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サイト:http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu47.htm
2003年5月27日 火曜日
●不良債権処理をすればするほど処理は遅れる。
●不良債権処理をしなければしないほど処理は早まる。
●個別銀行は不良債権処理した方が得である。
●一国全体では不良債権処理をすると損である。
このことは、詳しくは、後日また書くつもりだった。ただ、私がそう思っているうちに、リチャード・クーが新刊書で、「合成の誤謬」というケインズ派(サミュエルソン)の用語を使って、さっさと説明してしまった。(ぐずぐずしているうちに、先を越されてしまった。) ま、リチャード・クーの説明は専門的なので、私がわかりやすく説明しておこう。 基本的な原理は、11月05日:http://www4.justnet.ne.jp/~greentree/koizumi/96d_news.htm#gousei でも示しておいたとおり、「経済的なマジック」である。(これは「合成の誤謬」と同じこと。)
その本質は、一人一人にとってベストな行動の総和が、全体にとってベストな行動とはならない、ということだ。例を挙げると、劇場のパニックがある。一人一人は、われ先に逃げ出そうとして、狭い出口に殺到した。あげく、ふん詰まり状態になって、誰一人逃げ出せないまま、全員、焼け死んでしまった。……つまり、一人一人がベストな行動を取ろうとしたせいで、全体では最悪な結果となった。
不良債権処理も、同様である。個々の銀行は、自社の利益をめざして、不良債権処理を進める。しかし、国中の銀行がそういう行動を取れば、不況がどんどん深刻化する。いくら不良債権を処理しても、さらに次々と不良債権が発生していくので、不良債権は減るどころか増えていく。「ミクロの総和がマクロではない」と理解することが大事だ。 (この意味で、「自由放任にすれば経済は最適になる」というのは、とんでもない妄想である。上記の劇場の例を参照。)
【 追記 】
別の例もある。ペイオフ実施の場合だ。ゼロ金利のときに、あえてペイオフを実施する。となると、国民各人の最善の行動は、銀行から預金を引き上げることだ。(遅れた人は金をもらえないので。) しかし、国民全員がその行動を取れば、国家経済は破綻する。全員が最善の行動を取れば、国家的には最悪の結果となる。
●ニュースと感想 2001年11月21日 南堂久史:http://www4.justnet.ne.jp/~greentree/koizumi/96d_news.htm#gousei
南堂久史氏の日記を、時間がある時に読んでいるのですが、同じ時期の私の「株式日記」を読むと、ほぼ同じ主張をしている。しかし私の場合は担当分野が幅広いので、断片的にしか解説が出来ていない。もちろんリチャード・クー氏の「日本経済生か死かの選択」もとり上げて解説している。2001年11月の私の日記から幾つか取り上げると次のとおり。
若手政治家や学者が銀行・ゼネコン・流通・不動産などだめなところを潰せと主張しています。しかしいま重病患者を手術をしても死んでしまうだけだ。橋本内閣のときも手術しかけましたが患者は死にかけて中止しました。今は栄養剤を打ち続け患者の回復を待つだけの方法しかない。(11月4日)
テレビ東京のWBSで東京大学教授の伊藤氏がペイオフ延期は海外の信用を無くすと実施を主張している。誰もが銀行は危機的状態であることを認識しているにもかかわらず、ペイオフが実施されたら大口の企業預金が銀行から流出するだろう。その分銀行は貸し出しを回収する必要に迫られる。すでにその影響が出始めているから麻生政調会長は延期を言い始めたのだ。(11月6日)
(日本の構造改革論者や不良債権処理論者は早くこの事に気が付いてほしいものだ。不勉強な学者たちやマスコミは間違っている。1997年の橋本内閣の過ちを再び繰り返そうとしている。リチャード・クー氏の著書と同趣旨の論文は最近アメリカで賞をもらったそうです。バカな日本の学者は見習ったらどうでしょう。)(11月7日)
