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(回答先: カルトの歴史的断層 投稿者 愚民党 日時 2003 年 4 月 26 日 02:06:55)
-----------1995年6月15日、ニフティ「現代思想フォーラム」への投稿
RE:01924
SUB:RE^3:RE:サリンと世界:注長文:
282行あります。読みたくない人は飛ばしてください。
WAKEIさん。
朝日新聞夕刊5日6日における、橋爪大三郎氏と朝倉喬司氏の対談ですが。
橋爪氏の批評のスタンスを一貫して、ぼくは評価していません。
「動機が見えない殺人」「現実感の喪失」「脱冷戦で方向感消却」「個室をつくり
現実を遮断」「高度情報化社会に生じた力の磁場が、偶然にも超能力願望が組織した」
こうしたスタンスが犯罪批評の朝倉氏であり、「陰謀説は、東西対立の時代に生成され
た解釈のスタンスであり、その想像力の在り方は、事態を見誤る」
これが彼の結語です。
朝日新聞社発行/月刊RONZA/1995,6月号での、朝倉氏の論文
『渇望する空白が呼び寄せた最終戦争』は、宗教経済・宗教市場・宗教経営に接近する
鋭い分析力があり、ぼくは評価しました。この論文から朝日新聞での対談では、姑息に
も後退していました。6年前の連続幼女誘拐殺人事件容疑者と、個室における6千本の
ビデオ・コレクション採集、その「オタク」なる全体主義解釈の延長で、また論じるの
は、いいかげんにしろ!!と、僕は言いたいのです。
統一教会とオウム真理教団はシステムが似ていると言われていますが、こうした新・
新興教団における、生活システム・政治システム・軍事システム・経済システムを、
20世紀末の身体歴史の現出として、マクロ的に分析するアプローチが必要だと思い
ます。
宗教比較論では、もう対応できないでしょう。マルクスが人間の日常である「商品
と貨幣」の非日常性としての秘密を暴露したように、すでに宗教は商品であり、貨幣
へと生成している今日、宗教市場をめぐるマーケット論、宗教経営をめぐる組織論、
これらが宗教経済学として、定性しなくては、批評言説は、この現実の先行に追いつく
ことはできないでしょう。
オウム真理教団の「宗教は最終ビジネス」この麻原クンの綱領こそ、20世紀末資本
主義と貨幣の現在を裸体のごとく物語っています。貨幣は麻薬ですね。
麻原クンの「宗教は最終ビジネス」と「最終戦争に準備するための自給自足経済の確定
と自給自足武装の確定」の綱領は、あらゆる意味で敗戦後50年後の事変を終焉させる
ほどの現出ですから。
麻原クンは1982年6月に薬師法違反で逮捕されてから、2年後に健康飲料製造・
販売会社「株式会社オウム」を設立しています。彼はあらかじめビジネスから出発し
そして今度は「宗教は科学である」宗教科学としてのオウムへと転回していきます。
「科学は進歩する、人間はそれに従う」これが、ドイツ・ナチスのスローガンであり
ました。麻原クンとは、やはり二十世紀の「進歩」が悪霊の鏡に映ると、ヒューマノ
イドへの道であったことを真理として証明するべく、体現したかのようです。
20世紀が作りだした影その存在証明は、悪霊もまた真理であることを物語り。
オウム真理教団武装事態は、日本史における豊臣秀吉による刀猟り以来の民衆感情を
破壊し、アメリカUSA武器社会模倣へと接近させましたから。
現在の日本帝国資本システムと貨幣の不条理は、麻原クンの綱領に現出していると思う
のです。僕としては、再度、マルクスを読みながらアプローチしていくつもりです。
かつて統一教会が使用していた東京世田谷・南荻窪、福岡市の3ヶ所の施設が、
今度はオウム真理教団が使用していた事実。統一教会の本拠地である韓国では、韓国
最大の銃火工場を傘下にしている世界統一教会経営。
統一教会の有名なセックス・サブリミナル。教祖による男女信者婚姻の遺伝子操作。
これなんかオウム真理教団綱領「血のイニシェーション」。PSIヘッドギアの、
マインド・コントール洗脳ノウハウなんか、統一教会と限りなく類似性があります。
H・R・ギーガーの『ネクロミコン』とヒューマノイドが現出しています。
これは限りなく貨幣の真理が横たわっています。
ベンチャービジネスとして急速拡張する新興企業には、必ず経営コンサルタントが
広告代理店の拡張として参謀のごとく企画提案しています。宗教ビジネスの経営方法
を提案して、宗教法人は「うまみがあるお客様です」と、貨幣をかせぐ、
宗教ブローカーも暗躍していることでしょう。宗教のイベント演出も、あの広告帝国
