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(回答先: 最近のGLA2「信者こきつかうGLA」 投稿者 転載天使 日時 2003 年 5 月 29 日 14:22:25)
★死の伝道研鑽
GLAのいわば「志願エリート伝道階級」ともいうべき「伝道研鑽部員」として、中枢に近いところで活躍されたある方が、突然「過労死」のように亡くなったという、ショッキングな情報が寄せられました。
その方は、人生の最優先事項にGLAの活動を置いていた50代半ばの会員さんでした。プロジェクトを受け持つ立場で、非常にまじめに活動し続けてきました。ところが、既往症や持病の類はなかったのに、ある日突然、「多臓器不全(肝臓、腎臓、すい臓はじめ二つ以上の臓器が機能停止して死に到る)」で急死されました。
その方のお名前を、仮にAさんとしましょう。Aさんは、高橋佳子を崇拝し、プロジェクトで熱心に活動していました、そうしているうちに、端で見ていても心配なくらいやつれ果て、顔色が土気色になるのが目だっていったそうです。それでも、Aさんはより一層、喜んでGLAの活動を、情熱をこめておこなっていました。もちろん、ご自身の財産もGLAにつぎこんで、総額で数千万円はくだらない額を喜捨したそうです。
Aさんは、急死の10日前まで浅草のGLA総合本部に来て活動をしており、自分が責任者として受け持った部署の活動がうまくゆかず、相当に悩んでいたそうです。仕事以外に、1週間のほとんどをGLA活動に費やす、睡眠不足と過労の日々を送ったあげく、そのストレスとプレッシャーが、健康を害したのでしょうか。Aさんは、最期まで、自分の担当部署のことを心配しつづけ、いまわの際まで「あの部署のことを頼む」と言い続けたそうです。
Aさんだけではありません。他にも健康状態がどんどん悪化してゆくのに、活動を続ける友人や知人達が、GLAの中に多くいるという悲痛な情報も来ています。その人達は、Aさんと同じく、次第に顔色が悪くなっていくのです。それでも、「身体はぼろぼろでも、魂は歓喜に満ちあふれています!」というようなことを語りながら、熱心に活動を続けているというのです。そのありさまは、まるで脳内麻薬でも出ているのではないかと思えるほどだそうです。
ある元会員さんは、会員でいた当時、プロジェクト参加中に倒れた人がいるという話を沢山聞いたそうです。一日2時間睡眠で参加している人もけっこういたといいますから、いつ倒れてもおかしくないほどのハードワークにさらされているのは確かなようです。もちろん、そうした生活をしている当人は、Aさんと同じく精神的に高揚を覚えて熱心にやっているようですが、肉体の方に限界がくるのは避けられません。
中には、「人生で最優先すべきはGLA活動」というプレッシャーを陰に陽にかけられて、多くのGLA内の知人たちが、佳子の巧妙なやり口にとりこまれていったとの情報もあります。佳子自身が、会員個人に「前世」を教えて喜ばせ、「亡くなった家族の霊からのメッセージ」を与えたりして、感動させるのだそうです。そのような真偽さだかならぬ「霊的情報」に惑わされ、徐々に佳子の側にひきずりこまれていったというのです。
また、会員だった当時のGLA内部の「空気」を教えてくれる方もいます。
ある元会員さんは、GLAに対して批判的な「感想」を所定の感想シートに書いて提出したところ、GLA職員から呼び出されたそうです。それで、「話し合い」になったわけですが、「とにかくプロジェクトに参加して活動することが、あなたの疑問や悩みや苦しみを解決できる一番の方法」と言い切られ、GLAを退会するきっかけになったそうです。
GLAは、会員に「強制」することなく、喜んで働くよう仕向けるのがうまく、何かを「やらせる」空気づくりが巧妙だということです。その中には、「佳子先生に、もったいなくも教えていただいているのだから、それにご恩返しをしなければならない」という、恩着せがましい雰囲気で迫るというやり方も、かなり濃密にあったそうです。
そうでなくとも、信者たちの間には、「自分の人生は佳子先生によって良くなった(GLA内では「光転」という)。ゆえに、そのご恩に報いるためには、先生とその神理をひとりでも多くの方々にお伝えせねばならない。そのためなら、生活がGLA活動に支配されても、タダ働きのプロジェクトで健康状態が悪化してもかまわない」という、なかばワーカホリック的な空気が蔓延しているというのです。
