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(回答先: Re:天皇家のために何がよいのかという視点から再考されてはいかが? 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 6 月 30 日 15:57:53)
天皇への崇拝は、宗教的な感情とすれば、個人の信仰の問題で、その布教も自由です。私は、布教に際してバラまかれている歴史記述には反応しますが、これはオウムの「空中浮揚」のトリックを暴くのと同レベルです。
もっとも、天皇制議論は、個人の信仰をベースにするとしても、それを超えています。Ddog氏の問題意識では、「天皇という司祭に日本教という宗教的無規範の要の役割を期待」とされています。これは、自らの信仰と一応は切り離した場所で、天皇の「役割」を主張する功利的な政治論です。おそらく「教育勅語」を起草した明治期の藩閥政治家と同質の発想でしょう。
すみちゃん氏のご意見ですが、「再び天皇家を免責の隠れ蓑」は「日本新保守主義者の方々」の意図と少し違うでしょう。むしろ、これを民族意識などの焦点とすべき「象徴性」の強化を意図しておられるのでしょう。この種の論者は、自らの信仰と関係なく、他人の「教育」に熱心ですね。天皇礼拝の祭壇を自ら自宅に築くのではなく、公教育の場面で天皇崇拝を国民に強制するなどの方法を提唱します。これは政治論ですから、厳しく反論したいと思っております。