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今朝も朝7時のニュースに目をやる。寝ぼけまなこで7時2分にリモコンスイッチをオン。どうせ大本営発表の垂れ流しだろうと思って各局を瞬時にパラパラと切り替えながら眺めると、ほとんどが戦況報告。しかし今朝も日本テレビは突出した報道。7時9分までの7分間ではあったが、短い時間ではあれ内容が注目に値した。
パレスティナホテルのロイター記者死亡特集だった。佐藤記者が、「われわれは死ににきたのではない」と怒りをあらわにしていた。この報道はすでにご存知のとおりである。
ニッテレはそこでホテルの15階部分がなぜ狙われたかを追跡。
「アメリカはホテルから銃撃されたから砲撃した」(注。この砲弾が劣化ウラン弾を争点していたかが私は注目している)というアメリカ側の主張は今回はこの報道では後景に追いやっている。これでは説明がつかない。「イラクが記者を盾にした」という理論も「それでは記者たちが目の前のできごととして報道する」ことになり成り立たない。
そこで出てきました、われらが軍事オタク。「バグダッドでは市街戦はありません」と言い続けてきた神浦元章である。言いました。「アメリカはホテルに報道陣が居たことは知っていたかどうか。あるいは、「攻撃する場合もある」とのブリーフィングを行っていなかったんじゃないか。」
キャスターが「それじゃなぜ15階が狙われたのでしょうか」
神浦氏「砲撃した位置はホテルから2キロも離れて居たんでしょう。この距離から見えるホテルの人影はシルエットのようになります。そこから報道用のカメラを肩(テレビではアシスタントが右肩にかついでみせた)にかついでいれば、対戦車砲で狙っているように見えるんです。だから(こういう姿をした)記者というのは命がけなんです。」
あたかも狙われて当然という言い方だ。意図的な「誤爆」(実は狙い撃ち)もニッテレは「仕方のないこと」というところを落としどころにしたというべきか。
「危険と隣り合わせ」の報道なんだから死ぬこともある、と言いたかったのだろう。
アルジャジーラ、アブダビTV、ロイター、と計画的な狙い撃ちを免罪してはいけない。