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(回答先: 「一人当たり水量」というトリック ほんとうに水は不足しているのか? 投稿者 世怪水フォーム 日時 2003 年 4 月 09 日 19:13:01)
第三回水フォーラムで主張されたトリック
そして今回京都で開催された第三回水フォーラムで主張されたトリックは、前回のオランダ
以来の「一人当たり水量」というものである。その国の総水供給量を、その国の総人口で割っ
た数字である。これが減っているから人々が水に困るのであり、ダムなどで水量を確保すべき
だという論理である。確かに人口が増加しているのだから、確かに一人当たりの水の量は減っ
ていく。「このままでは足りない」という、一見もっともらしい理由に納得させられる。しか
しこれもトリックだ。もし一人当たりの水を、総人口が確保したらどうなるか。農業が一切で
きなくなる。では逆に、現状の農業が先に取ったらどれだけ残るか。農業が衰退している日本
ですら、三分の二の水がなくなる。多くの途上国では、水の70%が農業に利用されている。つ
まり人々が生活に必要とする水はわずかなものに過ぎず、「一人当たり水量」は架空の数字な
のだ。
それだけではない。先ほどの吉野川第十堰を思い浮かべてもらいたい。水は堰の手前で汚れ
ていても、堰を越えると浄化される。水はワンウェイ容器のように、一回使うと使えなくなる
ものではないのだ。家庭でも風呂の残り湯を洗濯に使うように、水は何度もリサイクルして使
うことができる。質の高いものから順に、カスケード(小さな滝の意=段階的に利用するこ
と)利用すれば、水は「一回限り」で終わるものではないのだ。農業で利用された水にして
も、蒸発した分を除いて流れに戻ってくる。それを吉野川第十堰に通したとすれば、水はさら
に新たなものとなる。水の里、福岡県柳川で行われてきていたのは、家庭からの排水をいった
ん小さな堀に貯め、わずかずつ川に戻す仕組みだった。このように回復不可能な汚染をせずに
使うならば、水は蒸散した分を除いて循環し続ける。
これを「一人当たり水量」として、誰もが自分のものとして独占することを前提に計算する
のなら、どんなに水が豊富でも足りなくなるのだ。実際、この日本は大変水に恵まれた国のよ
うに思うが、データによると水質は全世界第五位だが、その量となると106位に落ちるとい
う。しかし生活実感として、それほど水が不足しているとは思えない。ここに「一人当たり水
量」というトリックがある。私たちは全世界で106位に数えられるほど水に困ってはいな
い。水は社会全体で使われ、しかも循環利用されているからだ。
にもかかわらず、この「一人当たり水量」というトリックによって虚構の水不足が演出され
る。それを防ぐためという理由でダムや河口堰が造られ、水の価格を高くする。現在、水の価
格を高くしているのは明らかにダムである。山形県鶴岡市は月山ダムによって値上がりし、横
浜市は宮が瀬ダムと相模川河口堰によって値上がりした。水が高くなった地域を見れば、つな
がりは一目瞭然だ。ところが水の価格が高いことを理由として「民営化」が推し進められよう
としている。日本では、ダムなどの広域運営を自治体に残したまま、給水部分だけを民間会社
に委ねることが検討されている。水の民営化は世界銀行やIMFなどが債務国に押し付ける条
件の一つになっており、世界中の途上国で実行されている。その現実を見てみよう。
インドで民営化された民間水企業は、水道水の供給をほとんどしなくなった。その代わり、
ペットボトルに入れたミネラルウォーターを売り出した。ボトルに入れた水は、日本でも水道
水の1400倍高く売られるからだ。利にさとい企業が、この差益を見逃すはずがない。水道料金
は、民営化されたボリビアでもガーナでも、フィリピンでもタイでも高くなっている。特にボ
リビアでは、収入の2割を水道料金に奪われるに至って暴動が発生し、多くの死傷者を出した
後に、やっと元の公営に戻された。こうして貧しい人々は高くなった水にアクセスできなくな
り、衛生的でない水利用によって命を落としていく。その水の民営化を担うのは、フランス、
アメリカの巨大多国籍企業数社が独占している。しかも民営化された国で、水道水が安くなっ
た事例はない。
http://www.hotwired.co.jp/ecowire/tanaka/030401/02.html