[人間安全保障 人類共通の責任 オスカル・アリアス・サンチェス]

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投稿者 dembo 日時 2001 年 10 月 23 日 16:36:00:

http://www.asiawide.or.jp/ecaar/Japanese/94symposium/1-2.htm
ECAAR第2回国際シンポジウム議事録
「軍縮と安全保障の経済学」

[人間安全保障 人類共通の責任 オスカル・アリアス・サンチェス]

まず最初にこのように素晴らしい聴衆の皆様の前で講演する機会を与えて下さいましたECAARにお礼を述べたいと思います。このシンポジウムに参加することは私にとってこの上な名誉であり、お招きいただき深く感謝しております。

人類の歴史からみれば、一世紀などほんのつかの間です。とはいえ、19世紀末に日本人と米大陸の人が出合ったとすれば、お互いを不可解な文化から来たエキゾチックな使節のように眺め合ったことでしょう。そして彼らが払う関心のほとんどは、地理的な隔たりが両国の間に課した多くの制約に集まったでしょう。彼らにとって太平洋の広さは、日本と米大陸の関係をほんのわずかな貿易と文化交流にとどめ、両者をまったく異なる2つの世界に分けるものでした。

その当時は、各国間にあった相互の関心は熱帯高知を覆う朝霧のようにはかないものでした。当時に比べると、今日では、あらゆる海洋の中でも最も広い太平洋もほんの数時間で横断できます。お互いの文化にも精通しています。そしてある国に到着した瞬間に私は、到着以前に知り得なかった世界のニュースは何もないことを悟るのです。私の日本の友人が到着したばかりの私に次のようにあいさつしても私は少しも驚きはしないのです。「親愛なるお隣さん、あなたの不運をお話になることはありませんよ。だって昨夜、あなたのお家からすすり泣きが聞こえましたから」。同じように、「親愛なるお隣さん、今日の午後お宅から祝福の声が聞こえてきたので、私もお祝いにまいりました」となっても不思議ではありません。

われわれはひとつの隣組、ひとつの村に生きています。この暗喩が実に適切なので、私の仮説的な祝辞にも警告を加えないではいられません。「お隣さん、私どもの家を焼き、村全体も焼き尽くすような火事を起こさないようお互いに気をつけましょう」と。私自身こういうふるまいは悲観的に見られるだろうと思います。しかしこれは必要な警告だと確信しています。

私がいう村とは、もちろんわれわれの住む地球です。この村は、人類が住み始めてからほんのわずかな年数しか経っていないのです。そしてすべての人々、すべての社会は、この村で生きるほかなく立ち去ることはできないのです。この村の安全保障とは全人類の安全保障にほかならないのです。われわれの村の安全保障は連帯責任でもあるのです。

もっと恐ろしいのは次のようなことを言わなければならなくなることです。「お隣さん、私の家が燃え始めました。あなたの家が類焼するまでどのくらいの間がありましょうかね」。ハイチ、ソマリア、ボスニアの人々がこう言うのなら、その問いかけはうたがうまでもなく少しもおおげさではありません。しかし、その他のいわゆる第三世界の多くの国々でも、表面的な静けさの裏に潜在的な火種がくすぶっているのです。われわれは村全体をすっぽり包んでしまうような火事を防がなければなりません。今こそわれわれは声を大にしなければならないのです。手遅れにならないうちに。

人間安全保障はわれわれ共通の関心事です。これおを理解するには、全世界的な視点に立つ必要があります。人間安全保障は、ある地域で無視されると、世界の別の地域では確保できません。これが人間安全保障と他国に対する経済的・軍事的覇権を優先あせる国家的安全保障の概念との多くの相違点のひとつです。かつて帝国や国家は概ね安全保障を経済力と軍事力という観点から捉えてきました。彼らは自らの影響圏外にある個人や社会の運命には関与しないでいられました。しかし、今日ではある国への脅威は、とりもなおさず全世界にのしかかる脅威なのです。

中米熱帯雨林では、母なる自然がしばしば教訓的な経験を与えてくれます。例えば1本の木が嵐で倒れると、その根が周りの木の根も引っ張りあげて、ともに倒れてしまいます。それと同じように今日の世界はさまざまな文化や国家からなるひとつの密林であり、これらの根っこは絡み合って解きほぐすのが困難なネットワークになっています。1本1本の木の存在が他のすべての木々がどうなるかにかかっているのです。戦争や圧政や貧困で深く傷を負った国の惨状は、今まさに倒れんとする木の最初の叫びにほかなりません。つまりこれは森全体の危機を告げる叫びなのだ、といえます。

