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(回答先: 真相2 投稿者 Ddog 日時 2003 年 7 月 05 日 03:11:02)
近衛の秘書で、細川護貞の「細川日記」の1945年2月14日の条です。沖縄戦直前です。
「公(近衛)は今朝参内、(中略)上奏の内容は公自筆のものにして、主としてソヴィエットの欧洲に於ける行き方を述べ、(中略)終始赤化の脅威を説きたるものなり。是に対し御上より、米国は我皇室を抹殺せんと云ひ居る由なるも其の点如何との御下問あり、公はグルー及び米国首脳部の考へ方を見るに、其処迄は行かぬ様思ひますと言上、陛下は、梅津は米国が皇室抹殺論をゆるめざるを以て、徹底抗戦すべしと云ひ居るも、自分も其の点には疑問を持つて居ると仰せあり。又梅津及び海軍は、今度は台湾に敵を誘導し得ればたゝき得ると言つて居るし、その上で外交手段に訴へてもいゝと思ふと仰せありたりと」
この時期、裕仁は、国体護持に執着し(「誠実」と言い換えていただいても結構です)、梅津(陸軍参謀総長)と海軍が主張する「台湾決戦」に期待しています。実際には、米軍は台湾を避けて沖縄に来襲することになりますが、ここでも、「決戦勝利後講和」を期待しています。その後の作戦指導でも、現地の実情を無視した決戦主義が濃厚です。
「当時はここで止めたら死んだ兵隊に申し訳ないという考え方が主流であった」ですが、占領地(中国)からの撤兵拒否の論理として、陸軍が用いた論理とされています(対米妥協を拒み、対米英開戦に至っています)。撤兵拒否のロジックにはなっても、決戦を求めるロジックになりません。仮にこんなロジックで戦争を続けるなら、戦勝以外は終結の方法もない途方もない結果となりますが、もちろん、国体護持を至上視した裕仁の意思とは関係ありません。
戦術への指導は、どのように考えていただいてもよいのですが、自ら意図した決戦を本当に「全くばかばかしい戦闘」としたなら、通常の感覚ではちょっと困った人ですね。沖縄戦では、ご存じのように、非戦闘員を含む多数の死傷者が発生しています。