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(回答先: スサノオさんへ(Re:結婚制度) 投稿者 SM 日時 2003 年 4 月 28 日 09:08:40)
お答えありがとうございます。ずいぶん考えてしまい、お返事が遅れたことをお詫びいたします。正直、予想されたことですが問題が自分の手に余る部分もあり、ちゃんとしたお答えにならないかと心配しています。
まず、以下が私の理解です。多少極端に書きますので不満に思われるかも知れませんが、論点を明確にするのが目的であって、他意はないことをご理解いただければと思います。その後に、自分の考えを述べてみたいと思います。
まずSMさんの主張について。
恋愛は良い。結婚制度は良くない。例えば結婚制度には男性が女性を縛り付ける部分がある(ドメスティックバイオレンスを想起)。また、離婚となるとしばしば醜い争いがおこるが、これは結婚制度には無理があるためである。男女が一緒に暮らすことは良い。それが可能なカップルは幸せであるが、皆がそうなるかどうかは分からない。フリーセックスは容認する。(これは従来の、婚前交渉の延長として解釈)
人間はセックスのエネルギーが強く、確かな「はけ口」が必要。団体エゴや人間の自我は、現在のセックスのエネルギーのゆがんだ形での開放にある。瞑想はそれらを超克するために必要であり、瞑想は社会人全てが体験するべきである。
コミューンは、過去の「村」のような閉鎖的なものではなく、家族制度に変わるものであり半自給自足的な生活基盤である。そこへの所属がアイデンティティーを与え、個人の孤立化の問題への解決になる。また、コミューンは過渡的なもので、食料等生活物資が潤沢になれば解散される。子供は親子等の遺伝的特質に関わらずコミューンの共有財産である。
総じて、全人類が共通した「瞑想体験」を持つことが、諸問題解決には必要である。
このように理解しました。足りない点や誤認があれば指摘いただければ幸いです。(基本認識のずれは、注意深く避ける必要がありますよね。)
次に感想です。
先の私の疑問は、結婚制度の廃止は、社会がぎくしゃくしないか、コミューンとは何か、でした。そしてそれに対するSMさんの回答は、恋愛と生殖が人間の本能であるので、結婚制度で縛り付けるのはよくない。コミューンとは家族制度に変わるものであり生活基盤である、というものでした。
また、お互いの共通認識として強調したいのは以下の部分です。
まず全人類とはいいませんが、多くの人間が共通した認識を持つ必要がある。また社会が積極的に子の成長を支える必要がある。これらに賛成します。SMさんの描かれる世界では、瞑想体験によって鍛えられた想像力を皆が持つことで、他を思いやる心を取り戻したり、例は悪いですが、今デフレの原因と言われる合成の誤謬などの、社会的ジレンマから解放されるということを期待しているのだと思います。また、個人の孤立化は総じて無機質な社会の弊害であり、コミューンというきめ細やかな管理のできる小さな社会を設けることで、家族では手におえないが全国的に対処するには対象が細かすぎる問題を解決できると期待しているのだと思います。これらについては異存がないところです。ここで、意図的に瞑想を「共通した認識」と言い換えていますが、「つまりそういうことでしょう」というのが自分の主張です。微妙なところですので、何か思うところがあるかもしれませんね。
SMさんとの相違点は、結婚制度に関しては、自分はやはり必要なのではないかと考えているのに対して、SMさんは具体例を挙げ、制度が現在意味を持たなくなっていると主張している点でしょうか。これは自分の感想ですが、先に主張したように、「つがい」の喜びは共に築く喜びを端的に表現できることにあり、その典型として子育てがあって(という共通認識を社会で持つことが大事だと言う自分の主張)、その喜びを奪い去る積極的な動機が見つからない、ということです。恋愛は(一部でしょうが)本能の部分で、互いから生まれてくる子供がどんな子供か想像が入るものだと思います。本能から始まる恋愛を、表層の快楽の為に根無し草にしてしまうのも気がとがめるのではないでしょうか。西洋的な「原罪」思想に我々も犯されかねません。(つまり根本無明ということになるのでしょうか、よく分かりません)
少し難しい話ですがSMさんの主張では、夫婦を無くすことによって必ず子がコミューンのものになるなら、子育ての義務から夫婦(つがい)は開放されることになり、「つがい」は恋愛によって生じる過渡的なものでしかないということですよね。これはまるで子育てを重荷のように感じ、もしくは老後の面倒を見てもらうための先行投資のようにしか思っていない、そのような感覚が論理の低層を貫いているようにも受け取られかねません。社会的抑圧下にある人間の発想ではないでしょうか。子育ては立派に成し遂げなければならない、老後は他人様には迷惑をかけてはならない、そのような精神が生み出した論理のようにも取られかねませんが、どう思われますか。(ここでは、あえて悪いように取って書いてみました。単に否定していただければと思います。)
我々は子育てと老後の面倒の軽減と言う義務を科せられており、その義務感が閉塞感を(積極的に)生み出している。それゆえそれを排除しなければならない。そのように聞こえてしまう部分がありました。自分は自分の両親の面倒をみることを喜びに感じますし、(経済苦にある人は別にして)多くの人が本来はちゃんとした倫理観を備えているものだと思っています。
恋愛と結婚との間の距離感覚が、議論の分かれ道になりそうです。そこに断絶を設けることも、思考実験としては面白いと思います。しかし現実にはどうかは難しいかもしれません。このSMさんの御指摘によって、我々は全能でなく、生物としての当然の営みを行っている一方で、少し霊長類として言葉遊びをこなしている、そのような人間理解が再確認されるとよいなと思っています。
総じて、現在の社会に何が足りないのか、それを探る手がかりとして例のビジョンを生かされるのが良いようです。ビジョンに挙げられた項目だけで、世の中が全てうまく回ることはないのでしょうが、現在の社会との対比において、特に意味を持つようになるのではないかと思います。たまたまここでは結婚制度一つを取り上げましたが、性欲の問題、嫉妬の問題、遺伝子の多様性の維持の問題、感情の問題と、議論の軸が見えてきますよね。私は結婚問題の専門家ではないのでこれ以上議論を進めるのも難しいのですが、もしこれらの問題の各軸に対して何か思うところがありましたら、そのときにでも聞かせていただきたいと思います。宗教の話も期待しております。
ゲーテのファウストは一度読まれると良いと思います。SMさんならではの読み方ができるのではないかと思います。SMさんは、まさかとは思いますが大学生の方でしょうか?筆をやり取りして相手の人格が感じられるものですね。面白いです。
P.S.
自分の名前はどちらでも合っているんですね。安心しました。
http://www.asyura.com/0304/bd25/msg/825.html
の青草の民さんのお話も面白いです。