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(回答先: 国際問題において、誰が絶対的・普遍的な立場に立てるのか? 投稿者 書記長 日時 2003 年 7 月 11 日 18:41:15)
「 あなたや私を含めた世界中の人々が第三者の立場になって、絶対的な価値基準によってそ
の戦争を判断できるのかということです。」
a)たこさんが、第三者の立場で絶対的な価値基準によって戦争を判断していると考える理由は何ですか?私は彼の議論は、日本が行った「明治憲法下での戦争」(つまり日本という特定地域と時間)で一日本人として判断をしようとしているように見えますが。
「 あなたにもよく分かっているのでしょうが、かりに戦前・戦中・戦後という時代の多くの
出来事対する「事実認定」を共有できたとしても、それらに対する判断は人によって異なり
ます。ある政策が結果として失敗か成功かというレベルでも意見が分かれるのです。
そして、ある国に属する国民にとっての利益とか正義といったものが、他の国民にとって
の不利益であったり悪であったりすることはザラです。国際社会においては、諸国家を超え
た利益・不利益、正義・不正の普遍的な基準は今までのところありません。慣例としての国
際法は大切ですが、ごく限られた範囲の事項をカバーするルールにすぎません。利益・不利
益に関しては、どこまでいっても国家同士でお互いに矛盾するものでしょう。」
b)国民の利益と国家の利益は必ずしも合致しませんよ。戦前の西ドイツはいかがですか?
「 要するに、日本国民としての正義や利益は、アメリカ国民の正義や利益とは異なり矛盾す
るものであり、第三者の立場で絶対的な基準から諸国の戦争の責任問題を判断することなど
普通はできないということです。」
c)そんなことは当たり前で、ここでは議論になっていないのでは?
「 単に人が死んだから、苦しんだからダメだったとは言えないことは分かりきったことです
。これは私やあなた個人が死んだり苦しんだりしたくないと思うこととは別の問題です。」
d)意味不明ですね。
「 結局、技術論的なレベルで何が成功で何が失敗だったかを判断することすら難しく、技術
論的な成功・失敗では道義上の責任は追求できないものです。」
e)たこさんは道義上の責任は議論してもしょうがないという立場を繰り返していますが、よく読んでいますか?
「 つまり、「反省し発展するための批判」をしたいのなら、「責任追及」という不必要な感
情や議論を巻き起こし、間違った社会的行動を引き起こすような言葉をそれに用いずに、た
だ「反省」や「非難」をすれば良いのです。」
f)間違った社会的行動を引き起こすような言葉?どういう意味でどれがそれに値するのですか?
g)国家権力を持たなかった国民が何を「反省」するのですか?また誰が誰を「非難」すれば言いという意味ですか?小泉が公約を違反したとき、国民が「反省」、小泉を「非難」するのですか?「非難」してどうなるのですか?非難に値するか否かは、政治責任があるかないかを論定することがことの順序ではないのですか?思考手続きが混乱していませんか?
h)要するに天皇無謬論ですか?そして、戦争責任問題を論じること自体がおかしいという立場ですか?阿修羅でそんな議論をすべきではない、ということですか?