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(回答先: 「その地位に就いていたがために問われる責任」ではありません 投稿者 たこ 日時 2003 年 7 月 15 日 16:56:36)
まず、第一に、たこ氏のおっしゃる通り、「問題とされるのは、「その地位に就いていたがために問われる責任」ではなく、自らが行った行為に対する責任」です。
ただし、法的責任の場合はともかく、政治的責任を問題とする場合は、「行為」の前提として考慮すべきと考えます。
政治的責任では、@如何なる地位の人間が、A如何なる行為をしたか、それによって如何なる影響、結果がもたらされたかが問われるはずです。
Aが無く、@だけでは問題となりにくいでしょうが、Aの意味を考える上では@は不可欠です。全く同じ行為を天皇が行うのと、下っ端の役人が行うのとでは、その意味は根本的に異なります。
従って、組織の最高位に就いた人物が、自らその組織を創り上げて就いた場合と、世襲で就いた場合とでは、発言の政治的影響力は異なります。
簡単に言えば、ヒットラーが作戦に口を挟むのと、天皇が挟むのとでは、軍部への影響力は異なるということです。
次に、「たとえば、日米戦争での必勝論を信じたとしても、それで免責されるものではありません」ということは、私も「戦争の意味」を知っていた以上、免れないと書いています。問題は、どのような情報に接していたかにより、責任の軽重、程度を決するということです。
そして、「私は正確な情報を得ていたと考えております」という点が最大の争点になると思います。
常識的に考えれば、軍部が自らの組織に不利となる情報は、上げても何らかの加工をして上げるでしょう。また、Ddog氏が述べておられるように天皇は独自の調査機関を持っていなかったこと、さらに言えば、権力闘争を経験していない天皇は、情報の持つ決定的な意味を理解していなかったと考えるべきです。
「裕仁との意見対立を理由に辞職する国務大臣の例があること」から、天皇が政権内での情報戦を制していたとみることはできません。ましてや実質的な戦争責任を問うまでの根拠としては不十分です。
さらに、「戦争の責任は、軍部指導者にもなく、情報収集担当者のみが負うことになりますね」は、明らかに極論です。
少なくとも、軍幹部は組織内からの叩き上げです。例外はあっても原則として組織は掌握されていたと見るべきです。
政治責任、戦争責任を問うには、政治力学に基づいた意思決定の過程が明らかにされなければならないはずです。
断片的に事象を取り上げて、それを最高位者の天皇が行ったからといって、多大な影響力を及ぼした、従って多くの戦争責任を負うべきとするのは、表象的な観察に見えてしまうのです。
たこ氏が、何ゆえにここまで、天皇の戦争責任を主張されるかの意図は理解できましたが、[陸軍などの好戦的な軍人集団の責任とする戦後の政治宣伝に反対]するために、軍部、教育関係者、政商などの責任がないがしろにされるならば、誇張により歴史の検証をゆがめることになると思います。