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(回答先: なぜ、昭和天皇の戦争責任はないか。 投稿者 Ddog 日時 2003 年 6 月 17 日 00:14:14)
かなりの息巻きと興奮のようだね。
あなたの意見は、前回のあっしらさんと書記長の言論戦後、本を読んで大急ぎで理論武装したのだろけど、いかんせん古すぎる。要するにフジサンケイ(正論)、文芸春秋(諸君)などの張っている論をただ鸚鵡返しにいっているだけで、それなら、阿修羅インテリの世界ではもう十分わかっている。雑誌『諸君』『正論』の読者投書欄でよくみる月並みな「ちゃぶ台の正義」、絞って水気の残っていない「古雑巾」、ちょっとかっこよくえいばステロタイプの域を出ていない。天皇崇拝主義の言論展開は歓迎だが、もう少し新しい観点、知的に興味を引ける観点から議論を伺えないか。陳腐の印象は免れない。こうした議論が書記長の手にかかると惑星外文明とのリンクの可能性の予兆を感じてある種期待させるものがあるが、あなたのは旧態をでていない。あっしらさんなら文明論、近代システムの崩壊の可能性を地平に天皇制度を扱う余地がほのみえているが、あなたには文明論の背景などまったくない。典型的ポチ保守の類型どおり。米ネオコンの動きみても、本来左翼陣営が全体主義・独裁へ向かっている時代状況・世界の言論状況で、いまだにアカがどうだ共産党がどうだ、左翼がどうだ坊主憎けりゃ袈裟までのごとく、攻撃対象としているが、70年代の時代枠組みの認識をまったく出ていない。いまや右翼左翼の境界が崩れていること日本でも同様なのだ。ここまで旧態でいられることに、ある種の不思議さを感じてならない。「ちゃぶ台の正義」なら雑誌「諸君」あたりに寄稿されたらいかがか。
もう少し自分自身の頭で考えた形跡や苦悩をみせてもらえないだろうか。新しい時代の論理が組めないのか。この時代に、子供時代に天皇崇拝を徹底して教え込まれた馬野や小室あたりにまるまるおんぶにだっこではずかしくないのか。独立性と新味のある論考を求めたい。
まず、昭和天皇の戦争責任論を法的責任の面から論じたいのはわかるが、責任問題というのは法的のみならず、道義的責任のレベルの問題も常にあることをわすれないでほしい。会社の社長自身が商法違反を犯していなくても、部下が違反していたなら、社長が辞任するというのは、道義的責任をとってのことだ。昭和天皇が、自分の行為を非常に強く恥じていた、退位を考えていたことが最近の発掘文書からうかがえるが、これはもちろんすくなくとも道義的責任を自ら認めていることが察せられるところに、非常な報道意義があるわけだ。
あなたには新味を求めないが、次回、せめて天皇の道義的責任論についての開陳を願いたい、