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(回答先: Ddogさん、あのとき海軍側は沖縄に船を出しても意味がない、と考えていたのは歴史的事実ですか? 投稿者 和田 日時 2003 年 7 月 05 日 01:44:07)
和田さん:1あの戦況(燃料もない状態)で、しかも米軍の圧倒的軍事力に対し海軍は沖縄に船を出すのは意味がない、と考えていたというのは歴史的事実ですか?もし歴史的事実はそうではなく、大和出陣が意味があると考えていたとしたら逆に海軍はその時点で、米軍の空軍力(爆撃力)をプロフェッショナルな観点からどう評価していたのですか?
Ddog:失敗の本質 中公文庫 P222-261 沖縄戦よりの要約
相変わらず帝国陸海軍の作戦目的は曖昧で、米軍の本土上陸作戦を引き伸ばす為の、戦略持久か、航空決戦かの間を揺れ動いた。大本営と現地軍の認識のずれが致命傷でいた。
現地軍は精鋭第9軍を台湾防衛に抽出して、手薄になっていた。天皇陛下は、そんな状況を心配し、補充を意見したようである。しかし、大本営宮崎作戦部長が、兵員輸送において、兵員輸送の困難さと、本土防衛の為に補充しなかった。
米軍の上陸に至り、現地第三十二軍とすれば、持久戦に持ち込みたかったが、大本営は、米軍が上陸早々北中飛行場を確保してしまったことの衝撃を受け、これを奪還する作戦を現地軍に要求指示した。現地第三十二軍はかねてよりの持久作戦が狂わされることとなり、大本営になんとかしろと要望を出した。陸軍航空部隊も飛行場問題を致命的に思っていた。、大本営海軍部及び、連合艦隊はかねてからから、沖縄作戦において、米軍の上陸前と上陸時点で、急襲打撃して、米軍撃滅の端緒を打開しようと構想していた。
昭和20年4月2日、連合艦隊参謀長は、第三十二軍参謀長宛に、10日間北中飛行場を陣地を捨て攻撃してくれたら、之が為、主力を以って敵主力を叩くとした為、大和出撃が決まった。米軍空母が10日たつと入れ代わるところを突く作戦であった。
結果を知って論評すれば、無謀と容易に判断しがちだが、当時の時局からすると、必ずしも無謀と判断できない。大和には帰りの燃料は当然積んでいた。片道特攻はフィクション。
和田さん:2天皇の独白録で沖縄戦を「全くばかばかしい戦闘」と評しているとのことですが、それはあくまで今から振り返ってみれば結果として馬鹿馬鹿しいものだったという意味にもとれますがいかがでしょう?また、天皇の責任を回避するため戦後政府がGHQに提出する公式文書である独白録をそのように原稿調整をした可能性・余地はないのですか?このあたりの歴史的事実はどうですか?
Ddog;独白録の聞き取り調査目的は、天皇無罪目的であり、英語版は更に調整が入っている。
わださん:3当時からそこまで強く「(沖縄戦を)まったく馬鹿馬鹿しい戦闘」と考えていたのなら、日本人の人命損失を考えて、その段階で非公式にでもやめておけ、の発言をするかまたは公式の「聖断」をするか、できる位置にあったのではないですか?1あの戦況(燃料もない状態)で、しかも米軍の圧倒的軍事力に対し海軍は沖縄に船を出すのは意味がない、と考えていたというのは歴史的事実ですか?もし歴史的事実はそうではなく、大和出陣が意味があると考えていたとしたら逆に海軍はその時点で、米軍の空軍力(爆撃力)をプロフェッショナルな観点からどう評価していたのですか?
Ddog:当時はここで止めたら死んだ兵隊に申し訳ないという考え方が主流であった。
あそこで止めておけば良かったなどと結果を知っている人間が安易に判断できるものではない。
海軍は意味を感じていないとするのは、間違いです。1の答え参照