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鄭夢憲(チョン・モンホン)現代峨山(ヒョンデ・アサン)理事会会長は自殺の前日(3日)、家族と共に食事をし、高校の同窓生と一緒に酒を飲んでいたことが分かった。
友人の朴某(53)さんは警察で「高校時代の友人なので、政治や事業など頭の痛い話ではなく、ゴルフや今後の生き方などに関する話をした」と話した。
▲「家族や友人と共に食事」=今月2日午後10時30分まで最高検察庁で調査を受けた鄭会長は、夜遅くまで江南(カンナム)のあるバーで酒を飲んだ後、3日午前4時30分頃に帰宅した。
鄭会長の運転手の金某(57)さんの証言によると、鄭会長は3日、普段よりも遅く起床し、午後12時30分頃に城北(ソンブク)区・城北2洞の自宅で家族と共に昼食を取り、午後1時30分頃、普段よく利用していたHホテルで約1時間サウナをした。
この後、午後2時40分頃、このホテルのロビーで現代商船の元役員で高校の同窓の朴某(53)さんと会った。米国から一時帰国し、このホテルに泊まっていた朴さんは警察で「鄭会長が先に電話をかけてきて会うことになった」と話した。
午後6時頃、鄭会長は朴さんと共にソウル・島山(トサン)公園近くのNレストランに場所を移した。レストランで鄭会長の夫人のヒョン某(48)さんと娘、親戚など6人で食事をした。ヒョンさんは「数日前から約束していた食事だった。普段、夫は検察の捜査についていつも心配していたけれど、この日は捜査に関する特別な話はしなかった」と話した。
午後8時頃に食事を終え、鄭会長は「友人(朴さん)と一緒にいたい」とし、家族と別れた。この後、鄭会長はソウル・清潭(チョンダム)洞のWバーで3時間、朴さんと2人きりでワイン2本を飲んだとされている。
▲「30分後に戻る」=この日午後11時頃、バーを出た鄭会長は自分の車で朴さんをHホテルまで送り、運転手に会社に行くようにと指示した。運転手の金さんは「午後11時30分頃、桂(ケ)洞の本社社屋に到着すると、会長は『30分後に戻る』と言って車を降りた」と話した。
金さんは翌日、鄭会長の遺体が発見された直後まで車で鄭会長を待っていた。
受付のウィ某(30)さんは「3日午後11時52分ごろ、鄭会長が会社に到着し、会長を直接案内して12階までエレベーターに乗り、執務室のドアを開けた」と語った。
ウィさんは「鄭会長が『30分ほどしたら降りていく』と言ったので、同僚1人を執務室に行かせたが、その同僚は『30分を過ぎても鄭会長が出てこなかった』と戻ってきた」と述べた。警察は鄭会長がその時間に執務室で家族らに遺書を書いた直後、飛び降りたものと見ている。
▲遺体の発見状況=4日午前5時40分。鄭会長は桂洞の社屋裏手の駐車場の前にある花壇に倒れているのを社屋の清掃業者の職員、ユン某(63)さんに発見された。ユンさんは社屋の駐車場管理人のキョン某(51)さんに手振りで人が倒れていることを伝え、キョンさんは「酔った人が倒れている。息をしていないようだ。早く来てくれ」と112に通報した。
午前5時53分ごろ、通報を受けて現場に到着した三清(サムチョン)派出所のユン・ソクキ警長は「午前6時8分ごろ、出勤した秘書室の女性社員が遺体を見て『うちの会長です』とし、ようやく鄭会長だということがわかった」と語った。
鄭会長は黒いTシャツとベージュのコットンパンツに褐色のカジュアルシューズを身につけており、松の枝に足首と上半身が覆われた状態で仰向けに倒れており、首がわずかに左を向いていた。ユン警長は「出血など外傷は見られなかった。死後硬直の状態から見て死亡推定時間は約4〜5時間前と思われた」と述べた。
一方、鄭会長の秘書のチェ某(女性/38)さんは同日午前5時45分ごろに出勤した。チェさんは「エレベーターに向かう途中、受付の警備員が『会長が昨夜訪れ、事務室に泊まった』と言い、急いで執務室に向かったが、執務室の電気は消えていて、ドアも閉まっていた」と語った。
午前6時5分ごろ、チェさんが鄭会長の執務室のカギを開けて中に入ると、右手の窓が開いており、カーテンが濡れていた。鄭会長の机の上には遺書を残した封筒3枚と眼鏡、時計などが置かれていた。チェさんは運転手の金さんの連絡を受け、すぐに鄭会長が倒れていた現場に向かい、警察に鄭会長の遺体であることを確認した。
廉康洙(ヨム・カンス)記者
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/08/04/20030804000071.html