20世紀の終わりにあたって人類は、自らの運命をきめなければならない岐路に立っています。倒れた木々が他の木々をも引き倒してしまうような、無情な残忍さに満ちた森の中で生き続けようとすることもできます。そうではなく、個々の近隣社会が全体の幸せに配慮するような地球規模の安全保障を図ることもできるのです。このような地球規模の近隣社会では各個が考えうるあらゆる目的のために協力しあわなければなりません。すなわち、平和と秩序の維持、経済活動の拡大、汚染拡大の回避、地球温暖化の防止、伝染病の制圧、軍縮と非核化の促進、砂漠化の抑制、汚職の撲滅、生物多様性の保護、テロリズムとの闘い、経済不況の阻止、麻薬の取り締まりなど、リストは尽きません。

すべての国家の協力が欠かせない問題が増えています。距離感のない近隣国家社会では距離はせばまり、遠方の出来事も今日ではより大きな波紋を投げかけます。例えば、ある日本企業の役員会議での決定事項が、ブラジルのある土着文化の命運を左右することがありうるのです。欧州でのエアゾールの使用が、南米の皮膚ガンをある程度増加させる引き金となり、ロシアでの農業災害は、東アフリカに広範囲に及ぶ飢餓をもたらしかねません。反対に東アジアの経済成長は、北米の雇用Lを保ち、欧州における関税の変更は、アフリカやラテンアメリカの森林の存続を脅かす圧力を高めることもできれば、低くすることもできるのです。北側の産業再編成が南側の貧困緩和につながり、それが逆に北側諸国の市場拡大を促進する結果にもなりうるのです。距離の短縮、連鎖の多重化、相互依存の拡大などすべてが、世界をひとつの地球的近隣国家社会に変える要因となっています。

世界がひとつであり人類は連帯しているのだ、という認識もまた人々のあいだに広がってきています。国家という垣根を超越した人類認識に由来するいくつかの活動は、地球規模の近隣社会へ向かう世界の歩みのさらなる証です。先覚者達が解き放ったこうした運動は女性解放、人権保護、公害の少ない地球、あるいは核兵器の廃絶といった運動を通じ世界人類に共通の人間性を強調してきました。これらは生まれつつある地球市民社会にとってますます欠かせない重要な構成要素となってきています。また多くの個人の貢献がさまざまなポランティア諸機関の開発援助や人道主義的活動を可能にしていることも、ものの見方をはじめもっと重要な忠誠新や帰属意識の「地球化」の証拠です。

しかし、こうした傾向も、結束して安全な近隣社会を確実なものにするにはじゅうぶんとはいえません。これまでわれわれが築き上げてきた地球近隣社会はまだ完全なものにはど遠く、そのメンバーには平等な機会を与えられず公平に扱われていないものがあります。多くの人々はひどく疎外されて、近隣社会に属している感じさえ味わったことがありません。事実、ここ数十年間世界に押し寄せた進歩の潮流は、人類社会の大きな部分を迂回していまいた。こういう人たちには通信革命もさほど及ばす、孤立し無視された状況に追い込まれています。

世界秩序における不均衡は、国境を越えた緊張や紛争を創出しています。地球規模の近隣社会には安らぎの場などありません。疾病、貧困、核による大虐殺、あるいは環境の崩壊から人々を守る非難場所はないのです。こうした諸問題や脅威は、決して相互関連のなり個別的な危機ではありません。これらひとつひとつが地球規模の近隣社会が直面する重大危機の構成要素となっています。これは地球規模の解決と団結を必要とする危機なのです。こうした地球規模の解決なくして、人間安全保障は実現不可能です。地球規模の近隣社会は統治不能となり、崩壊の危機に見舞われることになります。もし国際社会がその名において合法的活動が行える国連のような国際機関を強化でき、地球的諸問題に立ち向かい、さらには問題が局地的・地域的範囲に限定された段階で問題を阻止できるようになれば、われわれの努力は成功したといえるでしょう。

われわれが求める地球規模の統治は国民国家の主権放棄を求めるものではありません。しかしながら人為的に作られた多くの国境の正当性には限界があること、また地勢、民族、経済文化によって規定される国境の壁が徐々に低くなっていることを認識する必要があります。ドイツのほぼ自然発生的再統一は、本来分離しえないものを力で分断するとことの無益さを示すひとつの例です。他方、ルワンダの恐るべき悲劇は、恣意的に引かれた国境の中に多様な民族を包み込むと個人の安全に避けがたい危険をもたらすことを如実に示しています。

