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(回答先: 「合成の誤謬」という表現そのものが誤謬である 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 5 月 27 日 20:29:57)
すみちゃん、こんばんわ。
転載時に読んでいて、「劇場のパニック」は、マクロを知らないミクロの悲劇であって、「合成の誤謬」のたとえに使うのはなんだかねと思っていました。
※ 参照書き込み
『「マクロを理解していないミクロの経営者の悲劇」』
( http://www.asyura.com/2002/hasan13/msg/676.html )
>a’ ミクロ経済主体の最適行動が、マクロ的には最適の結果をもたらす場合がある。
>b’ ミクロ経済主体の最適行動が、マクロ的には最悪の結果をもたらす場合がある。
利潤獲得の極大化がミクロ経済主体の最適行動であれば、マクロ的に最適の結果をもたらすのはごく限られた条件のときだけです。(生産性が国際比較として順調に上昇し、国際余剰がたっぷりあるか見込めるとき)
最悪の結果をもたらす場合もごく限られた条件ですが、その条件が恒常化する歴史段階になると、最悪の状況が持続しさらに深化することになります。
> 一般的には、物と貨幣との交換については、a’が成立すると思います。
>しかし、貨幣と貨幣との交換(資産市場)においては、原理的にb’が成立しやすい
>と見るべきなのです。
> また、いわゆる「労働市場」と呼ばれているものについても、b’が成立しやすい
>といえます。
フローの取引とストックの取引は、フローの取引がストックの取引を既定する関係にあり、GDP的な拡大が持続しないと、ストックの取引はうまく回らなくなります。
(GDPが縮小している日本で不動産や株式といったストックの取引が総体としてうまくいくはずがないのです)
ストック取引がよくないからといって、それを是正する政策を採ると、90年代の日本のようにフロー取引(GDP)がより悪化することになります。
(財政支出や預り金融資産がドブに捨てられているという認識がフロー取引の維持(拡大)を阻害する)
ミクロとマクロの関係を考えるとき、ミクロは不特定多数ですから、ミクロを仕分けする必要があります。
その他大勢のミクロ経済主体は、頂点に立つミクロ経済主体(世界経済支配層=寄生者)に唆されたりおこぼれを貰っている存在です。
「“特定”のミクロ経済主体はどのようなマクロ状況であっても最適の行動を採る。そして、経済取引だけでそれが実現できなければ、政治力を行使する」
頂点に立つミクロ経済主体(世界経済支配層)がデフレを歓迎しているから「世界的同時デフレ不況」になるのであり、自然現象的にデフレになるわけではありません。
頂点に立つミクロ経済主体(世界経済支配層)が政治力で最適行動を確保しようとするのなら、対抗する術は政治力しかありません。
(自由と平等は、“特定”ミクロ経済主体が自分たちの特殊性を覆い隠し最適行動を確保するためのスローガンです)
※ 参照書き込み
『【経済問題を認識する視点】『世界同時大不況』を歓呼の声で迎える人たち』
( http://www.asyura.com/2002/bd17/msg/534.html )