である!!電通!!も、大展開しているそうですから。
「イノベーティブ(創造的破壊)マインドと洗脳経営で、宗教経営を打開せよ!!」
これが、現在の彼らのスローガンかも(^_^)。
批評論説の科学性は、やはり経済学を通過しないと定性できませんから、
宗教経済・宗教市場・宗教経営からのアプローチは、マクロ分析として必要です。
三菱総合研究所が発行している『TOP MANAGEMENT SERVICE』
トップマネジネントサービス1995・5・11日号の特集は「行き詰まる日本型
イノベーション」巻頭言は「世紀末論に踊らされるな」三菱総合研究所常務取締役・
佐藤公久氏による、日本帝国資本軍部将校に向けた、この激文が貨幣の現在
意識を物語っているので、引用を、どうかお許しください。
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「世紀末論」、この19世紀末に流行したといわれる説は、実際には一笑に付される
ようなものであったようだ。19世紀末は「進歩の世紀」「技術と科学の時代」が謳歌
されていたのであり、ヨハン・シュトラウスの明るく軽やかなウインナ・ワルツが街を
流れていた。
ただ世紀末論の思想的背景となったニーチェ、ショーペンハウエルの哲学が、一種の
超人賛美につながり、やがてヒトラー、ムッソリーニといった独裁者を生む社会土壌を
作り、軍国主義を助長、戦争への道を歩ませた暗いイメージも育っていたことは事実で
ある。
:「世紀末論」に踊らされるな:三菱総合研究所常務取締役/佐藤公久
TOP MANACEMENT SERVICE no9・101995/5/11
発行/三菱総合研究所
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まあイノベーションというコンセプトもアメリカUSA経営スローガンから盗用した
理念であるように、佐藤氏もみごとに日本における軍国独裁者の哲学が何であったのか
隠蔽します。論理とは、貨幣同様に、外部から自己利潤へと回収するためにありますか
ら。論理とは自己利潤拡張が先行し、自己の弱点とか都合が悪いことは、永遠に隠され
ます。
敗戦後50年の言説論理とは、西欧・アメリカUSAの近代の延長・拡張として、
あたかも現在の日本が定性する、ここにおいて、みごとに日本の個別あるいは単独とし
ての近代・現代成立の醜部は、つねに隠されていくのです。
ダブル・スタンダードの論理。言葉とはある物質性があり二重性がありますから、
言いたい言説には必ず、言ってはならない場所精神があるわけです。個別日本の軍国。
しかし、僕は、資本とは前衛であると認めていますから、この徹底したリアリズムは
注目しています。マルクスがその道を歩んだように、現実社会の動向を把握するために
は、まず経済を注目していかざるをえません。
おそらく日本の動向は、佐藤氏の激文の反対の方向:世紀末に踊れ:の方向に流され
ているでしょう。皮肉にも。現出しているのは精神としての激ではなく、身体としての
激なのですから。ナチスのスローガンは、まさに「技術と科学(化学)」でした。
人間の肉から石鹸をつくり、人間の髪も製品に転化したという、大量虐殺、
アウシュビッツ工場とは、技術と化学の絶対頂点を、工場制度として生成させて。
「良いものをいかに安く作るか」この日本型経営の綱領は、人間を材料素材として、
商品に転化した、大量虐殺のアウシュビッツ工場で、すでに達成されていたのです。
日本軍国でも、植民地から強制連行という労働力奴隷制度によって、達成していたの
です。
日本企業のアジア諸国への工場移転は、この安い労働力賃金をめぐる日本軍国工場
制度の反復です。
こうしたマクロ分析から結語を導入すれば、「進歩の世紀」「技術と科学(化学)
の世紀」を沈澱させた身体史が、裸体のテロリズムとして現出する、これがオウム
真理教団事態をめぐる日本世紀末世界です。つまり宗教経済・宗教市場・宗教経営
とは、身体の縄縛りから発生します。日本型管理工場制度社会の鏡として。
欧米・中国が精神による革命と歴史であるとしたのなら、日本とは身体による革命
と歴史でしょう。人類史における文明とは、極東の島である、この場所において自己
完結する、それは型・形・形式・様式・身体化として現出します。シルクロードの、
最終の場所、法隆寺ありて。
日本が世紀末に踊ることは明確です。「進歩・未来・技術・科学反応の20世紀」
を身体において、偶然にも総括されてしまう場所。ある一瞬において偶然は必然へと
転化されるでしょう。見えざる神の手によって、エデンの園を破壊炎上させるべく、
