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(回答先: 悪魔的策謀の刻印−今次イラク戦争とボーア戦争 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 4 月 14 日 21:49:29)
すみちゃん、こんばんわ。
ボーア戦争は、国際金融家と自衛農民の戦いであると同時に植民地主義者同士の戦いであると捉えています。
国際金融家(国際寄生者)の強欲さ・狡猾さ・残虐性など悪魔崇拝性を見事に示した戦争であることでは、今回の「イラク侵略戦争」と同質ですが、植民地主義者同士の戦いであることやイラクの土地や資源を丸ごと奪うとは見ていないので大局としては異質だと判断しています。
末尾に、以前第二次ボーア戦争で書き込みをしたものを添付させてもらいます。
レスした目的は、ボーア戦争絡みではなく、『『ブッシュ−フセイン合作戦争劇』=「イラク南部虐殺戦争」の幕引き地ティクリートの状況 [CNNニュース] − 北部諸都市の空爆被害状況の検証を! −』( http://www.asyura.com/0304/war31/msg/1163.html )で書いたように、ここまでの「イラク侵略戦争」が『ブッシュ−フセイン合作戦争劇』であったという自分に判断を広く問いかけ、その傍証をできる限り集めるのが極めて重要だと思っているからです。
すみちゃんは、「私の知識程度では、フセイン−ブッシュ合作説の検証はできません。 せいぜい、ラムズフェルドさんはフセインさんととっても仲よかったね、?相思相愛?だったねと思うくらいです。ブッシュとフセインとが最初から合作していたのかどうかは良く分からないんですが、結果的に「フセインが国民を売った」のはもはや覆いがたい事実と言えます」と書かれており、『ブッシュ−フセイン合作戦争劇』であるとの見方にまでは踏み込んでいないと受け止めました。
「フセインが国民を売った」だけでは、なんにしろ、イラク側の都合ということになります。
侵略者である米英側は、国際法違反の虐殺戦争ではあっても、イラクと必死に戦おうとしたという構図になります。
それが事実経過からそう思えるものであれば、米英を非難し続けながらも、それに同意します。
すみちゃんに伺いたいのは、フセイン政権が「敵前逃亡」したきっかけないし動機をどう推測されているのか、米軍が12万人の地上部隊でイラク支配戦争に踏みきった自信が何に由来しているとお考えなのかということです。
戦況書きこみの最初である『米英軍の「イラク侵略作戦」を読む − 長期化の可能性 −』( http://www.asyura.com/0304/war26/msg/497.html )で、12万人の地上部隊でイラク支配戦争に踏み切ることの無謀を説明しているつもりです。
『ブッシュ−フセイン合作戦争劇』であることを検証し、できる多くの方がそれを納得できる状況をつくっていくのが、現在の自分の使命(たいしたものではありませんが)だと考えていますので、無理やり引きずり込んで恐縮ですがお付き合いください。
よろしくお願いします。
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【URL不明なので再掲】
第二次ボーア戦争及び現代のジンバブエ
初めまして。
拙文をお読みいただきありがとうございます。
参考書籍については、今自宅ではないのでご紹介できません。(自宅に帰っても掘り起こすのに時間を要するかも知れません。いくつかの書籍から寄せ集めたものです)
記憶を辿りながらになりますが、(第二次)ボーア戦争については次のように考えています。
ボーア戦争は、植民地支配者同士の戦いですが、同時に農業と近代資源産業との戦いでもあると考えています。
ケープ植民地がウィーン会議の結果英国植民地になり、その地にいたボーア人(オランダ系農業植民者)は北に向かって移動し、先住民族と戦いながらトランスバール共和国とオレンジ自由国をつくりました。(奴隷制禁止がボーア人移動の契機となりましたが、国際商業者と農業植民者の戦いと言えるでしょう。スエズ運河は未開通の時代ですから、アフリカ南端のケープタウンは対インド交易で重要な中継地でした)
第一次ボーア戦争(1880年)は、トランスバールでダイヤモンドが発見されたことに端を発し、先住民族とボーア人の土地権利をめぐる抗争に英国が介入することで始まりました。
第一次ボーア戦争は引き分けというかたちで終結し、ボーア人の国家は維持されました。
続いて、トランスバールで巨大な金鉱脈が発見され、大規模な採掘事業が始まりました。
そのようなかで、高名なセシル・ローズがケープ植民地の首相となり、トランスバールの獲得を企図し、英国植民地相チェンバレンが軍隊を派遣したことで1899年に第二次ボーア戦争が始まりました。
英国は万全を期した規模の兵力を送り、この戦争に勝利し、1910年に南アフリカ連邦を成立させました。
よその土地を武力で奪った上に築いたものとは言え、この戦争で自営農民を基礎としたボーア人の共同体は崩壊し、鉱業資本の論理を中心とした国家が生まれたわけです。
(第二次ボーア戦争で対抗するボーア人の田畑は焼き尽くされました)
第二次ボーア戦争は、植民地支配及び植民地争奪戦がどれほどコストがかかるものであるかを英国自身にも知らしめることになりました。
(第二次ボーア戦争は、英国没落の一つの要因ともなりました)
余談になりますが、最近大統領選挙が行われたジンバブエ(セシル・ローズに由来する旧ローデシアの主要部)は、黒人による白人農場の収奪という側面のみが喧伝されていますが、そこには、黒人を使った鉱業資本の土地接収という側面があると考えています。
接収した農場がきちんと活かされていないために、ジンバブエは未曾有の食糧危機に陥っています。(メディアは無能な黒人が農場を維持できないと言っていますが、それはウソで、農場として使わせていないのです。農場の地下には鉱物資源が眠っているところも多くあるとのことです。BBCは、政権を批判したためにジンバブエでは取材できない状態になっています)
ジンバブエのムベキ大統領の顧問は、モサドの幹部だったユダヤ人です。
(選挙期間中に起きた野党候補者のムベキ大統領の暗殺計画を打ち出したのも、その顧問の立案だということです)
余談部分は、BBC制作(たぶん)のドキュメンタリー番組で放送された(NHK衛星1)ものに基づくものです。
黒人過激派の支持を受けているとされるムベキ大統領が、実のところ、誰の利益のために動いているかも定かではないというのが実態のようです。