牛の尿検査をはじめて以来、ナラング博士にはさまざまな圧力がかかり、「社会の除け者」というレッテルを貼られた上に、実験室の使用を拒否されてしまった




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投稿者 ★阿修羅♪ 日時 2001 年 10 月 12 日 17:36:51:

回答先: 狂牛病犠牲者、その記録(『狂牛病パニック―脳が溶けていく』より) 投稿者 ★阿修羅♪ 日時 2001 年 10 月 12 日 17:30:52:

ピーターは死んだ―忍び寄る狂牛病の恐怖 P.50より

 ピーターの病気がCJDであることを知るきっかけとなった、『ナイト&デイ』(9
5年12月17日)のナラング博士についての記事は以下の通りである。

CJDのパターンが最近になって変化していることが確認された。

 先週の月曜日、ナラング博士が農漁食糧大臣のダグラス・ホツグ氏に、2頭の牛に
よる実験報告書を提出した。屠殺された牛の検死結果と、生きている牛の尿検査の結
果である。

 ナラング博士は、最近になってようやくCJDの発見を早める方法をつきとめたと
いう。この方法を、内臓移植の際、内臓提供者がCJDに感染しているかどうか見極
める手段に用いれば、感染が広まる恐れがなくなる。これはまさに画期的な発見だ。

 CJDに感染して死亡したステファン・チャーチル(死亡当時19歳)君の場合も発
病の1年前に交通事故にあい、臓器移植を受けたと伝えられている。この移植が発病
の原因か否か、また、CJDが動物から動物に感染するのかどうかも、現在のところ
まだ立証されていないので断言はできないが、もしこれが原因なら、ナラング博士の
発見で彼を救うことができたかもしれないのだ。

 ナラング博士は目標に向かって邁進する人間だ。決して力を抜く、ということがな
い。彼は11月の最後の週末を、牛の尿を集める作業に費やした。ナラング博士の尿検
査の噂を耳にした、二人の牧場主が、自分の牧場の牛をテストしてほしいと依頼した
ためだ。


 しかし残念なことに、このとき収集された牛の尿は、いまだテストされないまま、
彼のオフィスの冷蔵庫の中に眠っている。

 ナラング博士は以前からマンチェスター大学の研究室を、自分の実験室として使っ
ていた。ところが、牛の尿検査をはじめて以来、ナラング博士にはさまざまな圧力が
かかり、「社会の除け者」というレッテルを貼られた上に、実験室の使用を拒否され
てしまったのである。

 しかし、それでナラング博士は実験を中止したか? いや、しなかった。

 11月の初めにも、CJDに感染しているジーン・ウェイクさんの家族が、ナラング
博士に、彼女の尿検査を依頼した。ナラング博士は彼女のためにサンダーランド総合
病院に出向き、尿検査を実施した。ところが病院側がナラング氏の器具の使用を拒否
したため、テストが最後までできなかった。

 ウェイクさんの家族は、無私無欲なナラング博士を見て、一日も早く、彼の検査方
法が社会に受け入れられればいいと願っていると語っている。

 そんなことがあって、ナラング博士の実験は完全に挫折したかと思われたが、そう
ではなかった。ケン・ベル氏というアメリカ人が「飛行機代を出すから自分の実験室
を使ってくれ」と申し出た。ワシントンにあるベセスダ国立衛生研究所からも、研究
室を自由に利用するようにとの申し出があった。

 アメリカには、ノーベル賞受賞者のダニエル・カールトン・ガイジュセック博士を
はじめナラング博士の実験を高く評価する化学者が多数いる。ガイジュセック博士も
CJDは感染病だと考えている化学者の一人だ。

 古い考えに固執し、新事実に目を向けようとしない化学者たちは、自分のミスを認
めたくないがために、ナラング博士の主張を受入れまいとしている。

 ナラング博士の画期的な発見は、イギリス政府にこれまで無視されてきた。MAF
Fは2年間の隠蔽期間を経て、87年(正式には88年)にようやくBSEの存在を認め
たが、これを知ったナラング博士はまず第一に、「人間に感染する可能性はないのか?」
と不安を感じたという。

 ガイジュセック博士はナラング博士に何度も、アメリカで腰を落ちつけて研究をし
ないかと持ちかけたが、そのたびにナラング博士はイギリスを離れることはできない
と断った。当時彼は自分の研究に没頭していたが、それでもBSEへの政府の対応に
は、しばしば歯がゆい思いをさせられた。一例を挙げると、政府は88年4月サウスウ
ッド委員会を設立して、BSE問題に真っ向から取り組む姿勢をアピールしたが、こ
の委員会には、BSEを専門に研究している化学者は一人も含まれていなかった。

 ナラング博士にいわせると、MAFFも保健省も国民の健康には関心がないのだと
いう。なぜなら、89年2月のプレスリーリース(マスコミ向け資料)の中で、MAF
Fと保健省がサウスウッド委員会の報告を公表したとき、BSEの「危険性」と書か
れた部分を、「関係の希薄な……わずかな可能性」と改ざんしているからだ。

