投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 11 月 10 日 15:55:35:
本日、マザーリシャリフ陥落が報じられていますが、
米国中心の地上軍展開やその後の内陸部の物資輸送に大きく貢献すると思われる、
ウズベキスタン側のテルメズからマザーリシャリフまでの鉄道建設プランと、
パキスタン側ペシャワルからカイバル峠越え鉄道建設に関してざっと調べてみました。
アフガニスタンの鉄道建設に関しては、日本をはじめとした諸外国も1930年代以前から関心が高く、
1975年の南部カンダハルを結節点とする4方面鉄道網建設入札では日本はフランスに敗れています。
(しかし、その後の混乱により建設自体はいまだになされていない模様)
82年には、テルメズからアムダリア川越えの道路鉄道併用橋が完成しています。
(但し、現在も使用できるかは不明。)
その南、マザーリシャリフまでの区間は、私自身が不鮮明ながら、どこかで鉄道路線の記載された地図を見た記憶がありますが、確認できませんでした。これは記憶違いかもしれません。
計画そのものは以前からありますし地形的には平坦地が続きますので、鉄道の敷設自体は容易と比較的思われます。
ペシャワルからの「カイバル鉄道」に関しては、Landi-kotalから先、国境のカイバル峠まで敷設されていますが、
http://www.lib.utexas.edu/maps/middle_east_and_asia/jalalabad_tpc92.jpg
そこから先カブールまでが建設されていたのかどうかは下記のHP記載だけでは確認できませんでした。また、CIAのHPにある「24.6 km」の鉄道がどの区間を指すのかは不明です。
手元にある地図帳より、
PHILIP'S RECORD ATLAS
George Philip &Son,Ltd London 1934
1934年のアフガニスタン付近の地図(一部分)(英領インドのページ。残念ながらアフガニスタン主題の地図は掲載されていませんでした。)テストも兼ねて同じ地図でbmpファイルも、★阿修羅♪大容量ページにアップしておきました。
http://www.asyura.org/bigup1/source/003.jpg 772KB
http://www.asyura.org/bigup1/source/004.bmp 11385KB
なお、ちょっと見にくいですが、この地図でもペシャワルからの鉄道はLandi-kotalまでになっています。また、
「パキスタン消滅」へのカウントダウン (アカシックなど)
http://www.asyura.com/sora/war2/msg/91.html
にて調べてみたグワダルは、この地図ではまだオマーン領になっています。
※は、私の註記です。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwkc3828/198206.PDF
1982 年
6 月6 月1 日朝
国境の川に初架橋ニューデリー24 日=吉村特派員
ソ連との結び付き強化
アフガニスタン
アフガンは、79 年暮れのソ連軍侵攻以来3 度目の夏を迎えているが、
このところソ連・アフガン国境のアムダリア川の道路・鉄道併設橋の@
建設反政府勢力の重要拠点パンジシール渓谷への大攻勢など、A
ソ連・カルマル政権側の勢力伸張を示す情報が目立っている。
アムダリア川の架橋は、見方によっては、ソ連軍の侵攻以来最大の「歴
史的事件」といえる。ソ連は旧王政時代、73 年からのダウド共和制時代
さらに78 年からのタラキ政権時代と繰り返し同川への架橋を提案したが
いずれもアフガン側から拒否されてきたいきさつがある。この意味では今
回の道路・鉄道併設橋の完成はソ連の長年の夢が実現したものであり、短
期的にアフガン駐留ソ連軍への物資の輸送が容易になっただけでなく、長
期的にもソ連によるアフガン支配の体制をいっそう固めたと見ることがで
きる。
同橋は「友好の橋」と名付けられ、5 月12 日ソ連側のテルメズ市でア
フガンとソ連ウズベク共和国の幹部らが出席して完成式が行われた。鉄道
をはさんで両側に車道があり、全長約800 メートル。
一方、パンジシール渓谷はこれまで反政府勢力が一貫して支配し、数次
にわたるソ連・政府軍の攻撃を武力ではねつけていた。しかし、5 月下旬
から6 月上旬にかけてソ連・政府軍は猛爆撃や落下傘部隊などを投入した
大攻撃で、相当程度の兵力を同渓谷に送り込むことに成功した模様だ。
カイバル鉄道
かつてペシャワールとアフガニスタンの首都カブールを結んでいたカイバル鉄道。ときどきチャーター列車が走ることがあるそうですが、基本的には運行が中止されています。
http://www.ne.jp/asahi/eden/kanata/pakistan/khyber/guide.html
線路のうえで パキスタンとアフガニスタンを結ぶ国際鉄道の線路です。現在は、戦争のため定期列車は走っていません。その線路のうえで、アフガニスタンから避難してきたふたりの子どもが、ほほえんでいます。 (※上記のカイバル鉄道と思われます。)
http://www.sunpoint.net/~earthasc/Afghanistan/photoessay/railroad.htm
http://village.infoweb.ne.jp/~fwkc3828/199205.PDF
<経済地球儀>船橋洋一(編集委員)アルマアタ
アジア横断鉄道の夢・カザフスタン
熱い外洋への思い
覇権への警戒感も
(前略)
中央アジアを横断する鉄道建設は、ほぼ1 世紀前に帝政ロシアがトル
キスタン地方を征服して以来、繰り返し試みられてきた。この地域とイ
ンドにはさまれたアフガンをめぐるロシアと英国の勢力争いは、鉄道建
設競争でもあった。とりわけロシアの場合、1880 年代のロシアのト
ランスカスピ海から1960 年代のソ連のアフガンの鉄道建設に至るま
で鉄道建設は帝国としての地政学的妄執といってもよかった。
1970 年代にはイランのパーレビ国王が「テヘランーカーブルーイ
スラマバード」をつなぐ巨大な1 万キロの鉄道網計画を打ち出した。
(以下略)
http://members.tripod.co.jp/taro3000/link2002/afhis.htm
鉄道:24.6 km
※(http://www.odci.gov/cia/publications/factbook/geos/af.html
の翻訳です。)
1975M.SEKINA 年できごと
6 @「アフガニスタンのカンガイ事情」国広安彦「農林土木学会誌」43 −6 、(519)
1 アフガン鉄道建設日本も入札に指名される
・イスラムカラ〜ヘラート〜カンダハル〜カーブルの鉄道1200 キロ
カンダハル〜ラシュカルガ〜サヘダン(イラン)450 キロ
カンダハル〜クェッタ(パキスタン)150 キロ
・イラン・パキスタンと直結し石油、農産物の輸送
・ESCAP (ECAFE )計画の鉄道網の完備
・ハジカクの鉄銅石の開発・兼松交渉とパシフィック・コンサルタント(渋谷区神宮前2 −8
−2 、日本交通技術会社(千代田区西神田3 −8 −10 )等入札に参加)
77 アフガニスタンの鉄道調査の国際入札に日本敗れる
・フランスに入札
http://village.infoweb.ne.jp/~fwkc3828/his1974.PDF
1941M.6
24 ドイツ技術家、オットー・レーマン、ベルリンの支那研究会講演で、中央アジア経由新欧亜大陸
横断鉄道の構想提唱
日本でも同様の構想。湯本昇(鉄道省監査官時代)が「中央アジア横断鉄道論」の計画、カーブ
ルも通る内容
http://village.infoweb.ne.jp/~fwkc3828/his1936.PDF
環ヒマラヤ鉄道構想(※私的研究)
http://homepage2.nifty.com/tsuyo_hs/c-himalaya-1.htm