米国は、外交および政治ルートを通してアジア、ラテンアメリカそしてカリブ海地域からの不法移民の流入を食い止めようとしていますが、その成果は芳しくありません。西欧も、東欧や南欧からの移民圧力で同じような窮地に立たされています。こうして豊かな国を悩ませている不法越境問題は、その明白な要因を無視した報いであることを認識しなければなりません。国家間の経済的な関係が、短期的には、特定の国家グループに有利な不平等をもたらし、長期的にはすべてに有害な結果をもたらすことになるのです。例えば、アフリカやラテンアメリカの対外債務や農産物輸出に対する冷酷な仕打ちが、ここ10年の間に同地域の貧困化を加速しました。この貧困化が農村部から都市部への人口流出と北側世界への不法移民の増加をもたらしたのです。

こうしたふたつの現象は、一人ひとりの現状がどうであれ人間安全保障はすべての人間に関係することを改めて認識させます。貧しい国々の無秩序と都市部の巨大化は悲惨さと暴力という悪循環を生み、不法移民は豊かな国々で社会の安定に対する脅威とみなされています。豊かな国にしても、たとえ現状を維持できたにせよ、悲惨さに伴う不安を分かち合わざるをえなくなるでしょう。私たちは個別利害という点から考えても、人間安全保障が共通の関心事であることを認識しなければなりません。

人間安全保障は、軍事力や経済力と結びついていた伝統的安全保障の考え方とは対照的に、国家的あるいは民族中心的な意味を持ちません。人間安全保障は量的に見て、どの程度まで人間が無知や疾病、飢餓、無視、迫害から守られるかということなのです。換言すれば、人間の生命と尊厳がどの程度まで尊重されるかということです。しかしながら激動の20世紀末の世界にあっては、われわれはあらゆる政治的活動の主人公である人間を見失うことが多くありました。現実主義と市場に支配され、より強い競争力そしてより高い生産と消費水準を目指す現代の国際システムは、人類の幸福こそ最も重要な目標なのに、往々にしてその人類を無視しています。

今日、貧困はわれわれの同胞から民主主義、平和、自由の果実を奪っています。われわれの都市を侵し、われわれの社会に荒廃と内紛をもたらしています。中米の例でも明らかなように、貧困を根底から是正しない限り、独裁制を廃絶師戦争を終結させても十分ではないのです。今日では、われわれはほご独裁制と暴力に打ち勝ったといえるでしょう。が、もうひとつの闘いがあとに続きます。われわれの次なる歴史的事業は、地球規模の貧困に対する闘い、つまり人間安全保障のための闘いなのです。

貧困は、追いつめられた少数の人々だけのものと捉えられがちですが、実際には繁栄を享受している人々も含め、われわれすべての敵なのです。貧困は郊外から都市にいたる社会の隅々に忍び込み、かつては豊かで調和のとれた所に荒廃と内紛をもたらします。

生まれたばかりの地球規模の近隣社会の街に、武器と権力に飢えた兵士をのさばらせたいのか、あるいはわれわれの社会のために和平協定を確立させたいのか、決めなければなりません。私は、われわれの将来の安全保障は非軍事化にあると確信しています。これについて2つ所見を述べさせていただきます。第一に私は、非軍事化を単に兵役解除と軍縮に限定するつもりはありません。軍隊の削減と兵器の排気は重要ですが、それだけが非軍事化の包括的手順ではありません。これだけでは、兵役を解除された人々の再就職および訓練、旧軍人の民間社会への編入、政治への市民参加の拡大など、広範な側面が考慮に入れられていません。また、私は必ずしもすべての国の軍隊の解体を提言しているのでもありません。究極的には望ましいことですが、現状ではこのような目標を近い将来達成させることはきわめて困難でしょう。

むしろ、非軍事化を語るとき、私は暴力の文化を民主主義と総意の文化に変換させうる段階的な課程を考えているのです。私のいう非軍事化とは、軍隊や他の軍事機構の役割を縮小させ、彼らの仕事を国防に専心させることです。非軍事化とは安全保障の概念規定を純軍事的発想を超越したより広範なものにすることを意味しています。それは個人や集団を問わず、市民全体の幸福に焦点を当てることによって、安全保障の問題により人間的なアプローチをもたらす「人間安全保障」および「永続的安全保障」といった概念を含みます。非軍事化とは、軍隊が自由かつ公正な選挙を通して民主的に選ばれた者に対して責任を負うことです。それはまた、外からの脅威に直面したときに国家主権を保障する新しい多角的集団安全保障メカニズムを見いだすことも示唆しています。このメカニズムによって、国は国防目的のための資源を社会的プログラムや人間開発事業に振り向けることもできます。

