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(回答先: 国立慰霊墓地建設反対署名 第三回目 投稿者 ゴジラズワイフ 日時 2003 年 4 月 05 日 10:10:09)
招魂教(靖国神社)はテロリストのための新興宗教である。
(1)招魂教の起源は1862年の「殉難の志士の霊祭」、1863年に福羽美静が八坂神社に建てた小祠に由来する。
http://www.tetsusenkai.net/official/yasukuni/data/yasukunisetsumei.html
>文久2年(1862)京都に参集していた志士たちが東山の霊明舎に会し、殉難の志士の霊祭を神式でとりおこなったことがある。翌文久3年になると、国学者・福羽美静が八坂神社に小祠を立て、これを祭っている(幕府の嫌疑を恐れた福羽はこれを取りこわし、自宅に祭りなおした)。
……
>土佐・長州・薩摩・越前・筑前・因幡などの各藩でも国事殉難者の招魂場を設け、慰霊祭をおこなっており、これが後の護国神社になっている。
(2)招魂祭は死者の魂を呼び寄せて生者の魂を奮い立たせる儀式。
招魂と慰霊とは全く異なる
慰霊は魂を慰め鎮めること。(魂鎮、たましずめ)。
招魂は死者の魂を呼び寄せて生者の魂を奮い立たせること。(魂振、たまふり)。
http://www.omikuji.ne.jp/jinjya/yougo.html
>魂鎮(たましずめ)、
>魂振(たまふり)
>「たましずめ」は、魂を身体の中府に鎮めること。「たまふり」は衰弱した魂を呪物や体の震動によって励起すること。
下記の記事の中で「陣中の一時的な招魂祭」とあることに注目。招魂祭は、戦闘に赴く兵士に、戦死者の荒ぶる魂を招き入れて、兵士の戦闘意識を高める宗教儀式だったことがわかる。
http://www8.ocn.ne.jp/~kakumei/yasukuni.html
>戦火に斃れた兵士の霊を慰めるために慰霊の祭を挙行するということは、いかなる国の軍隊にもあり得るきわめて自然な発想なのですが、靖國神社の場合は、陣中の一時的な招魂祭にとどまることなく、王政復古、「神武創業の昔に還る」という明治維新の精神に基づいて、お社(やしろ)を建立しようと考えた点に特徴があると言ってよいかと思います。
(3)招魂教はテロリスト(称号です、志士ともいう)のための宗教
招魂教の起源がテロリストのための宗教として始まったことは次の年今日を見れば一目瞭然。
http://216.239.37.100/search?q=cache:-KmDX0-odhMC:www.yasukuni.jp/siryou/nenpyo.html+%E6%8B%9B%E9%AD%82+%E7%A6%8F%E7%BE%BD%E7%BE%8E%E9%9D%99&hl=ja&ie=UTF-8
>これはG o o g l eのhttp://www.yasukuni.jp/siryou/nenpyo.htmlのキャッシュです。
> 6年 1859.10 井伊大老水戸浪士らに暗殺される
> (桜田門外の変)
> 1861 アメリカ南北戦争(61-65)
>文久 2年 1862. 2 和宮隆嫁
> 12 ★津和野藩士福羽美静ら京都
> 霊山に殉難志士の霊を祀る
> (招魂社の始まり)
> 3年 1863. 7 薩英戦争
>元治元年 1864. 7 禁門の変(蛤御門の変)
> 8 第一次長州征伐
> 四国(英・米・仏・蘭)連合艦隊、下関砲撃
その後明治政府は招魂よりも国家主義(護国・靖国)に重点を移す政策を採った。
しかし、日本が無謀な戦争への道を決意した頃に、再び招魂重視の宗教に戻った。いわばテロ国家の兵士のための宗教になった。
http://216.239.37.100/search?q=cache:-KmDX0-odhMC:www.yasukuni.jp/siryou/nenpyo.html+%E6%8B%9B%E9%AD%82+%E7%A6%8F%E7%BE%BD%E7%BE%8E%E9%9D%99&hl=ja&ie=UTF-8
>昭和 3年 1928. 5 済南事変
> 1929 世界経済恐慌始まる
> 6年 1931. 3 ★幕末殉難者の招魂祠が福羽家から奉納。
> 元宮と改称され、境内に移築、今日に至る。
> 例祭日4月1日
> 9 満洲事変おこる
> 7年 1932. 1 上海事変おこる 満洲国政府成立
> 8年 1933. 3 国際連盟脱退
> 1933 独ヒットラー、政権をとる
