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(回答先: Re: 一部賛成者の意見。 投稿者 通りすがりの一言。 日時 2003 年 7 月 15 日 16:16:26)
問題とされるのは、「その地位に就いていたがために問われる責任」ではなく、自らが行った行為に対する責任です。「天皇就任」の責任ではなく、「戦争」の責任が問題だからです。
何度か申し上げておりますが、意思が完全に制圧されているときは、行為の責任は問題となりません。また、正常な判断ができない特殊な状況に置かれたなら、それなりの責任軽減が可能です。たとえば、「奇妙な平和主義(http://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/708.html)」などをご参照ください。
さて、通りすがりの一言氏の本論です。
「一つの組織の中で、ある地位に就いていたがために、その組織がもたらした結果に対して何らかの責任を追及されることは、論理的な帰結です」とされますが、このような考え方は、前近代的な組織連帯責任です。戦争責任の追求は、個人責任の追及です。「ある地位に就いていたがため」ではなく、「自らが関与したために」です。なお、当然ながら、このような組織を構築した者の責任は、戦争そのものの責任と別個に考慮されるべきです。(軍部の独走体制の確立についても、私は裕仁の関与を疑っています。「簡単なコメントhttp://www.asyura.com/0306/dispute11/msg/777.html」の最後の段をご参照ください。)
「前提として正確で適切な情報に接していたか否かが問われるべきです」は当然です。しかし、書いておられるように、歪んだ情報、たとえば、日米戦争での必勝論を信じたとしても、それで免責されるものではありません。なお、裕仁に関しては、私は正確な情報を得ていたと考えておりますが、仮に、通りすがりの一言氏のように、「専門的情報を軍部自体が閉ざしていた以上..」を免責の根拠とするなら、戦争の責任は、軍部指導者にもなく、情報収集担当者のみが負うことになりますね。
「戦争という膨大な範囲に関わる事項を安易に束ねて、ひとりの個人にその責任があるというのは、どのような地位にある者であっても人間の責任を論じる上では、あまりに雑な議論といわざる得ないのではないでしょうか」は同意します。私は、戦争の責任を「安易に束ねて」、陸軍などの好戦的な軍人集団の責任とする戦後の政治宣伝に反対しております。裕仁を含む「親英米派」の戦争関与とその責任を明らかにしたいと考えております。当然ながら、アメリカ指導者の戦争責任も問題としております。
天皇崇拝の個人感情には言及しませんが、「ヒステリックな狂気」で戦争を再現しないためにも、「教育」などを通じてこれを押し付けようとする政治主張に対決すべきと考えております。