これまで長年にわたって私は「地球非軍事化基金」の創設を提唱してきました。簡単にいえばこの構想は、軍事費削減で浮いた資金の自発的拠出によって基金を創設して、いわゆる平和の配当を世界が活用できるようにすることです。1987年から1994年にかけて軍事費が年率で少なくとも3パーセント削減されたので、国防予算の累計削減額は、9350億ドルに達したと推定されます。われわれは、これを地球の平和と人類の安全保障達成のために使うことができたはずです。

この基金は、軍事支出の削減を世界平和の強化とリンクさせることで現在の軍事支出の削減を一層促進できるでしょう。世界各国は貧富を問わず、今後5年間にわたって軍事支出を少なくとも年3パーセント削減することを約束すべきです。そして豊かな国は、節約された資金の少なくとも5分の1を国際管理下に置かれる非軍事化基金に拠出することに同意すべきです。発展途上国もまた、10分の1くらいは基金に拠出すべきです。こうした方法で平和の配当の一部を地球規模の非軍事化促進に役立たせることができるのです。

われわれは非軍事化によって人々に銃撃や地雷設置訓練ではなくて、心に活気を与え、潜在能力を発揮させることができるのです。貧困と欠乏からくる諸問題と取り組むために資源を解放することもできるでしょう。ではどのようにしてわれわれは人間安全保障のための集団防衛に貢献できるのでしょうか。

第一に、われわれは兵器即売と軍事援助の削減を要求することです。豊かな国が貧しい国に兵器を売ったり与えたりすると、地球規模の軍事競争に根ざす時代遅れの冷戦心理を永続させることになります。軍事的脅威がなお残っているとはいえ、私は途上国間の脅威は専心工業国が支持する拡散によって途上各国が手に入れて使う圧倒的多量の武器が創り出したものだと確信しています。

第二に、人間安全保障を確率するために苦闘している国々の債務負担を軽減するよう務めることです。貧しい国々への大量の兵器流入に加えて、これらの多くの国々は国民総生産の大部分を吸い上げてしまう債務の元利返済という泥沼であえいでいます。私は、どの途上国も国民総生産の3パーセントあるいは輸出収入の10パーセント以上を元利支払いにあてるよう、もとめられるべきではないと考えます。

さらに国連は、軍事費の削減、民主化、人権尊重においてかなりの進展をみせた発展途上国に関しては、二国間債務の放棄を主張すべきです。ただし、この措置は浮いた資金を効果的な環境保全事業や健康、教育、低コスト住宅といった人間としてのニーズを満たすプロジェクトに直接再投資するという条件付きでなければなりません。

第三に、貧富を問わず、あらゆる国々が国民一人ひとりを重視するようになる必要があります。われわれは「平和の配当」と多国的または個別的努力を、確固とした持続可能な人間開発プロジェクトに向けなければなりません。

最後にわれわれは、集団安全保障の概念を再検討すべきです。私は非武装の小さな国の人間なので、非軍事小国の集団安全保障への依存度がいかに小さいか理解できます。しかしながらわれわれは、国際的な平和と安全保障を、国家と国境の安全保障にとどまらず、人間の尊厳の防衛として捉える新しい視点から、このシステムを見直す必要があります。われわれは、提供できる要員数にかかわりなく、すべての国を集団安全保障の中に取り込むことを図らなければなりません。こうした正義の防衛は地球規模の近隣社会の団結と希望の証となるでしょう。

運命は、われわれに特異な時代に生きる機会を与えています。さらに運命は、全世界にわたって何百万という人々を苦しめている悪に立ち向かう聖なる闘いに乗り出すために必要な知的・物的資源を与えてくれました。しかしこの聖なる闘いは貧しくない人々に犠牲を払うことを求めています。われわれは自らを守ために物質的犠牲を求められるかも知れません。そうした犠牲を払うビジョンと勇気がわれわれにあるかどうかは、これから明らかになることでしょう。

運命は、われわれに特異な時代にいきる機会を与えています。さらに運命は、全世界にさたって何百万という人々を苦しめている悪に立ち向かう聖なる闘いに乗り出すために必要な知的・物的資源を与えてくれました。しかしこの聖なる闘いは貧しくない人々に犠牲を払うことを求めています。われわれは自らを守るために物質的犠牲を求められるかも知れません。そうした犠牲を払うビジョンと勇気がわれわれにあるかどうかは、これから明らかになることでしょう。

人間安全保障は、ユートピアであり夢であるかもしれません。しかし私はなおも将来に望みをつなぎます。なぜならば、われわれがもてあそんでいるのは、ほかならぬ人類の将来であるからです。態度を曖昧にしておくには、事はあまりにも重大すぎるのです。


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