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01/26 08:06 がれきと化した釈迦涅槃像 もう一つのバーミヤン 外信02
共同
昨年二月、当時のアフガニスタン・タリバン政権はイスラムの教
えに反するとして仏像などすべての彫像を破壊する布告を出し、中
部バーミヤンの大仏立像破壊は国際的な注目を浴びた。しかし、破
壊された文化遺産はそれだけにとどまらない。
首都カブールから南へ約百四十キロのガズニ州の州都ガズニでも
、七世紀ごろまでに造られたとみられる全長約十六メートルの釈迦
涅槃(しゃかねはん)像をはじめとする仏教遺跡が完全に破壊され
ていた。
ガズニは、西方からイスラム勢力が進出する以前の七世紀ごろま
でに仏教文化が栄え、唐(現中国)の僧、玄奘もインドからの帰途
、立ち寄った。十―十二世紀に繁栄したガズナ朝の首都で、城壁に
囲まれた旧市街などの史跡が多く残る。
地元で「タペ・サルダール(王子の丘)」と呼ばれる街を見下ろ
す小高い丘に仏教遺跡はあった。ヒンズー教の影響を色濃く残し、
一九五○年代末からイタリアの考古学者らが発掘調査を行っていた
という。
地元で四十年近く文化財研究を続けるゴラム・ナクシュバンドさ
んの案内で丘の頂まで登った。約二十二メートル四方の仏塔の土台
部分と周囲の建物の壁の一部が残るだけのがれきの山と化していた
。足元に自動小銃の薬きょうが転がる。
仏塔周辺には釈迦涅槃像をはじめ、小さい仏塔や彫像、仏の立像
などが多数あったという。全体が主に砂や土で作られていたため自
然破壊が進み、七九年の旧ソ連軍侵攻後、さらに荒れ放題に。盗掘
などの被害も続いた。
九四年にガズニ州を支配下に置いて以来、タリバンは遺跡の破壊
を繰り返した。昨年の布告までは仏像の一部分などが残っていたと
いうが、もはや何も見あたらない。
タリバンは半身が残っていた涅槃像の頭部を九九年までに、さら
に昨年三月にバーミヤンの大仏立像を破壊したのとほぼ同時に全体
を破壊したという。今は像があったことを思わせるふくらみが残る
だけだ。
タリバンはナクシュバンドさんらがほそぼそ続けていた仏塔土台
などの補修部分も破壊。ナクシュバンドさんは「残念だ。言葉もな
い」と黙り込んだ。
同州では昨年末にもタリバン幹部が拘束されるなど緊張が残る。
遺跡は地元支配勢力によって今も一般の立ち入りが禁止。ナクシュ
バンドさんも約一年ぶりの訪問という。取材には約十人の兵士が同
行。がれきをけ飛ばしたり、涅槃像跡に無造作に登った。
それを見てナクシュバンドさんは「あいつらはけだものだ」と何
度もつぶやいた。貴重な文化遺産が失われた無念さと、タリバンだ
けでなく、人々に文化遺産の価値を顧みさせなかった二十年以上の
戦乱の時代を憎む気持ちがにじんだ。(ガズニ共同=八谷敏弘)
(了) 020126 0806
[2002-01-26-08:06]
01/26 08:06 タペ・サルダールとは 外信07
タペ・サルダール 1959年から79年の旧ソ連軍侵攻までイ
タリアの考古学者らが継続的に発掘調査、8世紀ごろまで続いたア
フガニスタンの仏教文化研究に貴重な資料を提供したガズニの仏教
遺跡。装飾様式は中央アジア地域の芸術品との関連性を示している
とされる。ヒンズー教の影響を受け、シバ神の配偶神ドゥルガの彫
像などが施されていた部分もあったという。遺跡の北に位置した釈
迦涅槃(しゃかねはん)像は衣をまとい、頭部には二つのまくらを
していた。玄奘の「大唐西域記」にも7世紀半ばのガズニについて
、数百の僧院があったなどと記述した部分がある。
(了) 020126 0806
[2002-01-26-08:06]