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(回答先: Re:無謀な試みというより。 投稿者 Silent Tears 日時 2003 年 4 月 26 日 09:38:34)
仰ることはよくわかります。
もっとも、わたしはあっしらさんの膨大な時事分析をすべて読んだわけではないけれど、でもあえていいたいのですよ。
昔と違うといえば、状況はもっと奥深くに隠蔽されるように思う。悪も学習して進化するのです。
このような情報の錯綜した時代に果たしてだれが〈真実〉(具体的事象としての事実ではない)を知り得るでしょうか?
マスコミ? 現場の兵士? アメリカ大統領? フセイン?出版資本の時事問題解説屋さん? だれも知らないのかも知れない。それほどに奥深く蝕まれている状況がある。
これに挑むことができるのは、想像力のみでしょうよ、おそらく。混沌とした状況を切り開くのは。現場の兵士にそれができるだろうか? 冷静に〈真実〉を見極められるだろうか?
昔、昔、古いテレビドラマシリーズがあって、そのひとつに旱魃の大地にやってきては水の出る場所を突き止めるという男の物語があった。
その男が詐欺師なのか本物なのかは最後までわからない。
ドラマではたまたま男が井戸の場所を言い当てる。
そのとき、農家の幼い息子が父親に男のことを尋ねる。
「あのひとは仕事もしないでいつも瞑想にふけって偉そうなことをばかりいってるよ」
父親は答える。
「世の中には、考える人と、それを実行する人がいてうまくいってるんだよ」
現場の人がいて、書斎のひとがいる。
書斎の人は想像力という武器で戦場の兵士や戦時下の市民を勇気つけているのかもしれない。
たまに予想が外れることもあるだろう。
しかし、だからこそ、さまざまな状況の見方にひとつの意味を、方向性を与えたことになる。外れても、意味のある仕事として残る。
そうでしょう?