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(回答先: イラク大衆は、宗教選択の自由さえ確保してくれるなら、親米政権を受容してしまうのではないか。 投稿者 文化的視点より 日時 2003 年 4 月 10 日 01:11:45)
文化的視点よりさん、こんばんわ。
時期が時期なので、“無知”や妄言というきつい言葉を選択しました。
西欧や米国の眼鏡を通じて世界を見るという習慣が続いている日本ではやむをえない面もありますが、あなたが書かれていることは、事実誤認や無理解を基礎としたもので、現今の世界情勢においては犯罪的だとも言えます。
日本政府は、イラク占領支配の行政官や治安要員として自衛隊員を派遣したいと思っています。
解釈は人それぞれですからいいのですが、間違った認識に基づく誤った判断を軽く受け流して済む情勢ではないと思っているので悪しからず。
あなたの書かれた内容を読んで、イラクに対する事実誤認やイスラムに対する無理解は目を覆いたくなります。
フセイン政権は、トルコほどではありませんが、シリアやエジプトと同じようなアラブ社会主義を源流とする政治勢力に支えられているもので、国家統治からイスラムをできるだけ切り離そうとしてきました。
(近代西欧との出会いで力負けした衝撃が、そのような政治勢力を生み出したわけです)
イラクには治安警察はあっても宗教警察はありませんし、女性の“社会進出”も奨励され、ベールの着用も求めていません。
イスラムの突出を抑え込んできたのがフセイン政権であり、それに対する反発がシーア派の反フセイン政権意識のベースなのです。
さらに言えば、イラクに限らずイスラム諸国には、“宗教選択の自由”があります。
キリスト教徒・ユダヤ教徒・無神論者なども国民として存在します。
何を根拠に、イスラム諸国に宗教選択の自由がないという認識をもたれたのでしょうか?
>イラクの一般国民、特に若者はアメリカカルチャー、アメリカンライフスタイルにつ
>いての情報に多量に接しており、80年代の若者とメンタリティーは全く違う可能性が
>ある。
アラブ社会主義という近代的世俗主義を基礎としてきたフセイン政権下のイラクですから、バグダッドなど大都市部では、おっしゃられるような文化的状況が見られます。
>結局はイスラム教を選ぶとして、とりあえず、宗教選択の自由、宗教的ライフスタイ
>ルの厳格さからの緩和要求、それらはあるのではないか。つまり、イスラム教徒を結
>局はやめはしないだろうが、自由の持つ独特の軽快さの方へ欲求が流れるのでは無いか。
イスラム信仰は極めて自由なものです。
イスラム信仰者(ムスリム)は、親がムスリムだからと生まれながらにしてなるものではありません。
ムスリムの親は子供にもムスリムになることを期待するでしょうが、強要はできません。
ある人がムスリムになるのは、イスラムの教えを学び、それへの信仰を告白したときです。
(ですから、ムスリムになれないまま死んでしまった子供は“救い”がないことになります。この問題は、イスラム神学の古来よりの争点です)
イスラム信仰は、本来、自由で自己規律に依拠したものです。
礼拝をしないのも、自分は不信心者なんだと自己嫌悪に陥ったり、他者から不信心者だと言われるとしても、個人の勝手です。
他者にどういう言動をとるかや他者の前でどういう格好をしているかは、宗教警察の取り締まり範囲ですが、それは、風説を流布が取り締まりの対象であったり、裸で街を歩けば逮捕されることなどと同じものです。日本や欧米先進国とは取締りの基準が違うだけです。
フセイン政権に対する支持が強い地域よりも、南部シーア派のほうがイスラム信仰の称揚を心がけています。それが、反フセイン勢力と定義されているゆえんです。
シーア派がフセイン政権を嫌う要因の一つとして、フセイン政権がフセインの銅像や肖像画を街中に飾るというイスラムに基づけば神を冒涜する偶像崇拝を行っていることが上げられます。
偶像崇拝を押し付けているフセイン氏は、ムスリムのふりをしているだけでムスリムではありません。
米英の占領支配が始まれば、旧フセイン政権の軍事・警察にいたイラク人が、フセイン政権と同じように、敬虔なムスリムを「テロリスト」として弾圧することになるはずです。
フセイン氏が米国が派遣する統治責任者(ガーナー氏?)に代わるだけではなく、フセイン政権以上の世俗主義をイラク国民に押し付けることになります。