Aさんも、そのような中で逝去されました。
これだけでも十分に問題ですが、その逝去の後にも、驚くべき問題があったのです。
★悼み無きGLA
Aさんはかなり熱心な会員さんで、壇上で話をすることも多い、GLA内では有名な方だったそうです。それにもかかわらず、プロジェクト集会などの公式の場でも、その「訃報」がなされなかったというのです。「Aさんが亡くなりました」というお知らせが、もっとも出されてしかるべき場でなされず、むしろそれに言及することを避けるような雰囲気すらあったというのです。
そうして、Aさんの葬儀が「GLA葬(GLA式の葬式)」として執りおこなわれました。
以下は、その葬儀に参列した方の目撃談をもとに再構成したものです。
儀式に入る前、すでに会場には祭壇と遺族の方々。Aさんのお子さんたちが、学生服姿でいます。涙で目を真っ赤に腫らしています。弔問客も列席しています。儀式は、関芳郎総合本部長が「司祭」をつとめることになっていました。彼は祭壇の横の司祭席に、遺族や弔問客に向かい合うように座っています。
以上のような悲しい胸をしめつけられるような情景を、ここで思い浮かべて見てください。
そのだれもが厳粛な悲しみにくれている場所で、ただひとり、遺族や弔問客の前で、何が楽しいのか、ニコニコ(あるいはニヤニヤ)笑っている人がいました。その人は、儀式がはじまるまで、ずっとニコニコ(あるいはニヤニヤ)笑顔でいました。それは、だれでしょうか?
「司祭」の「関芳郎」その人です。GLAの信者代表、佳子や一栄のすぐ下に位置する最高幹部のひとりです。
悲嘆に胸裂ける思いでいる遺族の前で、関司祭が笑っていたのは事実だそうです。現に参列者の中には、葬儀のあとに「どうして関さんは笑っていたのだろう?これがGLA式なのか?」と疑問の声が、数人から上がっていたといいます。
「GLA式葬儀」でなぜ笑顔かというと、元会員の方の説明では、「死は、現世の修行を終えて、実在界(GLA用語で・霊界・天国のこと)への旅立つこと」で、むしろ喜ぶべきだという考えが、もとにあるからではないかということでした。
GLA会員の思考では、死は「現世との別離にして、来世たる霊界生活のはじまり。さらには、次の輪廻転生までの<第四期>に入るきっかけ」と定義されているのだそうです。従って、遺族が目を真っ赤に泣き腫らしていようと、弔問客が悲しみにくれていようと、死は「悲しいこと」ではなく「喜ばしい今世の卒業式(ある意味、送別会感覚か)」ととらえるべきものだそうです。
一般の人間にはとても理解できない、ある種、異様ともいえる「教義」です。長寿を全うしての大往生ならまだしも、学生のお子さんたちを残して、まだまだ働きざかりの50歳台で、高齢者や大手術の後によくみられるはずの「多臓器不全」によって急死することの、どこが「喜ぶべき旅立ち」なのでしょうか。
★そして「2ちゃんねる」「心と宗教」掲示板
上記の「関司祭、笑顔の葬儀事件」の情報は、まず2ちゃんねるの「心と宗教」掲示板のGLA批判スレッドに、元会員の方たちによって投稿されました。そこで、すぐに批判者側がすぐに「これはひどい、人でなしだ」という意味の感想投稿をしました。その一例が下記です。
「投稿No.595 :梅仙人 ◆.IaaLa7Ro2 :03/05/19 02:42
関司祭のその態度、普通じゃないですよ。ありていにいうなら「気が狂っている」としか思えません。もし、そうでなければ、私が怒り狂います。遺族のみなさんのお気持ちを考えると、いたましくて言葉になりません。 頭にきた〜!!」
「投稿No.596:梅仙人 ◆.IaaLa7Ro2 :03/05/19
信者代表が、信者の遺族の悲しみを前に、終始にこにこ(にやにや)していたなんて、GLAの本質はここにきわまったという感じです」
勇気ある告発をして下さった元会員の方や、この投稿に、おそらく現役のGLA会員かシンパとおぼしい匿名投稿者からの「反論投稿」が、すぐにありました。それらを、以下に列記します。
<反論投稿1>
「投稿No.597名無しさん@3周年 :03/05/19 05:03
関も霊能者だYO
「とても良い人生でした」とお礼を述べていたように感じましたけど、それが何か?