 88年8月、ナラング博士は「1時間以内でCJDを発見する方法」を委員会宛に発
送したが、返事のないまま時が過ぎた。8月のこの時点で、すでに彼はウェイブリッ
ジにある研究所に招かれ、彼の発見した方法が正しいとのお墨付きをもらっていた。
ところが委員会から連絡が来たのは、なんと11カ月も経ってからで、しかも、「貴殿
の検査方法は受け入れられない」との返事だった。理由は、農漁食糧大臣のジョン・
マックグレガー氏が認めなかったからである。

 BSE発見から現在までを振り返ってみると、90年という年は、ターニングホイン
トだった。90年まではCJDは一般にはあまり知られていない奇病で、犠牲者の数も
少なかった。しかし90年になって政府が「危険はない」と発表した矢先に、「BSE
の実験で猫が死んだ」というニュースが広まり、続いて「人間の犠牲者」が発覚、イ
ギリス国内の2000の学校で、給食に牛肉を使うことを中止した。さらにこの年の
5月、フランス、ドイツ、イタリアが相次いで、イギリスからの牛肉の輸入を禁止し
ている。

 しかし同時にこのとき、農相に就任したばかり・のジョーン・ガマー氏は、テレビ
カメラの前で4歳になる娘にハンバーガーを食べさせて、牛肉の安全をアピールして
いる。ガマー氏は、BSEとCJDの症状の類似について、知らなかったのだろうか?
知っていたとしたら、どうしてこんなことを国民にアピールできたのだろう?

 同年6月、MAFF側は、専門家を集めてCJD対策について話し合うことになり
ナラング博士にも招待状を送った。が、このとき、手紙は博士の手に届く前に消え失
せ、ようやく電話で連絡を受けるというトラブルがあった。

 スコットランドの環境担当官であるゲラルド・フォーブス博士が、政府の数々の対
応策に対して、「何の科学的根拠もないままに出された決断であって、受け入れられ
ない」というコメントを雑誌に掲載したときも、いやがらせの電話が段到し、おまけ
に電話に盗聴器がしかけられるという騒動があった。どのような力が裏で働いている
のかわからないが、どちらの場合も「何者か」がジャマをしているのは事実だ。

 さて、ナラング博士は、MAFFから報告書を書いて提出するように求められた。
彼は報告書の中で、まず、「急がなければ手遅れだ」と指摘した。

 当時、MAFFの化学者たちは、ネズミを使って、BSEと羊のスポンジ状脳症・
スクレイピーとの関連性を実験していたが思うように進まず、足踏み状態だった。結
果が出るまでに3年はかかるというのが、彼らの予測だった。「方法によっては、3
年どころか20日で結果が出る」

 ナラング博士は主張した。一年前に、尿検査の方法を教えたにもかかわらず、化学
者のプライドが許さなかったのか、彼らは頑固に自分たちのやり方で実験を継続して
いたのである。

 ナラング博士はこの報告書の中で、もうひとつきわめて重大な意見を述べている。
政府側は「(BSEが羊のスクレイピーから引き起こされたものなら、人間には感染
しないから)危険ではない」としているが、ナラング博士は、「発病してから死亡す
るまでの期間が大変に短い危険な病気だ」と反論したのである。

 彼は、スクレイビーを感染させたネズミと、BSEを感染させたネズミとを比較し、
BSEに感染したネズミは2倍の速さで死に至ることをつきとめていた。

 さらに彼は、23種類の動物に、BSEで死んだ牛の肉を食べさせてみたところ、全
ての動物が死ぬという結果を得ていた。そこで彼は、「BSEに感染した動物の肉を
食べれば人間も高い確率で死に至る」と、報告書に記載した。

 むろん、今度の報告書にも、彼の発見した「BSE及びCJD早期発見のためのテ
スト方法」が詳しく記されていたのはいうまでもない。

 しかし、またしても、MAFFと保健省は、どちらもナラング博士の報告書を黙殺
した。それでも彼はめげなかった。ところが、91年3月、深刻な事態が発生した。「ナ
ラング博士の研究は、人間に害をもたらす」と訴えられ、研究の続行を禁止されてし
まったのである。

 以上、長くなったが、これが『ナイト&デイ』に掲載された記事である。

 これを読むと、パニックが起こるよりかなり以前から、狂牛病問題に関しては、水
面下でさまざまな葛藤があったと推察される。

 ホール家の人々が、原因不明のピーターの病に苦しみ、はかばがしい援助も得られ
ないまま死にもの狂いで病と闘っていた背景には、政府関係者や化学者たちのそれぞ
れの思惑が影響していたようにも思われる。「誰一人、CJDが狂牛病に罹った牛の
肉を食べて感染する病気だなんて、教えてくれませんでした」

 ホール家の人々の怒りは、しかし今、どこにもぶつける場所がない。


ピーターは死んだ―忍び寄る狂牛病の恐怖
高部 務 (著) 単行本 (2001/05/01) ラインブックス
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