招魂教の精神は特攻隊という自爆テロの元祖を生んだ。そして、これがテルアビブの奥平剛士、安田安之、岡本公三によってアラブのテロリスト(称号です)にアラブ世界にもたらされた。
http://www.tam.ne.jp/s_sato/diary/200110.html
>そこに、自殺的特攻作戦を持ち込んだのが、日本赤軍のロッド(テルアビブのパレスチナ名)空港作戦だった。はじめから死ぬとわかっていて突っこむ特攻作戦は、アラブ人に衝撃を与えた。それは彼らには考えられない行動だったから、オカモトはたちまち、英雄にまつりあげられた。
>文藝春秋十一月特別号p103-104より
(4)招魂教は新興宗教である
神道は魂鎮(たましずめ)の宗教であり、戦争においては敗者となった敵の魂を鎮めることのほうに力点が置かれていた。
招魂教には神道的な背景(魂振)もある。しかし、戦闘中に死んだ死人の魂を招き入れることによって、生者の魂振を行うというような発想は神道の伝統にはなかった。
http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/news/news199909.html
>各地の招魂社(護国神社)で行われていた忠死霊の招祷祭も「招魂祭」と呼ばれますが、招魂社成立以前の神道の儀式としての「招魂祭」というのは思い当たりません。なお、陰陽道では、災厄の源となる怨霊などを鎮めて息災を祈る祭儀を招魂祭と称しており、これについては古来の記録も多数残っています。
当事者も神道だとは思っていなかったようだ。
http://216.239.37.100/search?q=cache:FAz3QyoUGtQC:www13.u-page.so-net.ne.jp/xj8/saitohsy/yasukuni.html+%E6%8B%9B%E9%AD%82+%E9%99%B8%E8%BB%8D%E7%9C%81&hl=ja&ie=UTF-8
これはG o o g l eのhttp://www13.u-page.so-net.ne.jp/xj8/saitohsy/yasukuni.htmlのキャッシュです。
>靖国神社の歴史は130年前、戊辰(ぼしん)戦争が北海道函館の五稜郭開城で幕を開けてから1カ月後の明治2(1869)年6月、東京招魂社が創建されたことに始まる。
……
>なぜ「神社」となったのか。国学院大学の阪本是丸教授(近代神道史)によると、最大の要因は「神官設置問題」であった。陸軍省によって「社格」などは念頭外で、ただ「神官を置いて神社らしくしたい」と願っただけだという(阪本『国家神道形成過程の研究』)。それ以前は正式な神社ではなかったから、神官も置かれず、財政困難を強いられていたらしい。
靖国神社を所轄していた陸軍省にとっては神道の魂鎮(たましずめ)の伝統を持ちこまれては、迷惑千万といったところだろう。
http://www.jca.apc.org/owaki/shuisyo/shu-yasukuni.html
>明治12年に東京招魂社から靖国神社に改称された当時の祭式については、明治12年6月4日太政官達(東京招魂社、靖国神社卜改称、別格官幣社こ列セラルル件)により、「祭式ハ神社祭式二準シ陸軍海軍二省ノ官員之ニ臨ミ執行スヘシ」と定められ、その後、靖国神社祭式(大正3年陸軍省令第2号)により、大祭式、中祭式及び小祭式の別に祭式が詳細に定められた。
招魂教はテロリストや軍隊のための宗教であり、日本列島の人々が信仰してきた神道とは別物である。戦前の行政上の管轄の扱いでもそうなっていた。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7009/mg0108-6.htm
>戦前の内務省の神社行政においても、靖国神社が陸軍省・海軍省共管の「別格官幣社」(但し、「別格」とは「臣下を祭る」という意味であって、社格は「官幣小社」と同じ)であったのに対し、伊勢神宮(皇太神宮及び豊受大神宮)は社格を超越した国家の宗廟であった(もっとも、「官幣社」が経費の一部を宮内省から受け取ったのに対して、「国幣社」は国庫から支給されていたのであり、その点では、「官幣社」であれば一応皇室との繋がりがあると言える)。また、その他の教派神道は内務省ではなく文部省宗教局の管轄であった。
(5)まとめ
テロリストや軍隊は状況によってはあっても構わないと思うけれど、そのための宗教が国家・国民全体を覆うようになるのは非常に嫌です。
国立慰霊墓地を建設する方に賛成です。