(回答先: <人間の鎖>ヤコブ病訴訟原告らが国の謝罪求め厚生労働省を包囲(毎日新聞) 投稿者 えーてる 日時 2002 年 3 月 14 日 15:57:55)
いつも思うのですが、被害者の方々には同情しつつも相手を「国」として抗議しているのを見ると、何か私の頭ははっきりしないのです。「国」って誰のことだろう?また、「厚生省」今は「厚生労働省」ですか、これも何かはっきりしないのです。今の大臣が謝罪したっていうのは、それはそれで結構なのですが、では、この大臣は当時の責任をもっていて謝ったのかどうか? きっとその当時の担当大臣ではなかったのではないだろうか。
「国」や「○○省」では、いくら謝ってもその実質的な責任者はだれだったんだろう?と、いつも訴訟騒ぎのときに考えてしまうのです。
そして「国」が悪かったと言ってお金を出すのはもちろんよい事です(被害者救済という名目で)が、誰がその懐を痛めるのでしょうか? これって税金なのでしょう?すると国民が謝るという意味です。
担当した者たちはどうしているのでしょうか?彼らは謝罪しているのでしょうか。
痛める腹のない者が責任など感じているんでしょうか?いつもこんな形で「勝訴」と言っても誰に反省が起きるのでしょうか。
責任が誰にあるのか、その当時の役付きにあって実質的に物事を決めていたのは誰なのか。そこまで追求していかないと、いつも何かがあっても「国」や「省庁」という得体のはっきりしないものの陰に隠れていて、本当の責任者たちが反省などすることはないでしょう。
いつも誰かが権力をもって物事を決めているはずです。その人たちに反省を促さないと今後も同様な事は減る事はないでしょう。
これだけ人員が集まってできるんですから、その辺の情報収集にもう少し突っ込んで貰いたいと思いました。ただ感情的に謝れだの怒りだのと言って、そこで終わってしまっては次の同じような被害者団体がまた「国」や「省庁」、薬害会社という「団体名」を相手にするのでしょう。
人間って実質的にかかわった人を名指しされてからやっと反省しだすんでしょうね。でもたった数人の代表者だけを謝らせてもだめなんです。
けっきょくは、厚生省や医学を信じきって身を任せることに反省する必要もあるのかも知れません。一般人にも責任があるって言うと不謹慎と言われるでしょうが。