選択された教団こそ、オウム真理教団でありました。20世紀の真理が現出して。
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わが兄弟たちよ、君たちの胸をはれ、高く!もっと高く!そして脚のことも忘れる
な!君たちの脚もあげろ、君たち、よい舞踏者よ。さらによいことは、君たちが逆立
ちすることだ!笑う者のこの冠、このバラの花輪の冠、わたし自身がこの冠を自分の
頭にかぶせたのだ。わたし自身がわたし嘲笑を神聖だと宣言したのだ。そういうこと
をやるだけの十分の強さを持っている人を、わたしは今日わたし以外には見いだせな
かった。舞踏者ツァラツストラ、翼で合図する軽い者ツァラツストラ、すべての鳥に
合図しながら、飛ぶ身構えのできた覚悟も用意もととのった、至福にも軽々しい者。
フリードリヒ・ニーチェ
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こうして麻原クンは修業者として浮遊するのです。『ムー』『トワイライトゾーン』
に掲載されたその写真に魅了された、オカルト神秘の予備群たち。『ムー』の発行社が
学習研究社であることは皮肉です。管理教育産業メディアこそが、オカルトブームを、
少年・少女たちに提供していたとは。
己を見失った黒い笑いが、1985年移行によるバブル社会の基底に流れていたこと
は明確です。1988年から開始された昭和天皇その死にいたる病、喧噪報道メディア
は「悲劇の誕生」として、垂れ流していましたが、麻原クンはこの黒い笑いの影として
己を生成させたのでしょう。「おれこそ天皇だ」と。
さて麻原クンは84年2月に「オウム神仙の会」を発足させ、87年2月、ダライ・
ラマと怪談し、87年7月に「オウム真理教」を成立させます。そして88年には、
富士山総本部を完成させます。さらには87年から88年にかけて東京・大阪・名古屋
道場をわすか一年のあいだに取得しています。この膨張はバブル経済と連動して。
そしてついに、89年11月、昭和天皇の終焉をめぐる過熱喧噪の影で、東京都から
宗教法人認証を受理するのです。
つまりオウム真理教団の87年から88年にかけてのバブル膨張の一年こそが、
きわめて重要です。昭和終焉そのXデーをめぐる天皇制の強度は、シンピ・アナクロ
ニズム回帰を増幅させ、ここにオカルトブームの頂点を形成させました。国家官僚
機構にとっても、これは歓迎すべき流行です。少年・少女たちが、歴史の判断力と
言語思考力・思考分析力を欠落し、ひたすらオカルト占いと超能力なるものに魅了
されることは、天皇制宗教の強度へと回収できますから。
オカルト・超能力へのあこがれとは、高度管理社会が産みだした黒い影。
黒い空洞からこだまする恐れるべき笑い、万世一系の天皇制の影とは、歴史から切断
され、自己をすでに放棄し、その場その場で対応する刹那と没主体しての生成。
産業革命移行の近代その帝国主義文明によって、破壊されてきた自然、それは同時に
自然と人間の関係を破壊し、人間を労働力商品へと変成させ、工場制度の成員へと囲い
込むことに成功しました。その憎悪こそが、下からのファシズム運動として現出してき
ました。全体主義の基盤とは、工場制度の成立にあります。
近代から現代への工場制度とは、単位家族さえにも貫徹していきます。
地域共同社会も含めて、あらゆる人間の共同体を破壊しつくことによって、
「自分のことでせいいっぱいだ、他人のことをかまってなどいられない。自分が上昇
するためには、他はどうなっても自分とは関係ない」
こうして自然と社会への意志を解体された、無関係としての人間はアトミズムとして
己を形成し、己がこの全体主義としての工場制度で上昇するために、他者をいけにえと
して利用するのです。アトム化された人間を組織することに成功した、宗教起業経営者
としての麻原クンのイデオロギーとは、まさに神学です。その神学とは人間を物理力と
して利用するスターリン神学であることは間違いありません。
アトミズムと分断されアトム化した人間こそ、超能力と超人の奴隷になり、彼は
教育工場制度と経営工場制度から、宗教工場制度へと転回していきますが、いまだ
未完としての個人は、場所こそ違いますが、その全体主義システムの奴隷として、
自己実現することに変わりはありません。
オウム真理教団にとって外部とは憎悪すべき俗世の高度管理社会であり、外部とは
破壊の対象でありました。しかし彼らの内部とはアトム化したヒューマノイドであり