サダムシティのシーア派のある部分はフセイン政権憎しで米英軍に喝采を投げかけていたようすですが、敬虔なムスリムにとっては、米英占領支配がフセイン政権より恐ろしい未来であることを見抜いていないのは悲劇です。
>人間が持つ自由への衝動は根源的で強力であるため、結局アメリカ軍の施政にむしろ
>好感を持つ可能性はないのか。
ムスリムは、神の絶対性を信じ、人間の限界性を信じていますから、野放図な個人の自由を求めることはありません。
そして、社会生活においても、個人の自由よりも家族の安定や共同体の調和を優先する価値観を持っています。
ムスリムが、暴力的に侵略してきた異教徒の支配に好感を持ったり、それを容認することもありません。
(それに好感を持ったり容認する人は、ムスリムではないということです)
多くの人は家族の日々の生活に追われるため、武器を持って米英侵略者と戦う人は限られますが、ムスリムであれば、そういう人たちを陰に陽に手助けします。
>略奪の様相をみていると、回教の持つ厳格な教えを普天的に守ろうとするだけの内的
>確立はぜい弱で、つまり、利息を取らないのが厳格な教えといったところで、その部
>分は簡単に譲ってしまうのではないか。つまり、概してムスリム教が守られるという
>状態が残っておれば大衆はそれで良しとするのではないか。つまり利息制度が米英か
>ら導入されても、なお、宗教強制が無い自由をむしろ概して選ぶのではないか。
略奪をしている人と略奪をしていない人のどちらが多いかが問題でしょうね。
略奪をしている人は、敬虔なムスリムとは言えません。
「概してムスリム教が守られるという状態が残っておれば大衆はそれで良しとするのではないか」という認識は、イスラムという宗教=価値観に対する無知をさらけ出しています。(仏教を葬式及び先祖供養宗教にして良しとしている日本人とは違います)
経済権益にしがみついている支配者は自己保身のためにあなたが言われる誘惑にかられるでしょうが、敬虔なムスリム“大衆”は、そのような支配者を容認しません。
「宗教強制が無い自由」という表現は、米国的イスラム観のフィルターでイスラムを眺めている証です。
イスラムに宗教強制はありません。あるのは、異教徒であっても、イスラム法の支配に服さなければならないというものです。
それは、日本にいる米国人が、日本の法律に服さなければならないのと同じことです。
(駐留米軍関係者は別ですが(笑))
>今後、米英は日本の戦後のように、若い優秀な世代対象に、米英ヘのおおがかりな留
>学制度などを発足させると思う。招来の指導者の懐柔に相当成功すると思う。アメリ
>カ的価値観が急速に侵食していく可能性はないとはいえないのではないだろうか。
米英のクソ支配層はそのようなことを行いたいと思うでしょうが、米英の経済的状況から、戦後日本に対して行ったような懐柔策をそれほど実施することはできません。
また、ムスリムは、欧米の腐った価値観よりも自分たちの価値観のほうがずっと優れていると確信しているので、そのような試みは成功しません。
科学技術や軍事力にしても、少なくとも17世紀までは、イスラム世界のほうが西欧よりも上だったのです。
ルネッサンスも「大航海時代」も、イスラムが築いていた文化や技術なくしては達成できなかったものです。
このようなことから、戦後日本で起きたような価値観的退廃は、イスラム世界ではそれほど起こりません。
(日本は、戦前から既に、政治的支配層が西欧思想に拝跪していました。だからこそ、GHQの占領支配がうまくいったのです)
>現在のキリスト教指導層と回教指導層の間の決定的な差は、信仰の自由を認めるか否
>かであろう。前者は認めている。後者は、非常に厳しいものがある。
現在の世界情勢であなたのような書き込みを読むと反吐が出ます。
イスラムが信仰の自由を認めていないという根拠を示してください。
イスラムは、得心して信仰告白をすることではじめて信仰者になるというほど、「信仰の自由」にこだわる宗教です。
>イラク侵略戦争を文化レベル価値観レベルの問題としても把握する視点を設置してお
>く必要があると思われる。
確かにそうだと思います。
そのためには、あなたが書いているような、でたらめなイラク認識や歪んだイスラム理解を改めることから始める必要があります。
ところでコーランをお読みになったことはありますか?