(テレビをつけるたびに金融テロリストたちに操られた政治家や学者やジャーナリストたちから不良債権を早く処理しろとか、企業淘汰が構造改革だ、とか何度も語りかけてくる。それに反論すると構造改革を遅らせるものだ、と言ってくる。彼らは何もわかってはいない。日本経済を破局に追い込むことが彼らの利益だからだ。)(11月11日)
今一番政府がしなければならないことは、どうしたらデフレを止め、消費を増やし、景気を回復させるかだ。そのためには思い切った財政政策が必要だ。日本の有識者たちが思い切った財政政策を提言しています。メンバーとして加瀬英明氏、丹羽春喜教授、小沢辰男議員、加藤寛教授、平沼赳夫議員、評論家の三宅久之氏ら日本を代表する有識者が推薦しています。一度以下のホームページを見てください。(11月18日)
私は前から公的資金で買い取るしかないと書いてきました。株式買い取り機構も提案してきました。株式買取機構は来年発足しますが中途半端なものになりそうだ。さまざま細かい点で問題はありますが、持ち合い構造を変えるにはそれしか方法がない。個人が受け皿になるには税制で優遇しなければ可能性はない。年金資金もリスクのある株を買うには量的に限度があります。(11月28日)
2年前の日記を見ても私の主張にはいささかのブレがない。日本のバカな学者やエコノミストを非難攻撃していることも変わりがない。やはりバカは死ななきゃ治らないのでしょうか。マクロ経済というのはポール・クルーグマンやJ・E・スティグリッツやP・サミュエルソン教授の本などを読めばわかりますが、朝日ジャーナリズムや、東大や慶大の大学教授では理解できないのだろう。日本からはノーベル物理学賞を取る人がいても、ノーベル経済学賞を取る人はいないだろう。
以前はテレビ朝日の「サンデープロジェクト」にリチャード・クー氏も出ていましたが、最近は田原総一郎氏に遠ざけられています。このように日本ではマスコミによってマクロ経済学者は日陰者にされている。このような状況だから、海外のマクロ経済学者を表に立てて主張せざるを得ない。日本にも優れたマクロ経済学者がいるのですが、マスコミと学会により弾圧されているのだ。
日本のマスコミと学界は、政府の御用学者と提灯持ちによって占められている。だから何時までたっても解決策が見つからないのだ。構造改革が必要なのはマスコミと経済学会だ。東大の伊藤元重教授も「マクロ経済学」と言う学生向けの教科書を書いている。どうやら伊藤教授が日本のマクロ経済学の権威らしい。
しかし伊藤教授が言うごとくペイオフを実施していたら、今ごろ日本はどうなっていただろうか。「りそな」に取り付け騒ぎが起きていただろう。日本のマクロ経済学の権威ですらこの程度なのだ。リチャード・クー氏はペイオフ解禁を「基地外沙汰だ」と指摘していた。植草一秀氏もペイオフ解禁には反対していた。日本でまともなマクロ経済学者はこの二人しかいない。
一昨日の25日の日記で南堂氏はペイオフについて次のように指摘している。
彼の主張するように、「経営不安だから預金を引き出す」とすれば、その金は、タンス預金ではなくて、健全銀行か郵貯に向かうはずだ。「不健全な銀行がどこかにあるから、健全な銀行から預金を下ろしてタンス預金を増やす」ということは、ありえない。そんなことをするのは、腐ったリンゴとまともなリンゴの区別のつかない阿呆だけだ。
現実には、「不健全な銀行 → 健全銀行 or 郵貯」という資金の移動は、ほとんど起きていない。では、なぜか? ペイオフ延期のおかげだ。ここが肝心だ。
だから、正しくは、「ペイオフをやるな」というのが結論である。「(ペイオフをやるために)公共資金を投入せよ」というのは、狂った結論なのだ。論理の倒錯。(彼の主張は、すべてそうだが。)
●ニュースと感想 2003年5月25日 南堂久史:http://www4.justnet.ne.jp/~greentree/koizumi/main.htm
小泉首相や竹中大臣などの構造改革派の言う事は、支離滅裂であり論理が矛盾している。だから2,3年たつとボロが出て主張をコロコロ変える。私の主張は何年間も終始一貫している。景気対策が優先されるべきであり、構造改革や不良債権処理は景気が回復するにしたがって進むのだ。