現在地 HOME > 掲示板 > 議論11 > 791.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 私も天皇制にこだわっています 投稿者 たこ 日時 2003 年 7 月 02 日 19:50:23)
たこさん。 こんにちわ。
ご指摘の部分は、実は良くわからない部分でして、自分の中では保留している部分です。 まだ未整理なんですが、この機会に少し出してみます(小出しにするところが、いやらしいです)。 よろしければご教示下さい。
「「天皇家の政治文化」の保全には、天皇制はあまり目立たない方がいいですよ。 権力から離れた方が安全ですよ」という提案を天皇尊崇者に行いましたが、私が必ずしも納得しているということではありません。 天皇尊崇者の立場に立ってよびかけたということです。
まず「日本教と近代天皇制との接合」に無理があり、消極という点は,すでに述べました。 消極の理由はたこさんとは違います。
また、近代天皇制、実は西洋列強の脅威に対応するために国内統一を行うための「おみこし」として成立したという理解はおそらく正当だと思っています(実証する能力まではありません)。 この点ではSilent Tearsさんの見方に賛成しています。
しかし、実際には、明治期以降においては、近代天皇制は世界支配層(注意:これは陰謀論にシフトしています)にのっとられ、金融のくびきにつながれ、遠隔操作を受ける存在に堕落していたと思っています。
この結果、吉田松陰のような「国防」ではなく、外国へとどんどん侵略を進める存在となってしまったのです。 本来の趣旨からいえば「国防」にとどめるべきでしたが、なぜできなかったのでしょうか? 私が近代天皇制に感ずるうさん臭さの根源は、この点にこそあるのです。 私はこれを許しません。
この点についてはまた投稿するかもしれません。
次に、天皇家の「政治文化」の内容について簡単に考えを述べます。
「日本の皇室は、(中略)長い歴史を持っています。そして、各国の王室にはない日本の皇室ならではの興味深い伝統や文化があります。」
天皇がが名目上は将軍より偉いが実権は持たないというあり方を政治文化と呼ぶなら、そのような政治文化は存在していたと思っていました。 私はその「存在」自体は疑っていませんが、間違っていますかね。
その「評価」は別です。 どちらかと言うと消極です。
万世一系的幻想は、鎌倉期から始まり、水戸学において強化され、明治期に完成したものでしょう。 意外に新しい考え方だと思っています。
父権制的−強権的−形而上学的−一神教的色彩を徐々に強めていったのだと思います。
このような制度は、強力な外敵との遭遇に対する(過剰)防衛反応だったのではないかなあと思っていますが、よくわかりません。
父権制的−強権的−形而上学的−一神教的フィクションが今後必要かと言われると、望ましくないと思っています。 これは上で少し書いたことです。 だから父権的万世一系も必要とは思いません。
たぶん私の関心領域はたこさんとは違っています。 だから話がそれていきます。
私が不思議に感ずるのは「イザナミノミコト」です。
フルコトブミ(古事記)によると、アマテラスの母親でありながら、ヨミの国で蛆虫に食われている醜い存在です。 まるでホラー映画です。
この記載は、日本列島への侵略統治者による母系の抹殺と古代天皇制の成立を示しているように思えてなりません。
熊野市にイザナミノミコトの墓(という伝承の場所:現在の歴史学は認めていない)があります。
それは縄文信仰的世界です。 また母系制的信仰に思われます。 この墓所に小石を積めば子供を授かることができます。
私はここで子供を授かっております。
私が興味を感ずるのはこちらの「文化」です。
それは日本列島においても早くから抹殺されてきたのでしょうか。