違うレベルの問題。人柄がよくても善人でも道義的責任が発生する場合は当然ある。人柄が悪くても悪人でも道義的責任が発生しないことがある。2つは関係ない別次元。ここでもカテゴリーエラーを犯している。(意図的か物事精密に考えられないかのどちらか)
感想4
御前会議にて(その3より)
「次に阿南陸軍大臣は、外相の意見には反対でありますと前提して、荘重に涙と共に今日までの軍の敗退をおわびし、しかし今日といえども、必勝は帰し難しとするも、必敗とは決まっていない。本土を最後の決戦場として戦うにおいては、地の利あり、人の和あり、死中活を求め得ベく、もし事、志たがうときは、日本民族は一億玉砕し、その民族の名を青史にとどむることこそ本懐であると存じます、といわれました。」
阿南は非常に恐ろしい発言をしている。日本の名誉のためには場合によって日本人全員で玉砕していいではないか、というのだ。これほど恐ろしいものの考え方があるのか!職業軍人は、戦うことそれ自体を目的としているから、このような前後見さかいない判断となるのだ。軍人の特徴は負けが込んできても、いや負けてはいない、これからだ、と意地を張ることである(スポーツ選手の全員がそうであるが、彼らは戦争モード・戦争マインドだからだ)。また血気が盛んであり勝気であるため、客観的冷静に状況を判断することより、希望的観測に陥りやすいのだ(体育会系はマッチョなだけでオツムが軽く率直に言って頭の訓練はしていない)。戦闘マインドの人間は重要な局面で判断が冷静にできない、行き過ぎになること、過剰になりやすいことがはっきり示されている。これは軍人はシビリアンコントロールにおかないと破滅的な結果になることを教えてくれる。戦前、陸軍大臣・海軍大臣というのがいたことが、日本を戦争マインドに突っ込ませた最大の原因だ。ここから学べきは、自衛隊を軍隊に格上げして、防衛庁から、防衛省に格上げし、防衛大臣を閣僚に迎えることがいかに危険なことであるかということなのだ。閣議で、外的危険を強調する彼らの声は必ずおおきくなり、ほかの閣僚を仕込む可能性があり、予算分捕りを図る。そして閣内での戦争マインドがじわじわと高まり可能性がある。戦前が実際そうなったのだ。この点軍事マインド優勢化を主張するあっしら氏、Ddog氏はこの戦争から何も学んでいない、根本的な間違いを犯しており、時間の無駄・戦前の人命を無駄死にさせており、「英霊」やらを辱めている。日本人だけでも300万人のその死はなんだったのか。