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「一人当たり水量」というトリック
ほんとうに水は不足しているのか?
徳山にある吉野川の第十堰を訪ねたことがある。国は洪水防止の名目で、この江戸時代からある第十堰を壊し、コンクリートの吉野川河口堰を造ろうとしていた。しかし地域の人々は住民投票までの行動を起こし、ついにその建設を断念させた。「江戸時代に地域の人々によって建設された第十堰のおかげで、現在まで洪水が起きていない、何も過大な河口堰を建設して、水をダメにする必要はない」というのがその理由だ。実際、第十堰は巧妙にできている。流れに対して抗うことなく斜めに造られ、水をかぶるほどの高さしかない。そのため大雨のときには、水は第十堰を乗り越えて流れる。普段は逆に、越流して堰の上を流れる水よりも、堰の下を潜り抜ける水の量の方が多いのだ。そのため、清流で知られる四万十川よりも、吉野川の水の方が質が高い。こんな都会を流れる川がきれいだというのは奇跡的なことである。それもそのはず、第十堰は流れを浄化するろ過器の役割を果たしていたのだ。
建設省が計画していたコンクリートの河口堰とは雲泥の違いだ。その前に造られた長良川河口堰では、上流に貯められた水が澱み、ヘドロにまみれてしじみが絶滅した。それだけではない。鮎の遡上は困難になり、生まれたばかりの鮎の稚魚は河口堰の落差一メートルを落ちて死んでゆく。サクラマスは流れのない澱みで方向感覚を失い、遡上できても産卵期を過ぎてしまったりする。これと同様のものを、一度も起きたことのない「洪水」を防ぐために、建設しようとしていたのだ。しかもその計算にたくさんの偽装工作があったことも、後に明らかになっている。本当に必要なのは河口堰を造ることではなく、長良川のような河口堰を壊して、賢明な第十堰を造ることなのだ。
水にはいつもトリックがつきまとう。建設したい人たちが人々をさまざまな方法で騙そうとするからだ。たとえば水が不足するからダムを造ろうという話である。意外に知られていないことだが、東京の水需要は1971年から増えていない。企業があまりに高い水道料金に困って水の循環利用を進め、その結果、増加してきた生活の水需要を上回る節水を実現したのだ。そして今や生活需要を拡大する水洗手洗もほぼ100%普及し、もはや生活用水も伸びることはない。その結果、1971年より13%も下がったのだ。しかもこの数字は最大需要を記録した日の需要であり、それ以外の日は平均でさらに12%も少ない。それなのになぜ水不足が言われるのか。この30年間に造られた、草木ダム・渡良瀬貯水池・奈良俣ダム・浦山ダムの水はどこに消えているのか。そのほとんどは無効放流、すなわちただ川に流されているのだ。よく見せられる「都心の水がめ」干上がった矢木沢ダムの写真がある。しかしこの矢木沢ダムは、揚水発電ダムの上池なので、日中は水を落とすために水がなくなるのが当然なのだ。なんと露骨なトリックなのだろうか。
http://www.hotwired.co.jp/ecowire/tanaka/030401/01.html