葬式では悲しそうな顔をするモンだというさびれた常識にカルトのように縛られて、死者本人の意思を無視して、葬式でニコニコしてはいけないんですか?大笑い
この(掲示)板の住人は本当に無知で傲慢で、"叔母加算"ばかりで疲れるね」
(解説:関司祭は霊能者だから、Aさんの霊が葬儀場にいたのを見たり感じたりできたのだと、主張しています。この投稿者は、Aさんの霊が喜んでいるのを自分も感じとって、関司祭にAさんが「とても良い人生でした」とお礼をいったらしいと述べているのです。
つまり、関は霊能者で、Aさんの霊と出会えたから笑顔でいられたのだと言いたがっているわけです。"叔母加算"とは「オバカさん」の当て字。GLA批判をする人々を「バカ」とあざ笑っています)
<反論投稿2>
「投稿No.598 :エスパー :03/05/19 05:05
>>595
私はそうは思いませんけどね 藁
本当に無能な能無しねあなたたちは」
「599 :エスパー :03/05/19 05:07
>>596
いいえ。あなたが未熟で無知傲慢なだけですよ。藁」
(解説:故人を悼み遺族に同情する投稿者は、霊能がなくて故人の霊を見られないから悲しむのだと、バカにしているのでしょう。「無能な能無し」「未熟で無知傲慢」だそうです。たしかに、霊を見る能力などないですが、「無能」と「能無し」を重ねて書くほうが、よほど「無能」だと思います。霊能の有無の問題以前。藁は(笑)の当て字)
<反論投稿3>
「607 :名無しさん@3周年 :03/05/19 06:28
>>602
>貴殿は、葬式は遺された者のためにあるという点は知らないようだね。
>これも、GLA総合本部とその教祖たちのとんでも説の悪しき影響だね。
盲目なお前ら馬鹿どもに教えてやる!
仏陀が死んだとき、仏陀はアーナンダになんと云ったか?
こんな事も知らないなら少しは探して頭に叩き込んでおくんだな!
お前らだけしか分からぬトンデモ説などというものは知らぬ。
この魔につかれたゴロツキどもめらが! 説明してみろ!」
(解説:投稿No.>>602と>のついた2行は、私と同じ批判者側の方が投稿したものの引用。それに対する反応が、この批判者を「魔につかれたゴロツキ」と断じる、カルト精神むきだしの見苦しい罵倒の投稿です)
<反論投稿4>
「623 :名無しさん@3周年 :03/05/19 14:17
GLAでは、「死」というものを現世の「卒業」ととらえている。だから、「葬式」は「卒業式」であって忌むものではない。しかし、GLA会員にはGLA式の葬儀をする義務などないよ。「GLA式の葬儀で送ってほしい」というのは、まず「本人」が希望したのではないの?
それから、仮に本人が希望していたとしても、「遺族」の依頼が無ければGLA式の葬儀は絶対にありえない。つまり、「ニコニコ顔の葬儀」は、「本人」と「遺族」の双方が希望したものだろう。
「本人」と「遺族」の意向に従った葬儀が行われたのに、君は一体何を批判したいのかね? 勿論、君にはGLAの死生観に従う義務など無い。これと同時に、君の死生観に基づく葬儀をする義務など誰にも無いのだよ」
(解説:遺族の悲しみなどまったく考慮しない、GLA教義を正しいとする冷淡きわまる投稿なのがわかります。この投稿によって、元会員さんが関司祭の笑顔の理由について洞察した「推測」の正しいことが、裏付けられたと言ってよいでしょう)