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(回答先: 神戸小学生殺傷事件: 少年院の男性、年内に仮退院 保護観察へ(毎日3/12) 投稿者 YM 日時 2003 年 5 月 12 日 23:42:01)
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200305/12/20030512k0000m040112001c.html
2003年05月12日
神戸小学生殺傷事件:
「罪の重さ 一生償う」 元少年に変化
「愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ」――。大胆不敵な犯行声明文を送りつけた当時14歳だった少年の心は、97年10月の関東医療少年院送致後、どのように変わってきたのか。神戸市の小学生連続殺傷事件で、同少年院に収容されている加害男性(20)の更生プログラムが最終段階を迎え、今年中に仮退院の可能性が高まった。関係者の証言などから「人間らしさ」を求めた少年院での約5年半をたどった。
男性は関東医療少年院に収容された当初、「どこか静かなところで死なせてほしい」と繰り返し、自殺防止のため24時間監視された。しかし、医者や教官ら数人のスタッフが「赤ん坊を包み込むように」接するうち、そうした人たちに「お父さん」「お母さん」「お兄ちゃん」などの気持ちを持つようになり、「社会で温かい人間に囲まれて生きたい」と口にするまでになったという。
01〜02年の中等少年院では、他の少年約20人と寮生活を体験。嫌がらせを受けることもあったが、気心の知れた仲間もできるようになった。人と向かい合うとぎこちなくなる傾向はあるが、自分から親しみをもって話しかけるといった努力も重ねてきたという。
「強者は弱者を殺してもよい」。少年は6年前、こんな独善的な価値観で犯行に及んだ。しかし、少年院で殺害された男児(当時11歳)と女児(同10歳)の父や母が書いた手記を何度も読み、教官と話し合うなかで、2人の子の尊い命を奪ったのは自分であるということを改めて認識するようになったという。
「罪の重さを一日たりとも忘れず、一生償い続けたい」。今、男性はそう決意し、退院すれば、遺族への賠償金を、社会で働いて得た金で少しずつ支払い、もし遺族が承諾してくれるなら、謝罪の手紙を書きたいと考えているという。
「あのころの自分はまるで夢まぼろしのよう。『犯罪で存在確認をしようとした』ことが理解できない。二度と同じ気持ちになることはない」。医療少年院に再移送された最近、男性はスタッフにこう話した。
男性は97年6月の逮捕後、一貫して両親に会うことを拒否した。「母親だから、(自分の心に)気付いて(犯行を)止めてほしかった」という絶望感があったという。その後も「愛情を持って接してくれたことがない」「一緒に生活したくない」と拒み続けてきた。
しかし、両親が書いた手記を読んで、自分のやったことがどれほど家族に大きな影響を与えたかを思い知った。
その後、やっと両親とも面会を果たした。しかし家族の「帰っておいで」と言う言葉はありがたいが、「なかなか帰りにくい気持ちでいる」と揺れている。
沢登俊雄・国学院大名誉教授(刑事法)の話 男性が本当に更生したのであれば、社会復帰のために仮退院するのは、少年法の理念にかなっている。男性は、被害者に心からの謝罪をしなくてはいけない。また、世間は6年前の事件をよく覚えており、男性の匿名性を確保することが重要だ。社会が、こうした男性をうまく受け入れることができるかどうかのテストケースになるだろう。
[毎日新聞5月12日] ( 2003-05-12-03:00 )