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(回答先: 私の興味の対象:縄文−母系的文化? 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 7 月 04 日 13:59:18)
話がズレているのは、私がズラしたからです。肯定論にしても否定論にしても、「伝統」を議論するのに、「天皇家は1500年くらい前からある」という表現で、伝統とは論理的な関連がないことを持ち出されたことについて、ある種の「歪み」を指摘させていただいたつもりです(肯定・否定の結論とは無関係です)。ついでに申し上げますが、「大和朝廷は天皇家の祖先」などとする教科書記述も、不当に政治的と考えております。
さて、本論に戻りましょう。
天皇制のイデオロギーは、「Re: Re:日本教と天皇について(http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/756.html)」で言及したように、討幕運動とはあまり関係なく、むしろ明治維新後において、藩閥政治家が藩を解体する過程で実体化したものと考えております。封建制度、特に「藩」という中間支配構造を解体するという意味で「近代」を実現するとともに、当然ながら、新憲法以降の「現代」と対決する要素も含みます。
書いておられるように、神話はある時期の政治宣伝ですね。すみちゃん氏のご意見は、「イザナミの死」は、成立しつつある父権制の母権制への抵抗と考えておられるのでしょうか。私は神話学も民俗学も専門ではありませんが、一般的には、「五穀」の起源などを説明する弥生新作神話とされているのではないですか。これを縄文神話とするのは、たぶん少数説です。
天皇制のイデオロギーに父権的要素を見つけ、これに対抗するのは理解できます。しかし、「父権制的−強権的−形而上学的−一神教的」と書いておられるのはわかりません。天皇制のイデオロギーの直接の父権的要素は「家」ではないですか。父系血統による血縁集団である家に価値を置く考え方です。もちろん、「天皇家」もこれに含まれます。そして、これに対置すべきものは、母権的要素ではなく、「個人の尊厳」ではないですかね。