高度管理社会その工場制度の影としての真理を、テロリズムによって自己実現したの
だと思います。
旧約聖書とコーランを読んで、僕は神とは、宇宙唯一の孤独者である直感しました。
神はエデンの園を破壊炎上させ、都市文明を滅ぼし、数々の文明民族を一瞬において
抹殺してきたのです。神とは人間にとって救済者ではない、まさに恐れるべき畏怖の
存在である、その神と復讐の女神が、20世紀の真理を現出する場所として選択した
約束の場所こそ、個人を抑圧する日本と呼ばれる地かも知れません。
僕はこの神を自然と呼びます。自然とは物質を塵芥へと再度、帰還させる本能を
内在しています。ゆえに自然その宇宙とは畏怖の存在です。自然とはヒト・モノを
塵芥へと帰還させる本能がある、例えば産業革命移行、西欧を中心にして北世界は
南世界の生態系を破壊し、富を収奪してきました。この北世界の物質文明とは、
生命潮流に反する「死の潮流」であることは明確です。
自然の本能とは生命潮流を内在していると同時に、あらゆる物質を死滅させる
「死の潮流」も冷酷に内在させています。ですから僕は自然賛美者ではありません。
人間とは自然の本能を体現する高度動物であり、存在であると思います。
人間には生命潮流を破壊する「死滅潮流」、その自然のもうひとつの本能を体現する
存在であります。オウム真理教団は、この自然摂理の真理としての本能を、テロリズム
によって、体現しました。
人類史の生存を望むなら、人間は生命潮流の方向によってしか、生き延びることは
できません。僕は人権と生存権をかけて、生命潮流に参加し、この立場を思想と実践
において、今後も表明していきたいと思います。
ヒューマニズム・人間主義なる言語を、僕は信用することができません。
再度、明確にしますが、人間存在とは、自然・宇宙に内在するふたつの摂理本能たる
生命潮流と「死滅潮流」を体現する存在ですから、「死滅潮流」を体現する人間は、
人類史発生から今日まで存在してきたました。ゆえに階級闘争があったのです。
人間とは、この原理をめぐって永遠に闘争する存在なのです。
フランスが南太平洋で核爆弾の実験を再開すると表明しましたが、こうした現出こそ
人間が「死滅潮流」を体現する存在であることを、真理として、把握できます。
オウム真理教団による毒ガスとしてのサリン・無差別テロリズムは、「死滅潮流」
を促進させました。第一次世界大戦の総括から、禁止されてきた世界の普遍と常識
を踏みにじりサリン兵器を使用したことは、崩壊への序曲と、世界は脅威として感受
しました。おそらく軍需産業たる死の商人は喜んだでしょう。
人類史における重大な問題です。何故なら第一次世界大戦へと反転させましたから。
日本の言説は問われているのです。あらゆる現象を商品として過剰に消費することに
よって、意味をゼロにするのが、日本のマスメディア・ゲームです。この喧噪装置は
人間から思考力を麻痺させ、やがて現象が無関係として忘却できる空虚に成立して。
消費に必要なものは、個人の思考力ではなく、衝動欲望と刹那欲望をもった全体主義
工場成員であればよいにですから。消費とは麻薬であり、貨幣のように。
日本のマスメディアとは貨幣としての記号であることは明確です。
WAKEIさん。
> 今のセルビアなどをみていると、国連が崩壊する、というようなことの方が、
>まだ現実的かと思えるほどです。
WAKEIさんの、今後の世界情勢に対するこの予測には、衝撃を受けました。
何故なら、岩波書店発行/月刊:世界:7月号に掲載された、
犬養道子さんのクロチア国首都サグレブ市からの報告『ロッケト弾のもとで』
の結語も「不気味なものを感じる。まさか第三次世界大戦なぞにはなるまい」
「:セルビアの一発:の再びくりかえされるけはいを今回、私は感じる」と。
現場からの実感ですから、ぼくは衝撃を受けました。
麻原クンの「第三次世界大戦は必ず起こる」「ハルマゲドン」をめぐる言説は
予言ではありません。われわれ現代人が自己深層心理にもっている悲観的予測で
あると思います。こうした世界情勢の動向については、いずれ書きますが、次回は、
3月20日(月)に起きた地下鉄サリン事件について、ミクロ分析を書いていき
ます。
20日以前に一斉捜査の対象であったオウム真理教団が、何故、あのテロリズム
を実行できたのか? 国家官僚機構たる警察庁と公安警察によるサブリミナル・
テクノロジー起動としての、サリン・無差別テロリズム現出は、「死滅潮流」で
あるとぼくは判断しています。
1995,6,15
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